<キツネにだまされた話>についての本 |      生きる稽古 死ぬ稽古

     生きる稽古 死ぬ稽古

ー毎日が おけいこ日和ー
        

めずらしく積ん読本が増えて、

読みっぱなしの本もあって、

頭の中を整理するためにも

「ブログを書かねば!」

という気持ちが出てきております。

 

まぁ、ひとつずついきましょう口笛

 

 

 

↑もうね、タイトルだけで

思わずポチしてしまった本です。

 

(そうそう!!そうなの!!

なんでだまされなくなったんだろうはてなマーク)

と、私も思ったことがあるからでした。

 

私は昭和30年代の生まれですが

キツネにだまされたことはありません。

 

でも私の祖母からも母からも

そして親戚や近所のオジチャンオバチャンたちからも

キツネにだまされた話

狐に憑かれた話

それから

火の玉の話

オバケの話

などは、子どもの頃に

たっくさん聞いて育ってきたからでした。

 

冒頭で挙げた本は

<本当にキツネは人を騙すのか?>

について書かれた話ではありません。

 

私が疑問に思ってたように

親の世代まではそういった話は

枚挙にいとまがないのに

なんでワタシタチの世代になったら

そういう話がなくなっちゃったんだろうか?

 

ということの考察本です。

 

ちなみに私の祖母たちは明治生まれ

親は大正生まれと昭和の一桁生まれ。

 

昭和の20年代の方々は、そのハザマになりますね。

 

著者の内山節(うちやま・たかし)先生は

1965年という年にフォーカスしています。

 

なぜ日本人はキツネにだまされなくなったのか?

という問い自体が曖昧模糊とした問いであるため

もちろん<正解>などありません。

 

ただ、この問いに対して

「高度成長期時代の到来で人間が変わった」

「経済的なものに価値を置くようになった」

「カミカゼが破れて、科学的な思考をするようになった」

「口伝えの情報からテレビやラジオの情報に変わったことで

地域独特の考え方がなくなった」

「その地域独特の通過儀礼や伝統行事がなくなった」

などといった庶民からの<こたえ>がこの本には書かれています。

 

それらの変化が起こったのが1960年代だということなんです。

私は↑こんな記事を書いています。

<キツネにだまされなくなった>頃と、

<学校にプールが建設されるようになった>頃とは

かなりなシンクロを見せています。

 

ここからは、私個人のまったくの個人史ですけれど、

おばあちゃんからはキツネにだまされた人の話をきき、

おかあさんからはキツネに憑かれた人の話をきき、

おとうさんからはコックリさんで遊んでいて真剣に叱られて、

おじさんからは火の玉を見た話をきかされて

育ちました。

 

そんな話ばかりをしていたわけではないですよ。

そうではなくて世間話のついでに

そんな話が語られる時代だったんです。

<それが何であったのか?>

ということはわからぬまま、

「こんな事があったげな」

と語られて終わるような、

不思議な話をたくさんの大人たちから聞くことができました。

 

それはしつけや戒めの効果もあったのかもしれないし、

場を盛り上げるためのネタであったのかもしれない。

いずれにせよ、何十年の後になっても

私の心に残っているということは事実です。

 

そしてもうひとつ。

私が子どもの頃には

年中行事がそれはそれはたっくさんありました。

すべて町内単位で行われるものでした。

 

春にはお花見があり

町内の組ごとに大きな鯉のぼりが飾られ、

七夕にはどこかの家に集まって、子どもたちが七夕飾りを作り

オトナたちは大きな竹を調達してきてくれ、

夏には海水浴やキャンプがあって

ラジオ体操に通った子には夏休みの終わりに神社で表彰式があり、

盆踊りには大人も子どももみんなで踊り

秋の運動会には町内別のリレーがあるので

それを見るために町内中の人たちが小学校に駆けつけてくれ、

暮れには産神様のところでおしるこが用意されて

節分には町内の人たちがみんなで、神社の境内で豆を拾いました。

冠婚葬祭には、町内一丸となって手伝い、参加したものでした。

 

1965年前後までは

こんな地方が多かったのではないでしょうか?

(この頃までは地域格差が激しいので、同年代でもまったく違う子ども時代だった人もいるでしょうけれど…)

 

私個人の中で、

町内が世界のすべてだった

ところから

学校という新しい世界が開けた

ところに移行している間に

日本人はキツネにだまされなくなっていったようです。

 

著書の中では、

「見える歴史」と「見えない歴史」についての考察もされています。

「見える歴史」というのは

鎌倉に幕府ができた、とか

廃藩置県が行われた、とかいうもので

これは私たちが歴史の授業で習っているようなものです。

 

「見えない歴史」というのは

「となりのおばさんが毎日お地蔵さんにご飯をお供えしていた」とか

「台風になると、向かいのおじさんが窓に板を打ちつけてくれた」とか

「テレビを持っているのは町内で三軒だけだった」とか

庶民の中に埋もれていった歴史のことです。

 

ここは余談ですけど、

私はこれらの歴史の方にものすごく興味があるので

「自分♡伝えるノート」という

自分史を書くためのノートを製作した時には

これらを書くためのページも用意してあるんです。

 

 

「キツネやタヌキやムジナに人々がだまされていた」というのは

この「見えない歴史」に入るのだろうと、この内山先生は述べています。

 

こういう庶民の歴史は

本当におもしろいです。

血が通った、生きている歴史であると思います。

 

私は死ぬまでの間に

もっともっと、こうした小さな歴史を

思い出し味わい直し、検証し直していきたいと思っています。