糾える縄 | ロンドンつれづれ

ロンドンつれづれ

気が向いた時に、面白いことがあったらつづっていく、なまけものブログです。
イギリス、スケートに興味のある方、お立ち寄りください。(記事中の写真の無断転載はご遠慮ください)

年齢を重ねるとわかってくることがある…。

 

そういうとき、「ああ、これはこういう意味だったのか」という格言があるが、やはり賢人の言葉には重みがあって、その中でも「時」というスクリーニングを耐えて残っている古い格言には真実が現れていて深い。

 

禍福は糾える縄の如し(かふくはあざなえるなわのごとし)」という言葉があるが、幸せと不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるという意味のことわざ。

 

良いことばかり、あるいは悪いことばかりは続かないという教えであり、失敗した時の励ましや、逆に幸運が続いている時の戒めとして使われることが多い。

 

そう、自分の70年ほどの人生をかえりみても、本当にその通り。

 

幸も不幸も、一人の人生の中で、本当に交互にやってくる。

 

嬉しいことも悲しいことも、良かったことも悪かったことも、飛び上がって喜んだことも悔しさに唇をかみしめたことも、あざなえる縄のように、交互にやってくる。

 

年齢を重ねれば、できていたこともできなくなるし、やりたいと思ったことの半分もできないことが多い。

 

しかしその衰えでさえ、自然の理であって、逆らってみたところでどうにもならない。

 

人生は長いようで短い。

 

本当にあっというまの70年だった。

 

これから先、何年あるかはわからないが、残りのわずかな人生、後悔しないように生きたい。

 

良いことがあっても喜び過ぎないように。悪いことがあっても悲嘆しすぎないように。禍福は糾える縄の如し、である。

 

 

残りの人生は、人を傷つけることなく、少しでも周りの人たちとの和を大切にし、なんらかの役にちいさく立ちながら、自分の人生も痛みや哀しみの少ない数年になる様に。

 

世界のそちこちで見かけるが、年老いて強欲なままで、晩節を汚すような老人にはなりたくない。

 

老人になったらもう、若い人の邪魔をしたり、自分がリーダーシップを取ろうとしない方が良い。醜く危ういだけであり、社会のためにならない。

 

 

若い人はまだまだこれから、今までの成功体験も失敗も、 泣いてきたことも泣いてることも、 全部、 超えていく時間がある。強大な「世界」にあらがうエネルギーもある。

 

 

老人は葛藤しながら生きる若い人を見守り、支えるだけでいい。

 

 

さあ、1週間後の羽生結弦氏のアイスショーが楽しみだ。

 

大阪市内だって迷うのに、一人で仙台のアイスリンクまでいけるかな。これだって、老人の冒険だ。 

 

あざなえる縄の「幸福」の方である。 「幸運」の方である。

 

このラッキーの後、不運や不幸がやってこないように祈っておこう。

 

 

美しいものを紡ぎだして私たちの心を豊かにしてくれるクリエーターであり、アスリートである羽生さん。

 

身体と心を大切にして、自分の生きたいように、自由に生きて行ってほしいと思う。