以前ポテサラ論争もありましたね。
スーパーでポテトサラダを買う女性に年輩の男性が「ポテトサラダくらい買わずに自分で作ったらどうか」と言ったとかどうとか。
今回は家族に「今日は簡単にそうめんでいいよ」と言われた主婦が「簡単じゃないわ、簡単って言うな」と言い、それを見た人々が「いや簡単だろ」「いや重労働だ」「ああだ」「こうだ」と論争になっているという。
これね、イチ主婦として言わせてもらえば、実際簡単かどうかなんてどうでもいいんですよ。
「簡単でいいよ」
「〜でいいから」
ていう言い方がムカつくんですよ。
リュウジも言ってますが
〜でいい
と
〜がいい
は
言い方だけで天と地の差なのです。
えー
感情論です。
感情しかないっすよ。そんなもん。
やる気元気乗り気がある時なら切って焼いて蒸して煮て〜な作業量作業時間がもりもりでもぜんぜん苦痛じゃない。むしろ楽しい。なんならストレス解消にすらなります。
けどね、やる気元気乗り気がゼロのとき、マイナスの時もあるわけです。
それでも夫や子どもにティッシュに醤油でもかけて食っとけって言うわけにもいかない、なんとか「食事」らしいものを用意せねば……というときがあるわけです。
家族もそんな雰囲気はわかるのでしょう。
おそらくは気を遣って“簡単なそうめんでいいよ”という発言になったのだと思われます。
けどね、そんな言われ方をされたら
「簡単だと思うならおまえが作れや!簡単なんでしょ?じゃあ簡単に作ってくれよ」
と思うわけです。
「そのくらいやってよ」
と言われたら
「そのくらいって言うくらいならおまえがそう言ってる間にもちゃちゃっと作ればいいんじゃないでしょうかねえ?」
って思うわけです。
「で、いい」
て言い方も。
妥協して、我慢して、そうめんでいいって言ってくれてるわけですか。
作ったところで「そうめんごときで満足はできないし嬉しくもありがたくもない」と思われるわけですか。
はいはいそーですかすいませんねぇご希望に沿えませんで。
そんなひねくれたものの捉え方をするなんてこれだから主婦は、と言われるかもしれませんが、思うだけですよ、たいていは。
イラっとしながらもそうめん茹でますよ。
茹でるためのお湯を沸かしてる間にそれこそちゃちゃっと肉焼いたり薬味や付け合わせを用意もします。
やりはじめたら作業がひとつふたつ増えるなんてたいした手間じゃないんで。
こんなの感情論ですからね。
暑い夏に熱い鍋の前に立つのは、それだけでしんどい。
しんどいっちゃしんどいけど、難しくはない。
言ってしまえば簡単ではある。
けどね、それをひとに言われたくはない。
ごはんの用意なんて毎日のことで、朝昼晩やってることで、1回1回はどうってことない。
毎回「大変だー」なんていちいち思ってないし、毎回感謝しろとも思ってない。
お湯沸かして2分茹でて流水であらってしめて、めんつゆと薬味出しとけばとりあえずオッケーなそうめんが簡単なのはそりゃそうです。それ単体で言えば。
だから作る方が「今日は簡単にそうめんにしちゃった」と言うのはいい。
作ってもらう方が「簡単」よばわりは、バカにしてるでしょう?って話なんですよ。
料理じゃなくても、頼み事をするほうが「そのくらいやってよ」て態度だったらムカつくじゃないですか。
じゃあ自分でやれよ、って思うじゃないですか。
身内だとしても、身内だからこそ、ひとの労力を軽んじたらダメでしょ、ということです。
(ひるがえって、働いている人が自分で「つまらん仕事しかしてない」「誰でもできる仕事だ」と言うのは謙遜や愚痴としてアリだけど、他人が言ったらアウトだし、あげつらうなんてもってのほかだよね、ということでもあります)
ひとのやることを「簡単」と言うのは失礼ですよ、ってことでしかない。
敬意を表してたら、出てこない言葉です。




