
「東大生を育てた母親の子育て法」として
親が子どもに残せる最高の財産は『教育』であるを理念として
『子どもの持ち味を伸ばす』ための子育てのヒントを書いています。
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息子は、県内唯一の私立小学校へ通っていました。
息子は小3の3学期の間、不登校という選択をして、
学校へ行きませんでした。
何故、不登校という選択をしなければならなかったのか?
息子が小3に上がり、担任教諭は6年生を任されることが多い
信頼できるベテランの女性教諭でした。
ところが急に体調を壊されて、
2学期から休職されることになったしまったのです。
私立学校は公立学校のように非常勤講師の登録制度がないため
(知能教室の先生曰く)後任探しは、
退職された先生、または先生方の伝手、
教員免許があっても教職についていない人等に
声をかけて探したのだと思われます。
そこで苦肉の策で白羽の矢が立ったのが、
小学校の付属大学の教育学部を卒業した方ですが、
指導者としては全くの素人同然のような方が
担任教諭になってしまったのです。
急なことで仕方ない、無理もない、どうしようもない
けれども、本当にひどすぎました。
これは、全て小3の息子が話してくれた内容です。
<授業内容>
算数の授業は、ひっ算の掛け算でした。
ひっ算の掛け算をする際に、掛け算をしたのち足し算をして
繰り上がりの数字を仮として小さな数字で覚え書きする時。
普通は計算途中のそばに、他の数字と間違えないために
小さく2とか5などと書くように指導されます。
ところがその方は、どこに書いたらいいか多数決を取り、
多数決で、計算式の外に書くことに決まったのです!
息子 「お母さん、先生は普通、みんなが間違った答えを言ったら
正しいやり方と間違ったやり方を比べて、正しいやり方の方が
良いことをみんなに教えるのが先生だよね。
多数決で、こんな間違ったやり方にされたら、ボク困るよ。」
授業は普通、1単元を1回の授業が終わるように
授業計画が立てられます。
その方は、1回の授業で1単元が終わらないので、
時間になると途中で終了して、次の授業はその途中から始める
という区切りのない授業をするのです。
息子 「お母さん、今までの先生は1回の授業で、
その授業がちゃんと終わったから
勉強が解りやすかったのに、
今は途中で終わって、途中から始まるから
しっかり覚えられないよ。」
その方は授業計画がしっかり立てられないし、できないので
すぐ誕生会、お楽しみ会等をやってばかりでした。
息子 「お母さん、またお楽しみ会があるんだよ。
お楽しみ会ばっかりやってるよ。」
<生活指導>
給食のカレーライスのお代りは、今までは何もルールはなかったのです。
ある時から、悪ガキども(勉強をしたくない子たち)とその方で
勝手なルール(完食してからお代りをする)が決まっていて、
そんなことを知らない息子は、帰りの会で吊し上げられたのです。
息子 「お母さん、カレーのお代りの仕方が勝手に決まっていて
ボクはそんなこと知らないから、いつも通りにお代りをしたら、
帰りの会でルールを守らなかった人って言われちゃったんだよ!」
みんなが、紙飛行機を飛ばす遊びを始めたのですが、
紙飛行機が、教室に散乱するということからでしょう、
他の先生方から注意されたのか、急に禁止が決まったのです。
息子 「お母さん、紙飛行機飛ばしが急に禁止になっちゃたんだけど、
普通は、散らかるとダメだから、どうやって遊んだらいいか
みんなで話し合うよね。そうやって決めればいいのに!」
実は、これはほんの一部なのです。
私はこれらを聞いて、このままではいけないと考えて、
教頭先生に話を聞いて頂くことにしました。
私は、ただのクレーマー(モンスターペアレントという語彙はなかったので)
と思われたくなかったので、息子を連れて行き、
息子から直接話をしてもらいました。
話を聞いた教頭先生にも、大変なことになっていることが
分かって頂けて、算数の授業だけでも教頭先生に
やって頂けることになりました。
でも一時しのぎであって、教頭先生の授業以外は、
学級崩壊状態、無法地帯と化してしまいました。
その方にすれば、息子だけが醒めた目で
授業のやり方、学級運営を冷静に見ていたため疎ましくて、
息子のことを悪ガキたちと共に疎外していきました。
12月の学級懇談会が行われ、私はとうとうこの問題を議題にあげました。
ところが、悪ガキの親たちは何と
「こんなにも良い先生は、今までいなかったわ。
うちの子がこんなにも学校が楽しいなんて、
今まで言ったことなかったんです!」
それはもう、楽しいはずですよね。
毎日勉強をほとんどしないで、遊んでばかりいるのですから。
さすがに、私は呆れ果て言う言葉がなく、
息子をこんな無法地帯に行かせている意味がないと思いました。
息子とも話し合い、夫も勿論行く意味がないという
家族の意見がまとまり、
3学期から学校へ行かない選択をしたのです!
これによって息子は、その方のやり方に
同調したクラスの仲間たちに
愛想を尽かしてしまったのです。
この時息子は、
こんなクラスの仲間たちと中学も一緒に居たくないと、
中学受験を決意したのでした。