昨日のこちら
(愚痴)について書いたところ.....
自分の姿を省みるキッカケになりました
と
反省モードのお手紙が山ほど
別に道徳の授業じゃないんだもの
反省する必要なんてないのよ!
でもこれらのお手紙をじっくりと読んでいて気がついたことがある
聞いていてもう耳を塞ぎたい!もう辞めて!
という愚痴と
身を乗り出しうんうんと聞いてあげたい話
同じ愚痴でも二種類あるってこと
めっちゃ大きく違うやん!
昨日の記事に書いた縁の切れた子供時代からのお友達
彼女の愚痴は本当に何十時間以上は聞かされたわよ
未だに思い出すと本当に嫌〜な気持ちになる
その時の彼女は自分の大変さに溺れていて
聞き手である自分の友人がどんな気持ちでこの話を聞いているのか?聞き手の人生はどうなっているのか?聞き手の人生の大事な時間を無駄に使わせている、という想像力が一切合財欠落していた
わたしも嫌いな人の多くが
周りの人に対する想像力が欠落している人なのかもしれない
少しでも気遣いや思いやりを見せてくれたら
全然違ったと思う
またこういう愚痴を撒き散らす人って実際に
(現実を変えよう)というパワーを全く感じない
最初はみんな親身になって色々聞いてあげてアドバイスもしたのに....
全く現実を変えようとしないのよね
ぐちゃぐちゃといかに自分が大変なのか!
いかに自分がプレッシャーの中にいるのかを壊れたレコードの様に繰り返していた
彼女が少しでも自分の話を聞いてくれている子供時代からの友人
なんならお昼ご飯とかもサクッと奢ってくれる
その人には生きる上で重圧がないのかしら?そういう思考が少しでもあったのならば......
聞いていて嫌じゃないお友達の愚痴
わたしも仲良しのDは他人に愚痴るのが天才的に上手い
特に彼女が辛い恋をしていた時には
その辛い事件をブリジットジョーンズ張りのネタにしてよく話してくれた!
Dの凄いところは聞き手の負担にならない様に愚痴ってもサラッとタイミングをみて話題を変える
ずっと延々と同じ話しをすることはしなかった
そして何よりも彼女は現実を変えるために出来ることはやっていた
こうやって前を向こう、何かを変えよう
そう努力している人だったら
(辛かったら愚痴っていうのよ!)
(一緒に飲みに行こ❤️)
そんな風にいう友達が彼女の周りには自然に集まった
同じ愚痴でも単なるゴミになる人と
そこから先の友情に繋がる差というのは
聞き手に対しての思いやり
この差なのかもしれない ね
どんなに自分が辛くても
周りにいてくれる人に対する愛を忘れた瞬間にその関係は破綻するということなのかしらん

