こんにちは。
マインドコーチ&「居待月」という居酒屋を運営しております丸山伸予です。
今日は、なぜ私が一般社団法人を立ち上げたのかについての5回目です。
(以前の記事はこちら⇒ その1、その2、その3、その4)
私が40歳になる年の春に、自宅介護していた母は天国に召されました。
10年間、子育てと同時進行でしてきた、人工呼吸器付きの母の介護から解放されて、私は人生初の専業主婦なるものを体験することになったのです。
息子が中学受験の塾にお友達に誘われて通い始めていましたので、息子の中学受験に夢中になったり、お友達とランチを楽しんだり・・・
今まで出来なかったことを、存分に楽しんでいました。

そんな中、私がはまったのがテニスでした。
学生時代から足だけは速かったのですが、運動部に所属したことはなく道具をつかう運動は苦手だったのです(^^;
ですが、逆に自分のあまりの下手さに、同じグループの人たちに迷惑をかけてはいけないと、定期のレッスンの他にプライベートでコーチにレッスンをお願いしたりして、とにかく練習しました。
テニスのクラスでお友達も出来て、ランチを一緒にすることもありました。
そして最終的に、超初心者から一応上級クラスまでいくことができました。
ただ、息子が高校生くらいになると、自分の中に「私は一生夫(正確には元夫)と息子のためだけに生きていくのか?」という疑問がうまれました。
元夫は外資系のサラリーマンでしたが、仕事は生業と割り切っているところがある人でした。
定年後のために高額の年金保険もかけていましたし、仕事を辞めたら海外旅行にたくさん行きたいとも言っていました。
けれど、正直なところ夫との海外旅行には、ちっとも魅力を感じていませんでした(^^;
もっと、自分にも何か出来ることがあるのではないか?
そんな風に考え始めたのです。
息子が高校生になると、お弁当さえしっかり持たせれば、母親の役目はあまりありませんでした。
そこで、色々考えた末、個人でファッションの仕事から起業しようと決心したのです。
元来せっかちなので、やると決めたら即色彩検定とパーソナルカラーの勉強を開始し、個人で起業するためのノウハウを調べ始めました。
それまで家ではほとんどパソコンを触っていませんでしたが、20代のときワープロ教室に通ったことがあったので、キーボードを打つのは苦ではありませんでした。
夫のパソコンを借りて、ブログの書き方を学んだり、個人起業するためのノウハウを検索したり・・・
ただ、その頃起業をするために背中をおしてくれたのは、テニススクールで知り合った友人でした。
彼女は元々個人でお仕事をしている人でしたが、その頃コーチングの勉強をしていたので、私をクライアントに見立てて、色々私の中から引き出してくれたのです。
そのおかげもあり、私は2009年に個人向けファッションアドバイザーとして起業しました。
私が47歳のときでした。
長くなりますので、続きます。
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