数秘ゆれ 夢の井戸より 光立つ @パウリの物理とユング心理学の共時性 | 翠雨★PTSD予防&治療心理学研究所

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心的感染症ですから、もはや万人にとって他人ごとではないのです。健康で自分らしく個性的に天寿を全うするためにPTSDを学びましょう✨







 



ヴォルフガング・エルンスト・パウリ


アインシュタインに推薦され


ノーベル物理学賞を受賞した物理学者ですが


精神不調に悩んだことから



みんなここから





 


カトリック教会を脱退してまで


— 離婚予定だったのか🤔宗派が違っていたのか…


結婚したのに


1年足らずで破綻


まもなく


— ニュートリノの仮説を提唱する直前でもあった。


深刻な精神的不調に悩まされた。



ご近所の



チューリッヒ近郊



ユングに遭いました。



分析という


心理学というより


— 知識


魂の学びの過程に入る。


— 弁証学



さすがは物理学者で



モノとこころ


色即是空 の哲学



すぐに自分の「元型夢」の解釈を始めるようになり


難解とされるユングの最高の生徒となりつつ


ほどなくして


ユング理論の認識論について科学的な批評を加え



直す者と直される者


教える者と教えられる者の


二元論ではない。



ユングの思想


特にシンクロニシティの概念についての


説明を与えるようにまで昇華すると



二人が行なった議論が


— 共同研究


パウリ=ユング書簡として記録され


Atom and Archetype(『原子と元型』)というタイトルで出版されている。



精神的不調は


いつのまにか消えており


社会的には再婚しています。



子どもは生まれなかったので


業界では


ユング(のような人)に会う前後に離婚するとか


— 共時性


子どもを残すか業績を残すかだとまことしやかに語られる。


 



パウリは


実験が下手で



その立場で一番大事なことが苦手とは


陰陽論的に


よくできています。



よく実験装置を壊していたので



無意識が


物理だけに集中するのではなく


心理にも親和性をもたせようと導いたのでしょう。



パウリが実験装置の近くにいるだけで


装置が壊れるという伝説が広がり


この奇妙な能力に対して


パウリ効果という名称がつけられていたそうで


まさに共時性の時間を生き



ユダヤ系のため


一時アメリカに亡命するなどあって





すい臓がんを発病し



お見舞いに来た助手に


「部屋の番号を見たかね?」



研究のなかに



【場所】病室の番号は 137


【自覚】生涯を通じて


微細構造定数


1/137 に近い値を持つのは何故かと


考え続けてきた。



58歳で没しました。



ユングとの共著のみならず



モノとこころの弁証学



パウリは論文より手紙のやりとりを好みながら



コピーや回覧で伝わっている。




現代化学の基礎となっている


パウリの排他律などを発見しました。


完璧主義なので



研究者は


「パウリのご裁可(sanction)を得る」



自己否定も徹底していて



自分が欠点を見つけた理論は


どんなものでも ganz falsch(完全な間違い)とレッテルを貼って酷評


しかも


[この論文は、間違ってすらいない


(正しいとか間違えているとかという次元にさえ至っていない)]」



AI時代を予測した


ジョークまで生み出したのは



「パウリは死後、天国で神への拝謁を許される機会を得た。パウリは神に、なぜ微細構造定数は 1/137.036... という値をとるのかと尋ねた。神はうなずいて黒板に向かい、すさまじい勢いで数式を書き殴り始めた。パウリは非常に満足げに神の様子を眺めていたが、しばらくして突然頭を激しく振り始め言った「全然まちがっている」…。」



ユング的ですが


元型のようなイメージが先行しているという見解の源流は


プラトンの思想からで


もともととても哲学的なのでした。



世の東西を問わず古くから


多様性を超越して


一体性を体験しようとする神秘主義があった。



西洋哲学一辺倒の時代に


ユングとともに


この二極が相補的であることを認める必要があるとして


「ケプラーの科学的理論構築に与えた元型的イデアの影響」を


記しています。



友人の物理学者のヴェルナー・ハイゼンベルクの著書


『限界を超えて』の第3章に要約されている



体験したデータから自然法則が引き出せるという経験主義ではなく


もっと純粋経験的に


ユングの元型の論の中に見出そうとしていたわけです。