結弦くんと琵琶の音 ~天と地と~ | ショピンの魚に恋して ☆羽生結弦選手に感謝を込めて☆

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清冽な雪解けの水のようにほとばしる命の煌めき・・・
至高のアスリートにしてアーティスト、
羽生結弦選手を応援しています。

注意:この記事は長いです(;^_^A

 

 結弦くんの今季フリーの新プログラムがついにベールを脱いだ。タイトルは「天と地と」である。物語の主人公は「義」を重んじた戦国時代の武将、軍神とも崇められた上杉謙信公だ。

 

 戦いに対する考え方、美学、葛藤、その先にたどり着いた悟りの境地。謙信公の価値観に結弦くんは自分を重ねて演じたという。
 

 全日本という大舞台でいきなり初披露されたノーミスの演技は、凄まじい気迫に満ちていた。風雅な衣装に彩られた力強くも美しい舞の残像は白いリンクを色鮮やかに染め上げ、お茶の間アリーナにいてさえ、氷上に吹きわたる澄んだ風が感じられたほどである。

 

 

 冒頭、顔を上げた瞬間の見る者を射抜く鋭い視線。壮大な戦国絵巻の世界に一気に引き込まれた。あれからもう1週間も経つというのに、未だ「羽生謙信」は私の中から抜けていってはくれない。

 

 音楽には冨田勲氏が作曲されたNHK大河ドラマ「天と地と」と「新・平家物語」のテーマ曲が使用されているという。

 

 編曲を含めた結弦くんの作品をプロデュースする才能は相当なものだ。最も印象的だったのは、琵琶の音についての結弦くんの解説だ。

 



「最初の琵琶は、曲の流れが表しているようにある意味戦いへ行く準備と決意に満ちている感覚です」 羽生結弦*

「最後のスピン時の琵琶は、もともとあった音ではなく、曲と重ねた(このプログラムの)オリジナル。そこはコレオステップの時に、もう戦いたくはないのに守らなくてはいけないという意味で戦う気持ちや、最後に(上杉謙信公が)出家する時に自分の半生を思い描いているようなイメージで重ねてみました」 羽生結弦*


 原作「天と地と」(海音寺潮五郎作)で、謙信公は重要な場面で何度か琵琶を弾奏しておられる。以下は謙信公が琵琶を通して悟りの境地に至る場面を原作から引用させていただいた。

“この数年来のことだが、時々彼(謙信公)はおそろしい憂鬱感におそわれる。何もかもが空しく、何もかもがつまらなくなるのだ。なぜというとりとめた理由はないのに、その期間はかねてあれほど心の昂揚する戦争のことも、領内の政治のことも、信仰のことにも、何の感興もなくなる。


(こんなことをして何になるのだ。いずれ数十年の後にはおれは死ななければならないのだ。おれがどれほど武勲を立てても、善政をしいても、やがて人は忘れてしまうであろう。いやいや、永く人の心にのこり、追慕されようとも、おれにとってなんのかわりがあろう。おれはそれを知ることも、感ずることも出来ない、むなしいものとなっているのだ)“

 繰り返しおそってくるこの虚無感に、謙信公は(おれもなにか音曲が出来れば、こんな時は助かるのだが・・・)と思うのであった。

 

 そんな折、小田原北条氏の圧迫にたえきれなくなった関東官領上杉憲政公が謙信公を頼って越後に来られた。そして謙信公に琵琶や尺八、小鼓等の手ほどきをされた。
 

 以来、謙信公は政務の合間に練習に励まれ、琵琶の腕前は上杉憲政公をして「そなたには天分があるぞ」と言わしめたほどになられたという。

 「音曲の効果はあざやかであった。二、三か月毎にはおそってきていた憂鬱であったのに、その後はそれがなくなったのだ」 

「朝嵐」と名付けられた謙信公の琵琶は、米沢市の上杉神社内に収められているらしい。これは鉄砲の調達に堺を訪問された後、立ち寄った高野山の寺僧から、謙信公たっての願いで譲り受けた名器である。この琵琶との出会いは原作で非常に印象深く描かれている。


 高野山に入って四日目、謙信公は寺僧の一人が古製の琵琶を一面所蔵しており、時々楽しんでいるというのを耳にされた。かねてから名器と称せられるほどの琵琶をほしいと願っていた謙信公は、さっそくその寺僧に会って譲り受けたいと願われるも断られ、それではせめて一日だけ貸してほしいと頼み込まれた。

 


 翌朝、夜明けの霜気の中、弘法大師がひらいた高野山のうっそうとした杉木立の中に入り、謙信公は借りてこられたその琵琶を弾奏された。以下、原作より引用させていただく。

“・・・琵琶を抱き上げて調子を合わせはじめたが、最初の音から胸の底まで澄みとおり、顫音(せんおん=ふるえる音)とともに魂がふるえるように感じた。いつもとまるでちごう。稀代の名器であるにちがいなかった。高揚するものが心にあった。(中略)

 

厳しい寒気の中だのに軽く自在に手が動いて、次第に熱中し、いつか我を忘れた。実は空を流れる浮雲の上に坐しているような気持ちになった。上には朝の日のみなぎった青い空があり、脚下に風が流れている。いやいや、全身が気体と化して空にとけてしまい、琵琶の音だけが空を流れてどこまでもどこまでもひろがっていく気持ちであった。
 

どれだけの時間が経ったのだろうか、忽然として、胸にひらめくものがあった。
 

「天真独朗・・・・・・」
 

それと同時に、目の前の巨杉も、そのあたりの岩石も、はるかな山のいただきも、天も、血も、あらゆるものがカーッと明るくなり、ほとんど真白にさえ見えた。外部だけでない、自分自身がかがやきを発しているようにさえ思われた。朝日の光を反射してのことではない。(中略)


その輝きの中で影寅(謙信公)はなお無意識に弾奏をつづけていたが、ふと心づき、渾身の力をこめて、一気に四弦を弾き切り、声に出して言った。
「解けた!」“


 ・・・「天真独朗」とは最澄が唐で学んでいた時、道邃(どうすい)から口伝された仏語である。辞書には「無相の一念に悟入すれば、生死の別を離れ宇宙朗然とし、凡身そのままに大覚の域に達するということ」とあるが、「大覚」、すなわち悟りの境地に謙信公が至る場面と思われる。そこに琵琶の音色があったのだ・・・。


 こうしたことがあったため、謙信公は結局この琵琶を頼みに頼んで寺僧から譲り受け、持ち帰られた。

 


 この琵琶の名「朝嵐」は、謙信公がいらした春日山上で早朝の爽涼の中に弾奏するというイメージから名づけられている。


 こうした逸話を原作で読むと、結弦くんの編曲における琵琶の音の効果は、さすがと思える箇所である。
 

 また、最初の琵琶の音は、結弦くんによると「戦いへ行く準備と決意に満ちている感覚」だという。原作にも武田信玄との決戦を前に、川中島で謙信公が琵琶「朝嵐」を弾奏される場面が出てくる。以下、原作より引用させていただく。

“・・・この日、正虎(謙信公)は本営の幕舎を少し離れた。川中島が眼下に見渡せる位置に出て、草の上に熊の皮の敷皮をしかせ、琵琶を弾奏していた。


 澄み切った秋気の底に、下界のもの一切が洗いみがいたように鮮明に見えている。(中略)


 彼はそれらを眺めたり、銀色に光りながらうねっている千曲川にのぞんで建っている海津城に視線を転じたり、さらに大きくその目をはなって茶臼山の信玄の本陣を望んだりしながら、愛器朝嵐を弾奏する。時々、歌詞めいたものを口ずさむこともある。楽しげであった・・・“


 原作「天と地と」の中で、謙信公はまた時折、家来たちに「琵琶を弾いてきかそうか」と言って琵琶を弾奏してやることもあった。

 


 

 琵琶と言えば真っ先に思い浮かぶのは平家物語であるが、謙信公は石坂検校(けんぎょう)という琵琶法師に頼んで、平家物語を語らせたという逸話も残っている。原作においても、謙信公が冷たい風に吹かれながら比叡山を眺め、源平の昔のことを思い出される場面がある。
 

 結弦くんは「琴の音は『新・平家物語』の音を使っている」と語っている。上杉謙信公と琵琶や琴の音と平家物語はひとつの物語としてつながるものがあるのかもしれない。
 

 「戦国武将、武神、毘沙門天の申し子」と言うと豪壮なイメージだけがついてまわるが、謙信公はそれだけではない。琵琶以外にも笛、小鼓なども手ほどきを受け、謡曲、詩や和歌などもたしなまれたという。要するに、「戦う芸術家」である。
 

 原作「天と地と」の作者海音寺潮五郎氏も、謙信公についてこんなことを書かれている。
 

「彼(謙信公)ほど戦争が好きで、彼ほど戦争に対して芸術家が芸術制作におけるような興奮と陶酔のあった人はいない。彼が生涯女を近づけなかったというのも、芸術家の芸術に対する、あるいは宗教家の宗教に対する捨身と犠牲の感情である」
 

 ここまでくると、上杉謙信公と結弦くんがますます重なって見えてくるのだ。
 

 

 結弦くんにとっては演技だけではない。「試合」という戦いの場そのものが、芸術なのだろう。どう戦うか、どう勝つか。何のために戦うか。その戦いの美学は、謙信公の生き方と大いに重なってくる。
 

 昨年の全日本の試合直前、12月23日になかにし礼さんがお亡くなりになった。もう遠い昔の思い出でしかなくなってしまったけれど、ウン十年前、全国高校生作詞・作曲コンクールというものに私も一度、ピアノの弾き語り曲を作って応募したことがある。その時、私の作品を佳作に選んでくださったのがなかにし礼さんだった。心から御冥福をお祈り申し上げます・・・。
 

 そんな訳で、曲作りの難しさというのを自分の体験に照らし合わせて想像してみた。たとえある程度音楽の知識があったとしても、作曲・編曲となるとそう簡単にはいかないはずなのである。楽器を演奏できるというのとはまた別の話となるからだ。
 

 鼻歌のようにメロディーを思い浮かべることは簡単だが、それらを曲としてまとめるとなるとそう簡単にはいかない。思い浮かんだフレーズとフレーズを、いかに自然につなぎ合わせて流れをつくり、音楽的な起承転結をつくって最後に流れ着くか、という行程が本当に難しい。このあたりの創造力は私の場合、高校生の時点で人生の頂点に達したらしい。以降、年齢と共に残念ながら創造の泉は枯渇してしまった。


 結弦くんが楽器を習っていたという話は聞いたことがない。もしかしたら、実はピアノが弾けるようになっているのではないか!と思わないこともないけれど。それでも、独学で編曲を手がけるというのは、心底凄いことだと思う。
 

 結弦くんには間違いなく音楽的な才能があるのだろう。その昔は楽器を使わずコンピューターで作曲するということは考えられもしなかったけれど、今の時代ならば、結弦くんはそれを駆使して編曲のみならず、作曲もきっとできるのではないか。

 

 結弦くんはそのセンスも、そしておそらく音楽的な知識も、十分に持ち合わせているのではないかと思う。そうでなければ、複雑で繊麗な音の糸を紡ぎ、あのように典雅な一枚の絵巻物は完成しないからだ。
 

 編曲もいくつかのヴァージョンがあるということもまた驚きだ。機会があれば全部聞かせてください、とも思う。

 


 

 ところで、結弦くんの「天と地と」のあの美しい衣装についてだけれど、戦国武将の鎧兜というイメージで作られていないのはまた斬新なアイディアでもあり、幻想的で美しい和楽器の音の世界とよく合っていると思う。
 

 繊細な刺繍がほどこされた地の色は空色で、澄んだ雪解けの水に映った天に、花が咲き鳥が歌う雪国の春を連想させる。

 

 長い冬に踏み固められた根雪に光差し、軒先のつららが解けてきらきら輝き出す。梅も桃も桜も一斉に花咲く雪国の春は美しい。
 

 しかし、雪国にあってはその百花繚乱はまた、戦をはじめる季節でもあったのだ・・・。
 

 編曲、衣装、物語の解釈、すべてが素晴らしい「天と地と」のプログラム。芸術家「羽生結弦」の真骨頂を見たとも言えるのではないだろうか。

 

 あのプログラムにはまだ先がある。それを思うと楽しみは尽きない。
 

・・・・・・いやはや、書き出したら想像通りの長文になってしまいました(;^_^A これでも大分削ったのですが・・・。ここに書いたことはすべて私の個人的な感想ですので、どうか御了承ください。

 

 

遅きに逸した感がありますが・・・。首都圏の感染拡大が止まりません。検査数が減ることが予想された年末年始に少し落ち着くかと思いましたが、現実ははるかに厳しいものでした。

 

アスリートの感染も次々報道されています。本当に皆さん、後遺症が残らず完全に回復されますように。

 

医療・介護・保健所・・・・今、一体どんな状況になっているのでしょうか。ニュースなどで漏れ伝わることは氷山の一角で、実際はもっと厳しい状況になっていることは間違いないと思われます。最前線の皆さまには心から感謝申し上げ、とにかくこの状況が一日も早く終息することを祈ります。

 

一人でも多くの患者さんの命が助かりますように。

 

明日も結弦くんと皆さんの健康と幸せが守られますように。

 

結弦くん、本当に気をつけてください。

 

結弦くんも選手の皆さんも、どうかマスクの表面を触ったり、無防備に目、鼻、口を手で触れたりしないでね。

 

*結弦くんのコメント出典:

 

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