こんにちは、亜希です



先日、夫が連休明けの仕事始めの日に

ふと思いついてラインしてみました



初日だよね、お仕事お疲れ様!

いつも稼いでくれてありがとう



で、なんて返事があるかな〜

とワクワクしていたら




どういたしまして、ありがとう!

と即レスが返ってきました




実は、私は人生で初めて

《稼いでくれてありがとう》

と夫に言いました




今までの私にとって

《夫が稼いでくれている》はNGだったのです



夫が稼いでいる

↓

私は夫に養われている

↓

私は自立していない

↓

そんな私には価値がない

生きる資格がない




無意識のなかでは

この構図が出来上がっていたので


私は自立しなければならなかったし

人に養われるような人ではいけない


と思って生きてきました




でも、無意識だから

当時は自分でもよくわかっていなくて



自分の認識では

稼いでもらっているではなく


いや、私も働いて稼いでいるし!




夫には子どもたちを養ってもらって


自分は自分と家族の将来や習い事等の

お金を稼いだらいい

(あくまでも自分は養われていない)


と思っていました




私の中で《自立》はやるべきこと

やって当たり前のことになっていたので

(やらないと消えるくらいの危機感覚)



誰かに養われるなんてとんでもなくて


自分なかでは「養われていません」

みたいな理屈になっていたし




自分が仕事を辞める想定もないから

育児家事との両立がつらくても


仕事を変えるとか辞める、休む等の

選択肢はなかなか出てきませんでした




《自立していない》

ことがとんでもなく怖い一方で


《自立している》

と思える状態の自分なら


条件付きで、許せたのです




なんでそんなに養われたくないのか

なんでそんなに自立にこだわるのか

(結婚はしているのにw)


気づいてからは

自分に何度も尋ねてきました




「自立していない人って誰ですか?」

と聞かれた時に


目の前に浮かんだのは

重度自閉症のきょうだいでした



誰かの助けを得ながらでないと

自分1人では生きていけない


生まれた頃から私はその様子を見てきました




多動があったから

行方不明になったことも


窓から落ちるんじゃないかと

思ったこともありました


親が大変そうだったのも長年見てきたから




私まで…

親に大変な思いをさせてはいけない


私は《自立しなければ》

《自立した私》であれば


両親に愛されると思ったし


それが、子どもの私が自分が生まれ育った

家族のなかで選んだ立ち位置でした




その思いの1つ1つに気づくたびに

受け止める、感じることを繰り返して


今の私は、養われてもいい

と思うようになりました




それに、移住してからは

別居でありながら養われてもいます



養われても、働くのをやめてみても

私は私のまま今を生きられている


価値がなくなることはなかった

大丈夫だった



やっぱり私の思い込みだったと

実体験をもとに、確認をしたかったのです




休んでもいい、やめてもいい

誰かを頼ってもいい、助けられてもいい


それなのに…


私が自立しない自分はダメだと

無意識で、頑なに思い込んでいただけでした



そうやって自分の思いを無視して

どんな時も働くことを強いてきました



〇〇な私でなければいけない

それは過去の自分が無意識に採用したことで


条件付きの自分でいなくても

自分の価値が失われることなどないのです




《いつも稼いでくれてありがとう》


素直に軽く言えるようになったのは

私の内面が先に変わったからです

  


自分の中の無意識のルールが


〇〇でなければいけないから

どちらでもいいになる




気がついたら

自分が軽く楽になっていて


生きづらさが1つずつ

ひっくり返っていくような感じです





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ここまでたどり着けました

 

※名前を《せり》から変更しました