今日は、高齢の親との時間シリーズを
お届けしようと思います
父の病院、母の施設へ
それぞれ週に1回くらい訪れています
父は先月、
わたしの子どもの結婚式があった日の夜中
救急搬送されて
しばらく集中治療室にいましたが
今週初めに転院したと連絡を受けました
集中治療室には何度か見舞いましたが
転院先にはまだ会いにいけていません
わたし自身が看病にあたったり
介護をしたりすることはありません
最初は、そのことがかなり心苦しく
罪悪感に苛まれていましたが
しばらく経った頃、
その気持ちを一旦しっかり感じきることにしました
静かに感じ続けていると
親の役に立たない
迷惑をかけてばかりの小さい自分
情けないこの役立たず、恩知らず
自分のことばかり考えている
と、罵ってばかりいるのに気づいて
ちょっと笑いがこみ上げてきました
あーーこれな、うんうん、と
昔から自分のことをそうやって
責めて意地悪し続けてきたなと
いまもまだやっていたんだなと
改めて認識しました
きっと、親はそんなこと
これっぽっちも思っていないに
違いありません(´-`).。oOシランケド
そして、もう恩知らずの役立たずのままで
いることにしましたw
その代わりに
自分がいまできることをしよう
しかも楽しんでしようという風に
他にも取り組むべきことが
山のようにあるので、、
いまに集中することで
いい塩梅に状況が整い
ここ最近のわたしは
深く心の充実感を感じて過ごしています♡
さらに、
こんなことを言うと
信じられない、、薄情過ぎる
と驚かれるかもしれませんが。。
親が病床に伏していたり
認知症が進んでいることは
ひょっとしたら
本人たちが無意識領域で
選んでそうしているのかもしれない
ということです
父の入退院のタイミングや
母が認知症に至るまでの経緯を
全体に眺めていると
どうしてもそんな気がしてくるのです
本人が
そろそろ治療を受けたい、とか
一旦家に帰りたい、とか
落ち着いたから慣れた病院に
転院したい、、とか
また、母は、お父さんの世話は
精一杯やれるだけやった
あとはあんたらに任せますと
心配や義務感を記憶しておく領域は
もう一杯です
と言いたげな感じです
親のそういう自然な
老いという変化を
こちらも自然に受入れていこうと
どこかで諦めがついたような
心境です
魂の故郷への旅立ちがいつなのかは
神のみぞ知る、ですが
その旅立ちは決して悲しいものではない
とわかってもいます
短い面会時間ぎりぎりまでいて
わたしがそろそろ帰るね
と立ち上がると
父は一瞬怒ったような
寂しそうな涙目でかすかに
ばいばいと手を振ります
また、母は
口では一緒に帰りたいと言いつつも
母がそれを選ぶ気が一切ないことが伝わります
そして2階のガラス越しに立って
わたしの車が見えなくなるまで
手を振ってくれます
お互い、寿命がいつなのかは
わからないけれど
親は親の人生を全うし
わたしはわたしの人生を
全うすべく
しっかり歩く・楽しく歩く
ただそれだけです(*^^*)
全ての恵みに感謝します
全ての気づきに感謝します
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.


