〜次男の入院生活が教えてくれたこと〜
私は今、
「身体は人生のナビゲーター」
ということをよくお伝えしています。
だけどこの感覚は、
本で学んだからでも、
知識を得たからでもありません。
私自身が、
“命”と向き合った経験から、
深く感じるようになったことでした。

今日は、
私の人生の大きな転機となった出来事を書こうと思います。
今から9年前のことです。

小学3年生になったばかりの次男が高熱を出し、
痙攣を起こしました。

その前日は始業式
新3年生になり、次男はいつも通り元気に学校へ行きました。だけど帰ってくると、
足が痛いと泣いていました。

普段、少しくらいの痛みでは泣かない子だったので、
私は「学校で何かあったのかな?」と、
そちらを心配していました。
だけど熱が出始め、
成長痛か熱の関節痛かな?と思い、
寝室で休ませていました。

心配だったので私の横で寝かせ、ひとまず夜は寝たり起きたりでしたが
様子がどんどんおかしくなっていきました。

呼吸が荒く、
熱は39度を超え、
夜中にはうわ言を言い始めました。
幻覚を見ているような言葉。
意味のわからない会話。

胸騒ぎが止まりませんでした。

熱は40.9℃。
「これはただ事じゃない」
そう感じていました。
そして朝、
突然次男が痙攣を起こしました。
泡を吹き、白目になり
唇は真っ青。
私はパニックになりながら、
次男の身体をさすり続け、
「大丈夫やで!大丈夫やから!」
そう叫び続けることしかできませんでした。

主人に電話すると、
すぐに帰ってきてくれました。
普段は重くて抱っこなんてできない次男を、
主人は必死に抱き上げ、
「とうちゃん来たからもう大丈夫やぞ!」
そう叫びながら、
階段を駆け下りていきました。
きっと主人も怖かったと思います。

でも、
その姿を見て、
私も少しだけ冷静さを取り戻しました。
病院へ向かい、
検査をしても原因がはっきりしない。
痙攣が収まっても、
いつもの次男に戻らない。

先生からは、
脳炎の可能性もあると言われました。
地元では対応できず、
地元から1時間ほど離れた病院へ救急搬送されることになりました。
救急車の中で、
私はただ祈ることしかできませんでした。
「どうか助かってほしい」
それだけでした。
病院へ到着してからも、
脳波、MRI、血液検査…。
検査が終わるまで、
私は気を張り続けていました。

そして結果は、
溶連菌による股関節の炎症。
脳に異常はありませんでした。

その言葉を聞いた瞬間、
声をあげて泣きました。
怖かった。
本当に怖かった。
でも、
生きていてくれた。
それだけでよかった。

だけど、入院生活は決して楽ではありませんでした。
高熱。
足の激痛。
兄弟に会えない寂しさ。
「家に帰りたい」
と泣く次男。

だけど、
少しずつ身体が回復していくと、
心も回復していきました。
ベッドの上の生活も車椅子も乗り越えて彼は一生懸命身体を回復させていきました。


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その時、
私は強く感じたのです。
心と身体の大切さを。
身体が弱ると、
心も弱る。
これは彼だけではなく、私たち家族も同じでした。

でも、
身体が回復してくると、
人はまた前を向ける。
私はこの経験から、
たくさんのことを受け取りました。
当たり前の日常は、
当たり前じゃないこと。

命は、
本当に尊いこと。
そして、
子どもたちは、
私たち夫婦だけの存在ではなく、
それぞれ魂の役目を持って、
この世界を生きているのだということ。

次男の存在によって、
私はたくさんの感情を味わわせてもらいました。
恐れ。
悲しみ。
安心。
感謝。
幸福感。
人は、
苦難の中で成長する。
あの時、
私はそれを身をもって知りました。
そしてそれらは全て愛に繋がっているということも。

イベントのキャンセルや、
たくさんの予定変更もありました。
だけど、
周りの方たちは、
私たち家族を責めることなく、
優しい言葉をかけ続けてくださいました。

その温かさにも、
何度も救われました。
今思えば、
あの出来事が、
今の私の活動の原点だったように思います。

私は、
頑張ることだけでは、
人生は乗り越えられないことを知りました。
だから今、
「身体を整えること」
「安心できる感覚」
「自分の感覚を置き去りにしないこと」
を大切に学びと体験を伝えています。

身体は、
ただの器ではない。
命そのもの。
そして、
身体はいつも、
今の自分を教えてくれている。
だから私は今も、
“身体は人生のナビゲーター”
だと思っています。

あの日の出来事は、
私にとって、
人生を大きく変えた転機でした。
そしてきっと、
あの経験があったからこそ、
今の私がいるのだと思います。

全ての出来事は、
いつも完璧。
そこから何を受け取り、
どう生きるか。
それを、
人生はいつも教えてくれているのかもしれません。
今日も、

大切な命と大切な人たちとの日常に感謝を込めて。