こんにちは。
マインドコーチ&「居待月」という居酒屋を運営しております丸山伸予です。
今日の東京は朝から雨ですね。
満開となった桜・・・週末まで持つでしょうか。
さて先日、なぜ私がなぜ一般社団法人を立ち上げたのかということを、このブログに書かせていただきました。(その記事はこちら)
今日はその続きです。
出産を機にファッションの企画の仕事を辞め、育児に専念?と思いきや、ALS(筋萎縮性側索硬化症)という難病の母の介護が始まった私。
1993年11月に私の家にやってきた母は、かろうじて右手の人差し指と、唇しか動かすことしか出来ませんでした。
母55歳、私は30歳でした。
寝たきりの母を看ながら、1歳になったばかりの息子の育児という仕事は、私の想像をはるかに超えたものでした。
なにが辛いといえば、夜3時間も続けてゆっくり眠れないこと。
深夜、母の指の下に置いたナースコールが鳴ると、夫と子供を起こさないよう、急いで起きてナースコールを止めて、母の様子を看に行くのです。
もちろん、ナースコールを母が鳴らさなくても、痰が詰まると人工呼吸器のアラームが鳴るので、その音を常に意識しながら寝ていました。
そして、朝は遅くても5時か5時半には起き、まずは母のことをします。
母の顔を温めたタオルで拭き、吸い口を使って口を濯がせる。
トイレ(摘便)をする。
尿は管が入っていましたので、一日尿量をチェックして捨てる。
母の寝間着の着替えと清拭。
まずはそれだけやって、自分の身支度(化粧も含め)。
その後、夫(現在離婚していますので、元夫ですが(^^;)の朝食の支度。
夫が朝食を食べている間、息子に食事を与える。
(息子が寝ている間は、夫が出勤した後に息子の食事)
と、そんな感じです。
ここまでで、8時くらいでしたでしょうか。
その後、洗濯、掃除です。
母の再婚相手のTさんや、訪問介護の先生や看護婦さん、ヘルバーさんが訪れますので、朝の仕事をしながらケーキを焼いたりもしていました。
それは、お菓子を買いに出る時間、母をひとりにさせることになるので、自分で作ってしまった方が良いと判断したからです。
ケーキは、チーズケーキやマーブルケーキ、マロンケーキなど種類は豊富ではありませんでしたが、毎日焼いているとどんどん上手になって楽しかった記憶があります。
母の介護という仕事は何も残りませんし、いつ終わるかもわかりません。
そういう意味で、形が残る何かを作る仕事というのは、完了した感が得られるので、楽しかったのだと思います。
母を家に連れて来たことで、私は自分のためにコーヒーを入れる時間もありませんでした。
けれど、それは私が自分で決めて始めたこと。
母が死ねばいいなんて、一度も思ったことはありませんでした。
とはいえ、母と私は親子ですのでお互い遠慮がありません。
母は、私の介護無くしては何も出来なくなっていましたが、頭ははっきりしていました。
ですので、とても私に注文が多いのです。
母の再婚相手(母より10歳年上)のTさんは、母の介護を手伝ってくれるために、ほぼ毎日1時間ほどかけて、私たちの住むマンションに来てくれていました。
ですが当然、そのTさんの昼食やお茶の支度をするのは私。
母は、「お父さんに(母はTさんをそう呼んでいました)、〇〇を食べさせてあげたい」とか、「〇〇を作ってあげて」など、気軽に注文をよこすのです。
そのたびに、「私は子育てあなたの世話を同時にやっているのよ! いいかげんにして!」と、声を荒げたりしていました。
今思えば、母の気持ちは痛いほどわかりますし、私もそんなにカリカリしなくて良かったのに・・・と思います(^^;
なにせ、再婚相手のTさんに、やってあげたくても出来なくなってしまったのですから。
しかも母は料理上手な人でもありましたので、私の料理にはいろいろ不満もあったと思います(^^;
ただそんな中、息子が4月になるまで無認可保育園に入園できることになりました。
保育園の申請をした際、我が家の状況を見た区の職員の方が、「フルタイムで働くお母さんと同等の扱いにしておきますね」と、配慮してくださったのです。
事実、母の介護は1時間たりとも目を離すことは出来ませんでしたから。
痰が詰まってしまったら即死に繋がりますし、そもそも呼吸器をつけていますので、声が出せないからです。
また、自分で体の向きを変えることが出来ませんので、定期的に体位の交換も必須でした。
ただ、息子が保育園に通うようになると、少しだけ母とゆっくり話をする(母は声は出ませんでしたが唇の動きを読めたので)ことが出来ました。
息子のお迎えの時間が迫ってくると、母は息子に早く会いたくて、「まご、まご」と言っていましたっけ。
息子の名前を唇で発音するより、「まご」と言った方が早いしわかりやすかったからです(笑)
そんな毎日が嵐のような日々で、唯一ホッとできるのは、土曜日に車で近所のスーパーに行くことでした。
Tさんが母を看てくれている間に、夫が車を出してくれ、夫と子供と三人で買い物兼ランチをして帰るのです。
あの頃小さな楽しみしか無かったのに、夫は休みの日は不機嫌な顔ひとつしないで息子の世話をしてくれていました。
本当に夫には、感謝しかありませんでした。
長くなるので、次に続きます。
【意のままに生きるヒント「N's Letter」♪】はこちら
★無料メールセミナー
【50歳から「自分のしたいを叶える」方法】はこちら
★ストレスクリアの体験セッション・継続セッションについてはこちら
