先月、クリスマス前に父を亡くしました。
12年近く介護をしてきた父です。
12年前。
小6、小3、2歳の育児のまっただ中。
18歳で結婚して専業主婦しか経験したことがなく
何のスキルも自信もない状態でした。
おまけに下の子が生まれる少し前から
パニック障害になり閉鎖された空間が怖く
保護者会などはわざわざ下の子を連れて行き
下の子がぐずったように見せかけて
何度も廊下に出るような状態でした。
そんなときに
鹿児島で一人暮らしをしていた父が脳溢血で
倒れました。
父は無意識に自宅の玄関から外に出てから
倒れたようで、隣の家のお子さんが発見し
命を取り留めました。
介護が必要な身体になった父。
そして
どんどん目が見えなくなった父。
(失明しました)
私の家から近いところにアパートを借り
父の面倒を見ることになりました。
・父の事業の膨大な整理と手続き
・精算作業
・市役所へ何度もいったり
・弁護士さんに相談したり
とにかく必死でした。
父のことで必死になっているうちに
「パニック障害が治っている!」
ということに気がつきました。
(パニックなしに)
普通に学びに参加できる!ということが
嬉しくて
「父の介護のため」といい子を装い
・介護ヘルパーの勉強をしにいったり
・車の教習所に通ったり
そして「発達障害」という言葉が世に出てきて
周りに該当事例がたくさん見聞きし
・発達支援の勉強をしに行ったり
そのうち
保護者さんの悩みをきくようになり
・心理、メンタルについても勉強したり
ご近所さんや旦那さんの親からも
「のりちゃんは子育ても親の介護も
本当によくやっている立派!!」
という評価をずーーーっといただいていました。
私が今、こうして
お子さんの発達相談や
保護者さんのメンタル相談をしたり
団体を立ち上げて多くの仲間とつながり
地域で楽しく活動できるのも
父がいたからです。
父が12年も自分の命を使って
私に力がつくように教育してくれていたんだと
そんな風に思えて
感謝でいっぱいになりました。
父の最期についてもう少し書きます。
2018年の春に父に認知症のような症状が出てきて
24時間付ききりになったときは
妹と交代で泊まり込み介護をしながらも
すぐに入所できる施設がなかなか見つからず
途方に暮れました
その時のことは当時少しだけブログに載せました
↓↓
https://hama-sush-jp.pro/ongaku-grooving/entry-12364226336.html
このブログを書いた2日後。
妹が介護当番のときに
「お姉ちゃん、お父さんがうずくまって動けないみたい。
ベッドに戻せないんだけど・・」
と電話が。
自宅から全力で自転車をこいで駆けつけると
呼吸が浅く危険な状態だとわかり
すぐに救急車を呼びました。
尿閉、腎不全という病状でしたが
力強い生命力で回復しました。
それをきっかけにトントンと
老人健康施設への入所が決まり
泊まり込みの介護から解放されました。
老健ではとても元気で、私や妹の自宅からも
近いところに入所できたのと
病後がとても元気で認知症の症状も緩和
していたのでこのまま穏やかに余生を・・
と思っていたのですが
夏過ぎから精神不安から問題行動が増え
11月に精神障害治療の病院へ保護入院。
この入院で私は
・人間の本質について
・皮膚感覚について
・ポリヴェーガル理論と介護
・認知症介護の厳しい現実
そして
・日に日に変わってしまう父の姿を受け入れること
・非力で無力な自分自身と向き合うこと。
とてもとても苦しい2ヶ月でした。
12/18には仕事納めをして12/19から4泊5日で沖縄旅行にいく!
と夏から決めていたので
その電話を受け取った12/20日は沖縄のホテルで一人、書き物をしているときでした。
父の入院先の担当医師から
「肺炎で酸素の状態がよくない。集中治療ができる病院へ転院したい。ご家族の同行が必要」と。
妹は仕事中で連絡がつかず、母に電話をしたらすぐに向かってくれました。
父と母は私が中学生の頃、離婚しています。
(母は8年前60歳の時に再婚。
まるでシンデレラのような幸せな再婚物語があります)
救急搬送で転院した担当医からは
「数時間くらいしかもたないかもしれない」
と言われて
旅行を切り上げて羽田からそのまま病院へ。
父、母、私、妹
4人で3日間過しました。
バラバラになった家族4人が
一つになる。
分離して統合の根底は「愛」なのだと
静かに納得したその翌日、12月23日の朝。
父は亡くなりました。
亡くなる直前、
母と妹と私は父のそばで思い出話を
しんみりと・・ではなく
大笑いでしていました。
特にね
うちの母のあるネタが本当にツボで
「お父さん、よくこの人と結婚したねー!」
と大爆笑。
病室に駆けつけたうちの旦那さんが
「外まできこえたよ!」と苦笑するほど。
その大爆笑のときに
父が安心するように呼吸を吐き
そこから静かに静かに息を引き取ったのです。
その時思ったこと
・やっぱり息は吐くのだ!
(ポリヴェーガル理論に通じる)
・もし私の最期を看取る人がいるならば
注文書(シナリオ)を渡そう
そして
「私は今、何を感じたらいいんだろう。」
ということでした。
考える(思考)は出来るんです。
でも
「感じること」がそのときわからなくなってしまった。
※これもポリヴェーガル理論!
そんなわけで2019年
私は「人間への興味」をますます強くし
探求を深めることになりそうです。
ちなみに・・
2019年の抱負は「立ち向かう」です。








青谷典子
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12年近く介護をしてきた父です。
12年前。
小6、小3、2歳の育児のまっただ中。
18歳で結婚して専業主婦しか経験したことがなく
何のスキルも自信もない状態でした。
おまけに下の子が生まれる少し前から
パニック障害になり閉鎖された空間が怖く
保護者会などはわざわざ下の子を連れて行き
下の子がぐずったように見せかけて
何度も廊下に出るような状態でした。
そんなときに
鹿児島で一人暮らしをしていた父が脳溢血で
倒れました。
父は無意識に自宅の玄関から外に出てから
倒れたようで、隣の家のお子さんが発見し
命を取り留めました。
介護が必要な身体になった父。
そして
どんどん目が見えなくなった父。
(失明しました)
私の家から近いところにアパートを借り
父の面倒を見ることになりました。
・父の事業の膨大な整理と手続き
・精算作業
・市役所へ何度もいったり
・弁護士さんに相談したり
とにかく必死でした。
父のことで必死になっているうちに
「パニック障害が治っている!」
ということに気がつきました。
(パニックなしに)
普通に学びに参加できる!ということが
嬉しくて
「父の介護のため」といい子を装い
・介護ヘルパーの勉強をしにいったり
・車の教習所に通ったり
そして「発達障害」という言葉が世に出てきて
周りに該当事例がたくさん見聞きし
・発達支援の勉強をしに行ったり
そのうち
保護者さんの悩みをきくようになり
・心理、メンタルについても勉強したり
ご近所さんや旦那さんの親からも
「のりちゃんは子育ても親の介護も
本当によくやっている立派!!」
という評価をずーーーっといただいていました。
私が今、こうして
お子さんの発達相談や
保護者さんのメンタル相談をしたり
団体を立ち上げて多くの仲間とつながり
地域で楽しく活動できるのも
父がいたからです。
父が12年も自分の命を使って
私に力がつくように教育してくれていたんだと
そんな風に思えて
感謝でいっぱいになりました。
父の最期についてもう少し書きます。
2018年の春に父に認知症のような症状が出てきて
24時間付ききりになったときは
妹と交代で泊まり込み介護をしながらも
すぐに入所できる施設がなかなか見つからず
途方に暮れました
その時のことは当時少しだけブログに載せました
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https://hama-sush-jp.pro/ongaku-grooving/entry-12364226336.html
このブログを書いた2日後。
妹が介護当番のときに
「お姉ちゃん、お父さんがうずくまって動けないみたい。
ベッドに戻せないんだけど・・」
と電話が。
自宅から全力で自転車をこいで駆けつけると
呼吸が浅く危険な状態だとわかり
すぐに救急車を呼びました。
尿閉、腎不全という病状でしたが
力強い生命力で回復しました。
それをきっかけにトントンと
老人健康施設への入所が決まり
泊まり込みの介護から解放されました。
老健ではとても元気で、私や妹の自宅からも
近いところに入所できたのと
病後がとても元気で認知症の症状も緩和
していたのでこのまま穏やかに余生を・・
と思っていたのですが
夏過ぎから精神不安から問題行動が増え
11月に精神障害治療の病院へ保護入院。
この入院で私は
・人間の本質について
・皮膚感覚について
・ポリヴェーガル理論と介護
・認知症介護の厳しい現実
そして
・日に日に変わってしまう父の姿を受け入れること
・非力で無力な自分自身と向き合うこと。
とてもとても苦しい2ヶ月でした。
12/18には仕事納めをして12/19から4泊5日で沖縄旅行にいく!
と夏から決めていたので
その電話を受け取った12/20日は沖縄のホテルで一人、書き物をしているときでした。
父の入院先の担当医師から
「肺炎で酸素の状態がよくない。集中治療ができる病院へ転院したい。ご家族の同行が必要」と。
妹は仕事中で連絡がつかず、母に電話をしたらすぐに向かってくれました。
父と母は私が中学生の頃、離婚しています。
(母は8年前60歳の時に再婚。
まるでシンデレラのような幸せな再婚物語があります)
救急搬送で転院した担当医からは
「数時間くらいしかもたないかもしれない」
と言われて
旅行を切り上げて羽田からそのまま病院へ。
父、母、私、妹
4人で3日間過しました。
バラバラになった家族4人が
一つになる。
分離して統合の根底は「愛」なのだと
静かに納得したその翌日、12月23日の朝。
父は亡くなりました。
亡くなる直前、
母と妹と私は父のそばで思い出話を
しんみりと・・ではなく
大笑いでしていました。
特にね
うちの母のあるネタが本当にツボで
「お父さん、よくこの人と結婚したねー!」
と大爆笑。
病室に駆けつけたうちの旦那さんが
「外まできこえたよ!」と苦笑するほど。
その大爆笑のときに
父が安心するように呼吸を吐き
そこから静かに静かに息を引き取ったのです。
その時思ったこと
・やっぱり息は吐くのだ!
(ポリヴェーガル理論に通じる)
・もし私の最期を看取る人がいるならば
注文書(シナリオ)を渡そう
そして
「私は今、何を感じたらいいんだろう。」
ということでした。
考える(思考)は出来るんです。
でも
「感じること」がそのときわからなくなってしまった。
※これもポリヴェーガル理論!
そんなわけで2019年
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ちなみに・・
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