🌱ご飯を食べる事が出来る
🌱息が出来る
🌱「おはよう」「おやすみ」と、
言い合う事が出来る
それは“当たり前” だと思ってた。
それが、どれほど有り難い事なのかと、
心の底から思った。
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母が大病を患っている事が分かり、
入院してからのこと。
治療の影響で、食べ物も喉を通らなくなった。
水さえも、体が拒絶する。
それでも母は、「生きよう!」として、
頑張って「食べよう」としてくれた。
「食べる事が出来る」のは “当たり前” では無かった。
呼吸が出来ない病に罹った父が、
必死に「呼吸をしよう」としている姿を、
見ているしか無かった。
「呼吸をすることが出来る」のは
“当たり前” では無かった。
昨日までは、
家族で「おはよう」「おやすみ」と言っていた事もまた、“当たり前” では無かった。
「おはよう」「おやすみ」と言い合える人が居ること。
朝を迎える事が出来ること。
夜、眠る事が出来ること。
みんな、“当たり前” では無かった。
人は、そこに気づくことが出来ない。
「出来なくなって」、「無くして」、
初めて気づかされる。
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里山の紫陽花の花たちも “当たり前” に咲いている訳では無い。
さりげなく手を入れてくれる人達が居るから。
美しい紫陽花の花たちを眺められるのは、とても有り難いこと☺️
大自然に、生かされていることに、人々に、感謝💕💫✨






