悲しい別れが現実になった話(長文) | レビの 雲と夢と体感 備忘録

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今の家に引っ越してきたのは小学校5年生の秋。

それ以来、親しくしていたKさん一家。

近所付き合いをしなかったKさんは、なぜか母と意気投合。

それ以来家族ぐるみの付き合いをしてきた。

音楽会に一緒に行ったり、おばさんの実家に一人で遊びに行ったり。。

 

そんなおばさんが今年に入って体調不良を毎週言っていた。

豪華な新年会でも食事ができなかったこと、2月の誕生日も食が進まなかったこと。。

検査結果「スキルス」と診断されその後は自宅で療養することにしたとメールが来た。

 

と言っても、母は6月末までは誘われて時々一緒にお喋りを楽しんでいた。

夏の暑さもあったのか腹水がひどく段々寝込むことが増えていき母も面会できなくなった。

 

6日の日曜、娘のMちゃんが「急にスイカししか食べられなくなった」と連絡してきた。

そして9日の夕方「もうそろそろ‥と言われたので今のうちに会いに来て」と呼びに来た。

すぐに母とお邪魔した。 随分やせ細って大きな瞳がギョロッと一段と大きく目立っていた。

酸素吸入して、声を出す元気もなくただこちらを凝視し何か言いたそうに、

そしてしんどそうに顔を左右にふっていた。

 

母が足をさすったり、腹水で大きくなったお腹をなでたりすると気持ちよさそうに目を閉じて微笑んでいた。

20分ほどその場にいてまた会いに来るねと言うと手をギュッと力強く握った。

 

私もご家族もしばらく元気でいそうだねと話していた。

翌朝、亡くなられたとの連絡があった。

 

私たちが帰宅した10分ほど後、呼吸が荒くなり2時間後に静かにみんなに見守られ生涯を終えたとの事。

翌日、納棺に立ち会ってほしいと言われ母と出かけた。

その顔はやっぱりきれいで「あら来てくれたの?」と言いそうな安らかな顔。

 

母は泣きじゃくり皆が母の体調を心配するほどだったが、

最期に会えたことはせめてもの救い。面会を次の日にしていたら後悔だけが残っただろう。

 

 

葬儀の日に歌った讃美歌は最近ふとした時に耳にした曲。

そして讃美歌405番を皆で歌った。

すべておばさんにつながった。

 

80過ぎてもスキルスって本当に急にこんなに悪化するのか。。

まだまだ叔母さんんと約束していたことがあったのに

コロナ禍で実現することはなくなってしまった。

 

 

おじさん、おばさんに助けてもらった母の命は3度の危篤を乗り越え

病気しがちでもまだまだ元気。

いつも元気だった叔母さんんが先に逝くなんて。。

 

今、こうやってブログ書いているとまた背中~腰のあたりが

誰かに触られているような感じ。おばさんかな?

 

 

本当に長きにわたりレビ家族に寄り添っていただきありがとうございました。

ただただ感謝✨

 

 

 

 

おばさんが見られなかった空