るいが私の幸せ 何よりも るいが一番大事 るいは私の命
自己陶酔型の自己満足な愛情は、伝わらなくて空回りする。
「あい、へいと、ゆー!」のたった一言でアメリカ行きを決める安子は、雪衣さんと勇ちゃんの情事の気配に逃げ出したサンタの妹だ。
そのタイミングで黙ってお金を持ち逃げすることがどれだけたくさんの人に迷惑をかけ、心配させるのか、サンタは考えない。
雪衣さんにフラれた!
失恋した!
大好きだったのに!
悲しい!
道化だ!!
自分の悲しい気持ちだけしか考えられない。
安子も同じだ。
たちばな再建のために何年もかけて貯めた大事なお金、たったひとり残った血縁の兄、なくしたら困る。探さなくちゃ。
探しに行くのはわかる。
だけど、何日探し続けてるの?
手がかりもなく、勘とロバートさんを頼りにして。
見つかりそうな気配もないのにやみくもに歩き回るのってなんの益があるの?
‘やってる感’出したいだけじゃない?
むかしサンタが家出したときは探しに行かなかったくせにさ。
というか、ロバートさんに会いたいだけじゃないの?ってゲスく勘ぐりたくもなる。
るいちゃんからしたら、そうとしか思えない。
小学校入学直前、ランドセルは孫に甘いじいじが買ってくれたとしても、母親なら、髪留めなりりぼんなりえんぴつや文房具なり、子どもと一緒に入学準備しながら「一年生楽しみだね」「小学校楽しみだね」「大きくなったねえ、嬉しいね」ってきゃっきゃうふふするもんじゃないの?
口では「るいがなにより大事」と言うけれど、安子はずっとるいを大事にしてこなかった。
いつか自分の力でるいの傷を治療したい。
いつかおはぎを売りながら自分の稼ぎでるいを育てたい。
自分自分、自分。
安子はるいではなく、自分のやりたいようにやっているだけ。
自分の希望のためにるいを泣かせることはあっても、るいの頼みはきいたことがない。世話になっているキジマのお義父さんや勇ちゃんや雪衣さんに「すみません、ありがとう」と口では言うけれど、彼らの言うことに耳を傾けたことはない。
反対されようが迷惑をかけようが悲しませようが、英語の勉強はやめなかったしおはぎも作り続けた。
苦労はしたけど、自分で好き好んでやってた苦労も多い。
いや、いいよ。
母親になったからって自分の生き方を曲げることはない、子どものために自分の人生を捧げなくったっていい。
自分の夢、自分のやりたいこと、やったっていいと思う。
女だからって献身的な生き方しなくたっていい。
だけど、そりゃ、子どもに「嫌い!」って言われても仕方ないよ。
なんでそこで「だけどお母さんはるいが大好きだよ」と言えないのか。
なんでそのあと話し合うこともなく、釈明もせず、真意を問いただすこともなく、子どもの前から去ってしまうのか。
6歳やそこらの子どもがショックを受けて親に暴言を吐くなんて、普通のことだ。
言いすぎちゃったかな、仲直りしたいな、でもやっぱり許せないな、だけどやっぱり好きだな……
家族ってそういうことの繰り返しでしょ?
なのに居なくなってしまったら、言ってしまった言葉がずっと痛み続ける楔になる。
言われた安子は傷ついただろう。
だけど、言ったるいも傷ついた。
額の傷よりも、もっともっと深く。
母親と一緒に居たかったるい。
母親に入学を祝って欲しかったるい。
大好きな母親とじいちゃんとおじさんとみんなで暮らしたかったるい。
理解ある義父は、安子が実家の商売をしようと妻(美都里)が嫌がった英語を続けようと許してくれた。
キジマの嫁なのにキジマの家業には目もくれず実家たちばなばかりでも許してくれた。
再婚もしなくていい。金太もサンタも世話してやる。るいの治療費も出す。
こんな好条件な境遇で、安子は自分のワガママを通して勝手に苦労した。
安子は悲劇のヒロインぶってるけど、雨の中で倒れるような自分が好きなんだと思う。そういう劇場型の女。
「今日はるいの入学式!」って、そんなのずっと前からわかってたことでしょう。「あたたかく見守ってやりたい」と言うけど、それを実行してたのは千吉じいちゃんだから。
るいのため、と言って自分がやりたいから、るいをキジマの家に置いて、別居しようとした。
誰もそんなの頼んでない。
それがるいの幸せに関係があるかどうかもあやしい。
そうしたかったのは安子で、るいじゃない。
るいの目線では、安子は自分よりたちばなが大事な人、自分の入学式の日にアメリカ人の恋人とイチャついてた人だ。
