「自分の感情の責任を、自分で引き受ける」
って言葉、
今の私は本当にそうだなぁと思うのだけど、
昔の私は全然できていませんでした。笑
「なんでわかってくれないの?」
「あなたがこうだから、私はこんなに大変なんだ」
「もっとこうしてくれたら、私は幸せになれるのに」
そんなふうに、
自分の苦しさの原因を
誰かや何かのせいにしていたことがたくさんあります。
夫だったり、
親だったり、
環境だったり。
もちろん、
誰かの言葉や行動によって傷つくことはあるし、
心も揺れる
悲しいものは悲しいし、
辛いものは辛い。
腹が立つものは腹が立つ。笑
だから私は、
感情を我慢した方がいいとは全く思っていません。
むしろ逆で、
悲しいなら、
ちゃんと悲しんだ方がいい。
寂しいなら、
「私、寂しいんだ」って認める方がいい。
怒っているなら、
怒りの奥に何があるのかを見る方がいい。
天然の摂理や身体のことを学ぶようになって、
私はますますそう思うようになりました。
身体って、
ものすごく正直で正確なのです。
頭では「大丈夫」と言っていても、
本当は嫌だ。
本当は悲しい。
本当は我慢してる。
本当はわかってほしい。
そういう自分の声を、
身体はちゃんと知っています。
なんなら、身体がナビゲートしてる。
感情は身体から届く大切なサイン。
問題は、
感情が湧き上がることやコントロールできない事じゃない。
その感情を、
「あなたのせい」
と、人に渡してしまうこと。
「あの人が変わってくれたら」
「夫がもっとこうだったら」
「親がこうしてくれていたら」
「子どもがこうなってくれたら」
そう思っている間って、
自分の人生なのに、
自分が幸せになるための鍵を
相手に渡しているようなものなんですよね。
これ、今だからわかることなのですが、
めちゃくちゃ不自由なのです。
だって、
相手が変わってくれない限り
私は幸せになれないことになるから。
でもある時から、
「あなたがどうするか」
ではなく、
「私はどうしたい?」
を見るようになりました。
私は今、何を感じてる?
何が悲しい?
何が嫌?
本当はどうしてほしい?
そして、
じゃあ私は、
ここからどうしたい?
今、何をすればいい?
って。
そうやって、
自分の感情を自分に取り戻していく。
これが私にとって、
自分の人生の舵を自分に戻していくことでもあったのだと思います。
ただね。
ここですごく大切なのは、
「自分の感情に責任を持つこと」と
「全部自分が悪いと思うこと」は全然違う
ということ。
私も昔は、
「自分に原因がある」
と言われると、
「じゃあ私が悪いってこと?」
って捉えてしまうことがありました。
でも、そうじゃないんですよね。
誰が悪いかを決めたいわけじゃない。
犯人探しはなんにもならない。
ただただ、今の感情を
「私は悲しい」
「私は寂しい」
「私は愛したい」
まず、
そんな自分を自分がわかってあげる。
責めるんじゃなくて、
見てあげる。
そこからなんだと思います。
そして、
これができるようになってきて、
私は人を見る目もガラッと変わっていきました。
自分のことがわかるようになると、
相手にも相手の事情があることが見えるようになる。
「あの人も怖いのかもしれない」
「あの人も余裕がないのかもしれない」
「育った環境のコミニケーションの影響があるのかもしれない」
「あの人も、あの人なりに愛しているのかもしれない」
って。
もちろん、
だから何をされても我慢しましょう、
許しましょう、
という話ではありません。
嫌なものは嫌でいいし、
離れた方がいい関係だってあります。
でも、
「正しい・間違っている」
「良い・悪い」
だけでは見えなかったものが、
少しずつ見えるようになってきた。
そして、
自分自身についてもまた違う視点で認識できるようになってきて、
傷つけられたと思っていたけれど、
私も誰かを傷つけたことがある。
愛してほしいけど、
私も相手が求める愛のカタチを渡せていない事がある。
わかってほしいけれど、
私も相手をわかろうとしていないことがある。
人間って、
そんなに綺麗に分けられないんですよね。
どの方向から見るかによってその人は変わる。
だから私は、
学ぶことが好きなんだと思います。
身体を学び、
人を学び、
天然、自然を学び、
古くから伝えられてきた智慧を学び、
いろんな角度から人間というものを見ていくと、
「誰が正しいのか」
を探すことが、
だんだんなくなっていきました。
その代わりに、
「あぁ、ここにも愛がある♡」
って氣づくことが増えていった。
親のことも。
夫婦のことも。
子どものことも。
そして、
自分自身のことも。
だから私にとって学ぶことは、
知識を増やすことだけではありません。
学ぶほど、愛に氣づく。
見えなかったものが見えるようになって、
許せなかった誰かを見る目が変わったり、
ずっと責めていた自分を
「よく頑張ってるなぁ」って思えるようになったり。
そうやって少しずつ、
自分の人生の舵を自分の手に戻してきたんだと思います。
悲しい時は、
悲しんでいい。
腹が立つ時は、
腹が立っていい。
寂しい時は、
寂しいって言っていい。
でも、
その感情の奥にいる自分を、
誰かに救ってもらうのではなく、
まず自分がしっかりと認識してあげる。
そして、
「私はここから、どう生きたい?」
って聞いてあげる。
身体はきっと、
ずっとその答えを教えてくれているから。
私はこれからも、
いろんなことを学び続けると思います。
ひとつの答えを見つけるためではなく、
いろんな角度からこの世界を見て、
今まで見えなかった愛に
もっともっと氣づいていくために。
そして、その先に見えたものを、
知識としてではなく、
私自身の生き方として、
次の世代に渡していけたらいいなと思っています。