恋する「わたし」の攻略本

 

付き合う前の男女の独特の、

あの湿度を帯びた空気って一体なんなんだろう。

というか何故「湿っている」のだろう。

 

カラッとした笑顔や、カッとした怒りは

一瞬で発散されて、

前に進むエネルギーに感じるのに対して、

 

嫉妬や羨望、

うじうじ、もじもじといった感情は、

心や体にまとわりついて、どこか湿っていそうだ。

 

これってアジアの湿潤な気候が

関係しているのだろうか。

恋における謎の現象について思いを巡らせる中で、本書と出会った。


『恋愛のディスクール・断章』は、

恋する「わたし」の心の中で湧き上がる

言葉の数々や繰り広げられる感情の断片を、

一種の型(フィギュール)として紹介した書籍である。

 

「ディスクールの語源は、

あちらこちらと走りまわることを言う。

(中略)

たしかに、恋する者はたえず

心の中で走り回っており、

新たな奔走を企て、

自身に対する策謀を

めぐらしつづけてやまない」とある通り、

 

引用される文章は、

ゲーテの『若きウェルテルの悩み』をはじめ、

ニーチェ、プルースト、禅など、

古今東西の「恋」にまつわる思考を網羅している。


例えば、自身の恋慕を隠すこと、

「自分の愛を打ち明けるべきかどうか」ではなく

「自分の熱狂、欲望、悲嘆を

どの程度に隠しておくべきか」についての項目は、

「黒眼鏡」という型として紹介されている。

 

そこではデカルトの言葉を交えて

このように引用されている。

「相手の気づいていないことが原因で、

わたしは涙をこぼす。

涙をこぼすのは

恋愛中の肉体にはごく正常の活動である。

そして、そのことが知られぬよう、

涙のたまった眼に黒眼鏡をかけるとしよう。

(中略)

矛盾したことだが、

やさしく問いかけてもらいたいと思ってもいる

(「いったいどうなさったの」)。」

 

なんと、デカルトも湿っている。


 自分の気持ちに素直になって告白して、

付き合ってしまえば、

関係にはひとまず名前がつく。 

 

しかしその直前には、

名前のついていない感情だけが

二人の間に漂っている。

相手との間に起きた小さな出来事が、

心の中で何度も再生され、

解釈され、言葉になり蓄積していく。

 

恋愛の「湿度」とは、

まだ形になっていない気持ちが

水蒸気のように湧き上がり

結露している状態なのかもしれない。

だから、付き合う前の恋愛は、妙に湿っている。


本書は、

相手の心を攻略して手に入れるマニュアルではない。

恋によってあちらこちらと走り回り、

勝手に湿っていく、自分自身の心を

読み解くための、恋する「わたし」の攻略本だ。


 

10月の本(M2)/私の●●攻略の本

『恋愛のディスクール・断章』(ロラン・バルト/三好郁郎訳、みすず書房、新装版第1刷2020年)