2015-16グランプリ・シリーズ、結弦くんの初戦、スケート・カナダが終わってしまった。昨晩帰国し、宴の後の余韻に浸りながらこの記事を書いている。
勝ち続けることと、進化し続けることは、一見同じことのようで実は矛盾している。そんなことを感じさせられた大会であった。
強烈な敗北の経験は、あるいは王者の進化に欠かせないものなのかもしれない。
「もしかしたら、パトリック・チャン選手がいるからこそ落ち着いていられるのかな。安心感というか張り合いがあるというような感じで。彼とまた一緒に競技ができるという嬉しさをかみしめながら、自分のことに集中できるようにしたい。」
結弦くんのそんな言葉で始まった今大会、男子のショート・プログラムは大自爆大会となり、波乱の幕開けとなった。
公式練習では非常に集中して見えた結弦くん。スプレッド・イーグルで挟んだ壮麗なトリプル・アクセルを完璧に決めた後のまさかの展開。
4回転トウループが2回転になり、ルッツの後に2回転を付けてしまった致命的な二つのミスにより獲得できた点数は、怪我からの回復途上で苦しんだ昨年のNHK杯より低く、まさかの6位発進・・・。
まさに悪夢のような出来事であった。フリーでは時々起きたハプニングにも、誰よりも冷静に機敏な反応を示してきた彼だけに、ショートで起きたこの衝撃のミスには観客も本人もしばらく呆然自失した。
しかし、トップの村上選手とは7・63点差、2位のパトリック・チャン選手とは7・56点差。結弦くんならきっとフリーで巻き返してくれるだろうと思ってはみたものの、王者として守りたかったもの、これまでの膨大な努力、それらがすべてあの一瞬で掻き消されてしまったかのような気持ちに駆られてしまった。
衝撃の展開から一夜明けた公式練習では4回転サルコウがなかなか決まらず、リンクには何度もジャンプの確認を繰り返す彼の姿があった。
体のコンディションも気合も十分好調に見えた初日から、ショートのミスでこんなにも変わってしまうのかと思うほどの迷いというか、集中仕切れない様子がうかがえたのである。
そんな中、パトリックの方は逆に調子を上げていく様子がうかがえた。
死力を尽くしたフリーは圧巻の演技であったが、結局、上海のワールドに続き、グランプリ・シリーズ初戦も銀メダルという悔しい結果を残し、結弦くんの2日間に渡る孤独な闘いは幕を閉じた。
ソチ以降、上海、スケカナと銀メダルに甘んじる結果となりはしたものの、だがしかし、いずれも真っ向勝負で負けた訳ではない。
結弦くんの側に何らかの問題が生じた時、100%に近い力を発揮できたライバルのみが彼を破ることができるというパターンである。
ただ、結弦くん自身は決して言い訳をしないアスリートであるだけに、悔しさは消えることはないのだろう。
とはいえ、ようやく公式戦のフリーで、2種類の4回転ジャンプと後半の4回転―2回転を着氷するという彼の目標が形になった大会であった。
ソチの後のさいたまで行われたワールドを思い出す。あの時もショートでまさかの展開からフリーで逆転の金メダル。
今回は金メダルには及ばなかったものの、3度の4回転ジャンプを着氷するという桁外れの目標の実現には多少の悔しさは必要で、ショートの悪夢はいわば、神様から課せられた荒療治的なものだったのかもしれない。
実は私には大いに反省しなければならないことがある。初日のショートの演技を観た後、遥か彼方のレスブリッジまで足を運んだことを一瞬、後悔してしまったのだから。
彼のあのような辛い姿を観る為にここまで来たのかと・・・。フリーで大逆転の末、2位になった時も、まだ嬉しさ半分、悲しさ半分であった。
ところが・・・最終日エキシビションの公開練習の時、私は心が震えるような光景を目にしていた。フィナーレの練習に使われていない空いたリンクの半分のスペースで、あれは突然のひらめきだったのか・・・。
彼は何かを考えあぐね、模索するかのように何度もジャンプの軌道に入り、やがて壮麗なスプレッド・イーグルで挟んだ4回転トウループと4回転サルコウを何度も着氷してみせてくれた。
敗北から一夜明けた朝、レスブリッジのリンクにいたのは、負けて落ち込むどころか・・・驚くべき速さで立ち上がり、なおも進化を模索する王者の姿であった。
こうした姿を見るまで、実は心のどこかで、私は彼に「勝ち続けてほしい」という個人的な願望を持っていたのかもしれない。そんな自分を大いに反省したものである。
滅多にない負け試合で、最初から最後まで、リンクの片隅から彼の姿を見つめることができた。ショートの失敗から始まった彼の苦悩を、同じ場所で一人の観客として共有できた体験は貴重な時間となった。
負けてなお、一心不乱にジャンプに挑む彼の姿を見ながら思ったことがある。私が見続けていたいのは、勝ち続ける王者ではなく、進化し続ける王者の姿だと・・・。
彼が何故、ソチで金メダルをとったのか・・・。それは神にフィギュアスケートの未来を託されたからに他ならないということである。
技術面では若い世代がどんどん4回転ジャンプを跳び始め、結弦くんを大いにインスパイアしていることだろう。
そして、芸術面ではパトリックというライバルを復活させ、また大いに結弦くんをインスパイアすることとなった。
彼の技術と芸術的センスを融合し、オールランドな進化のために必要なものすべてを開幕戦に揃えてくださるとは、スケートの神様も粋な計らいをしてくださるものである。
勝ち続けることと進化し続けることは、実は矛盾している。進化のためには時々負ける事もあるのだ。だって彼は本当に難しいことに挑戦しているのだから・・・。
前記事で触れたスケートカナダのツィッターに挙がっていた注釈つきの写真。実はこのエキシビションの公開練習中に撮影されたものである。
「ファンのリクエストに応えるユヅル・ハニュウ」という文章に気が付いた時はもう7時間が経過していた。大会の関係者経由で画像と文章の訂正をお願いしてみたものの、未だに問題の文章はツィッターに残されたままである。
この文章と写真をスケカナの公式ツィッターに掲載したカナダの大会スタッフに、日本や中国などでユヅル・ハニュウがどんなことになってしまっているか想像してほしいと思うことは難しい。
日本語を理解できないとなれば、結弦くんの視線の先にあるのは手前に映っているファンの方々ではなく、階上にいる関係者の方であって、ジャンプのフォームの確認の会話をしている場面であることを理解するのは不可能だっただろう。
あの写真がむしろ、練習中のファンとの微笑ましい交流と映ってしまったことは想像に難くない。
悪気があって作成された文章ではないことはわかっていても、こうした写真と文章が世界に発信され、「練習中に話しかけたり、リクエストしてもよいのだ」という間違った認識が広まらない事を祈りたい。
ソシアル・メディアを通して発信された情報は瞬く間に世界に広がる。こうした間違った情報も一瞬にして広まってしまう。
私にしてみれば一部始終を目にしていただけに、何とかこのツィッターの文章を削除してもらえないかと思う気持ちもあった。
しかし、こうしたアウト・オヴ・コントロール的な情報の発信はこれからもあちらこちらで起きてしまうことは避けられないのかもしれない。
「皆がやっているなら、私も」という感情が蔓延しないことを祈るほかない。
家族でも知り合いでもないお茶の間の一ファンとして私にできることといえば、小さなブログの中で折に触れ、こうしたことを何とか伝えていくことしかない。
また、結弦くんにしてみれば、自分自身ではもはや制御不能の事態にも心の強さで対処し、集中を保つ力を磨いていかなくてはならない、ということになるのだろう。大変なハンデである。
しかしそれも、オリンピック2連覇への道のり。「もう、ただただ、強くなりたい。ただ、強くなりたい。それだけです。」彼の言葉を信じたい。
6位ではあったものの、バラード第1番は本当に滑らかで美しかったし、フリーのSEIMEIでは背筋も凍るほどの気迫を見せてくれた。レクイエムでは壮麗なスプレッド・イーグルで挟んだトリプル・アクセルをさりげなく曲に溶け込ませた。
エキシビションの選曲「レクイエム」について、結弦くんは世界にこんなメッセージを発信した。
「僕自身が震災を経験し、同じように被災した人々をつぶさに見てきました。これは被災した全ての方々に捧げるものです。彼らが乗り越えてきたもの、全ての苦しみと悲しみ、そしてこの苦しみをどのように克服し、前に向かって行ったのか。この曲はエキシビションには少し深く、重いものかもしれませんが、僕たちは皆、同じような経験や感情を持っていると思う。」
レクイエム・・・。単なるエキシビションのプログラムではなく、これは彼の世界へ向けたメッセージだと思っている。
He is a beautiful skater… 後ろの座席から漏れ聞こえてきた感嘆の言葉。
国際大会のエキシビションで何度も繰り返し演じられる中で、世界中の人々に彼の思いが届くことを願っている。
エキシビションが終わって会場のエンマックス・センターを出ると、エキシビションの間中激しく降っていたと思われる雹で地面が白く覆われていた。
荒れた雲が通り過ぎた空に、大きな美しい虹が出現した。それはまるで結弦くんの描く壮麗なトリプル・アクセルの完璧な半円のようであった。
彼が何か大いなる力に守られている証のように思われたものである。
波乱の大会が終わった後の結弦くんのコメントは素晴らしかった。
「パトリック・チャン選手と一緒に試合をしても何も変わらないと思っていたが、実際にはいつもと違っていた。少し興奮し過ぎていた。太陽の光をもらったからこそ、その下に映る(自分の)影が見えて、過信だとかまだまだ足りないところだとか、そういった影の部分が見えたからこそ、自分自身が光っていけるようなスケートをしなくてはいけないなと。」
二十歳のアスリートの美しい一篇の詩のような発言である。
君は太陽になる必要はないと思う・・・。太陽の光はまともに見ることができないが、私たちは月の光をいつまでも眺めていることができる。
「月光」「月の光」・・・。昔から多くの芸術家が月からインスピレーションを得て、優れた作品を世に残してきた。
君のスケートはどこか月の光に似ている。観る者の心を癒すヒーリング・スケート。
光と影の間を行きつ戻りつしながら、もう間もなく二十一歳になろうとする君は、今、自ら光を放つ月になろうとしている。
その柔らかで強い光は、今日も世界のどこかで懸命に生きる命を照らしている。
君の演技を実際に目にすると、私の心の中にも「無から何かを作り上げたい」というインスピレーションが沸き起こってくるのを感じる。
このような機会が幸運にもまた巡ってくるようなことがあれば、この類稀な才能の持ち主の成長の一瞬、一瞬を、できる限り率直で、可能な限り美しい言葉の中に残しておきたいという思いである。
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書きたいことを自由に書ける気持ちを保つには、ある程度孤独であることが欠かせず、レスブリッジに向かう件はあまり触れずに過ごしてきました。そのため読者の方々からいただいたメッセージに一部お答えできなかったものもあり、無事大会が終わった今、そうした失礼をお許しいただけたらと思う次第です・・・。