長男Kは中学生の時に
不登校になりました
そんなKのことを
少しずつ書き記しています
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文科省による
不登校の現在の定義とは
社会的要因・背景により登校しない
あるいはしたくともできない状況にあるために
年間30日以上欠席した者のうち
病気や経済的理由によるものを除いたもの』
学校に行こうとしないKと向き合うため
いろいろと調べはじめた私・・・
この定義を読んで
年間30日
なんて
有に越してる

あ〜もう、うちの子は
不登校なんだ・・・
認めざるを得ない現実と
そこに向き合う覚悟を決めなければと
思いました
この頃、私は度々登場する
島田妙子 さんの
講演会に参加したり
そこでご縁のできた方達と
交流したりすることが
楽しみとなっていました
だけどいつの間にか
外に出て楽しんでいることの
罪悪感と
Kの変わらぬ姿に
心から楽しむことができなくなり
家に帰った時には
笑顔がなくなっている自分がいました
Kの不登校と向き合う覚悟って
なんだろう・・・
いつどうなるという明確な答えがない
この状態がいつまで続くのか
先が見えない不安とのたたかい
不登校のことを調べました
いろいろな経験談を読みました
折れそうになる心を
ずっと支えてくれ
アドバイスを下さった方もいました
そして気付いたのです
そっか
向き合うのではなく
この事実をKをありのまま
受けとめる
手放す
認める
そして私が笑顔でいること
そのために楽しい時間を
思いきり楽しむこと!!
これが今のKと私にとって
良い関係性になるのかもしれない
そう思いました
そう思えた日から
私はKが学校に行くのかどうかを
毎日、聞くことをやめ
朝、起こすこともやめました
毎朝、中学校に電話するのも
気持ちがしんどくなっていたので
正直に担任の先生にお伝えして
学校に行く日があれば
その時だけ電話するということを
伝えました
そして私は
毎朝、元気に仕事に行く!!
Kから話しかけてきた時に
話しを聞く!!
しばらくはただKが動きだすことを
根気よく待つこと
裏では・・・
何かきっかけになるような
動きだした時に
受け入れてくれるような場所を
探しておこうと
私も動きだしました
適応指導教室というものが
市町村で設置されていることも知り
適応指導教室に通った日数は
在籍校の出席日数として扱われるということも
知りましたので
早速、住んでいる地域にもあるのか調べて
私の住む市では
「フリールーム○○○」という名称で
教育支援センターが窓口ということもわかり
相談に行きました
教育委員会の管轄になるので
ここに通うには
中学校で申請手続きも
いるということでしたが
フリールームの先生は
とても優しくて
まずは体験に来て下さいと
言って下さいました
当時、このフリールームの場所が
私が仕事をしていた施設の
すぐ近くだったので
Kにも話しをして
私が仕事に行く時に
一緒に行ってみないかと声をかけました
Kの返事は
「そんなとこ行くくらいやったら
中学校に行くわ〜!」
でした
そんなとこって
どんなとこかも知らんのに・・・
中学校に行くわって・・・と
思いましたが
提案だけはしてみたので
そのまま様子を見ることにして
月日が流れていきました
そしてずっと学校には行けないまま
中学3年生になりました
担任の先生が
ラグビー部の顧問の男性の
先生になりました
Kの反応はというと・・・
「え!!仕組まれた〜
」
というのが第一声でした
Kにとっては
ラグビー部の厳しい先生で
学校に登校させられる!!と
思ったのかもしれません
この3年生の1年間は
Kにとっても私にとっても
今となっては
良い経験をしたといえる
1年になりました
この続きはまた次回に・・・


