最期の時をどのように過ごすのか〜情報〜 | くらしをととのえる

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広島のマスターライフオーガナイザー 井手本亜希です
元・片づけられない女、今はライフオーガナイザーです
たくさん読んだ収納の本、たくさん買った収納グッズ、
それでも片づかなかった家が片づいたのは・・・
ライフオーガナイズとの出会いでした


こんばんは。広島のライフオーガナイザー 井手本亜希です。

久しぶりの更新になりましたが、ご覧いただきありがとうございます。

ここ数日、広島市は青空が広がるようになりました。

今年の夏は毎日雨降りで、朝からパラパラと雨が降っていたり「あ、今日はいい天気かな?」という日も午後からは急に雨が降ったり、なんだかスッキリしない日が続きました。

先週末から、やっと「いい天気だなぁ。」と思える日がボチボチ出てきました。

素直に嬉しいです。


さて、ずいぶん間が空いてしまいましたが・・・


先日から記事にしている


『最期の時をどのように過ごすのか』


今日は、3つ目~情報~について。

(過去の記事はこちら→もの 時間


父が大学病院からホスピスに移った頃、私に頼んできたのは「お中元の手配」でした。


正直「えーーーっ!こんな時にーーー・・・。」と思いましたよ。

でも、どうしても手配してほしいという父から手書きの名簿を受け取り、父の故郷の岡山の白桃をいつもの農園に手配しました。


手配が終わったことを伝えると、他の名簿もゴソゴソと出しはじめ

「桃の手配をした名簿と、この名簿をデータにしてほしい」と、言いました。


私は父の病室に付き添っているとはいえ、何でも父が自分で出来るので時間も空いていましたし、他にすることもないのでPCを病室に持ち込んで名簿を打ち込んでいきました。


父が若いころに仕事でご一緒した取引先の方をはじめ、長い会社員生活でお世話になった多くの方のことを聞きながら打ち込む作業は、父の仕事のことを聞くこともでき思いの外楽しい作業になりました。


ただ・・・その時は気づきませんでしたが、その名簿は「自分が亡くなったことを知らせてほしい方」のリストだったのです。



お盆を迎えるころ、少しずつ容体が悪化した父は自分の部下に伝えていたそうです。


「もしも、会社がお盆休みの間に万が一のことがあったら会社関係の方に連絡がつかないだろうから、リストを作ってあるので宜しく頼む。」


・・・と。


このことは葬儀が終わった後で聞きました。


その方も「いや・・・さすがに”お任せください”という訳にもいかず・・・。」と、お困りの様子でしたが。


生前、父が葬儀のことを話していた時に


・会社の葬儀(社葬)ではなく家族で葬儀をしてほしい

・お世話になった方に失礼のないよう、きちんとお知らせしてほしい


そんなことを言っていたので、会社関係のことが分からない私たちのために、お願いしていたのでしょう。


そして「もの」にもつながりますが、自分の持ち物が家のどこにあるのか、どういった保険に入っているのか、株などの有価証券類はどんなものを持っているのかを整理していました。

私に「リストを作ってほしい」と言った時には、手書きで整理されたリストと「誰に連絡をすればよいのか」分かるように、各担当者の名刺も一緒にしてありました。


その時は「そこまでしなくても!」と思いましたが、父が亡くなった後の相続手続きがあまりにも大変で、きちんと整理されていなかったら・・・と思うとゾッとする思いでした。


あちこちの金融機関や法務局などに行き、相続の手続きをするのは本当に大変なことでした。

私はそんなに財産とかないし・・・と思っていても、銀行口座やカード類だけでも色々な種類があります。

どこにどれだけあるのか明確にし、不要な口座やカードは日頃から作らない、整理しておくことが大切だなと思います。


そして何より自分(父)が伝えたいこと


『どんな風に人生を送ってきたのか』


ではないでしょうか。


父は日頃口にすることはありませんでしたが、子どもの頃からとても苦労をした人生でした。


父を知っている人は、家庭を持ち、マイホームを2度も建て、仕事をバリバリして(一般的に見ると)成功し、テニスやゴルフをしたり海外に行けばシュノーケリングを楽しむ・・・とてもいい人生だね、と言ってくださいます。


ただ、そこまでになるには本当に血のにじむような努力が必要だったことと思います。


岡山の田舎に8人兄弟の末っ子として生まれ、中学2年生の時に父親を事故で亡くし、経済的にも恵まれない中、奨学金で高校を卒業したそうです。

もちろん大学などに進学することなく広島で就職し、親戚もいない中で頑張ってきたようでした。


私が物心ついた頃には、とにかくいつも忙しくしている人でした。

あちこち出張が入って「日本には帰ってくるけど、家には帰れない」なんてこともありました。

(初孫である私の息子が生まれた時も、ちょうど生まれたその日から出張で顔を見ることが出来ず・・・。)


今考えると勉強になるなぁと思うのは、その時の時間の管理と荷物の準備。

荷物はスーツケースを2つ準備しておき、1つは持って出国して、もう1つは帰国した際に宿泊するホテルに日時指定で送っていました。

帰国後ホテルで新しいスーツケースを受け取り、持って帰ったスーツケースはその場で自宅に送る。

そんな風にして、なんとか乗り切っていたこともありました。


そんな忙しい父でしたが、ぐうたらな私と違い「ヒマ」を嫌い、時間が空くとトレーニングジムに行ったり、テニスサークルで練習したり、家ではガーデニングをしたりと色々な趣味の時間を楽しむ人でした。


出張の移動中にはよく本を読んでいたようで、しょっちゅう私に「この本読むか?」と貸してくれていました。

明らかに私の方が時間に余裕がありそうですが、前に借りた本を読み終わらないうちに次を貸してもらうこともよくありました。


「本当に1日が同じ24時間なのか?」


父を見ていると、いつもそんな風に思っていました。



本当に若いころから歯を食いしばって上を目指して頑張ってきた人生だったと思います。

その反面、傍から見ると仕事仕事・・・の人生のようですが、忙しい中でも十分に余暇を楽しんでいたのではないかと思います。


なんでも完璧を目指した父が、残された時間を使ってきっちりとオーガナイズをして旅立った姿。

その後、ライフオーガナイザーを志した私に大きな影響を与えてくれました。


今、私が名乗っているのは職業としての「ライフオーガナイザー」です。

目標にしたり憧れているオーガナイザーの先輩方は、何人もいます。



ただ、本当の意味での


『ライフオーガナイザー=人生(ライフ)を整える人(オーガナイザー)』


の目標は、私の父です。


父のように、自分の人生にきっちりと片をつける(=片づけ)ことが出来るよう、これからも精進したいと思います。


長くなりましたが、最後までお読み頂きましてありがとうございました。


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