こんばんは!またまたご無沙汰です!

この週末は『流転の海』にひたすら潜り続けていました。


第二部・第三部を一気読み。

いやぁ~。面白い!
いつまでも読んでいられる。

全九巻なのですが、読めば読むほど物語世界にのめりこんでしまい、最終巻になったら絶対めちゃくちゃ寂しくなると予想しています。笑

この感じ、韓国ドラマとかアメリカの連続ドラマとかにハマる感じと一緒です。
小説だと目に優しいし笑、自分のペースで読み進められるので、『流転の海』は連続ドラマ好きな方にもぜひおすすめしたいです。  

さて、そんな『流転の海』第二部・第三部の簡単なあらすじをまとめます。

『流転の海 第二部 地の星』は、妻と子の身体を丈夫にするために、戦後の混乱きわまる大阪から熊吾の地元・愛媛に移った松坂家の日々が描かれています。

自然あふれる環境で伸仁はのびのび育ち、妻の体調も徐々に回復していきました。
田舎ののどかな暮らしに熊吾は満足していましたが、田舎特有のねちっこいうわさ話や因縁がつきまとい、熊吾のまわりには様々な人間ドラマが描かれます。

特に、熊吾に幼少期に足を不自由にさせられたという恨みをもつ「わうどうの伊佐男」というやくざが熊吾につきまとい、事あるごとに熊吾に嫌がらせを仕掛けてきます。

熊吾は持ち前の頭の回転の速さで機転を利かせて厄介ごとを鎮めていきますが、そうしているうちに、「自分はこのまま愛媛に落ち着いたままで良いのだろうか?」という思いが湧きます。

家族の身体を丈夫にするために地元へ戻ったものの、田舎ののんびりさに少し飽きてしまい、しかも厄介ごとはなくならないため地元を「安住の地」と心から思えず、熊吾の心はだんだんと大阪へ向いていきます。

そして、あることをきっかけに熊吾は大阪へ戻ることを決意するのです…。

『流転の海 第三部 血脈の火』では、愛媛から大阪に戻った熊吾がふたたび新たな事業を興そうと奔走する日々が描かれています。

熊吾は数々の人脈や思い付きから雀荘、中華料理店、消火ホースの修繕、プロパンガスの販売店、きんつば屋など、様々な事業に手を付けます。

熊吾はそれぞれの事業で手堅く成功させますが、ある日大阪を襲った台風により商品が全滅したことで、経営の風向きが変わってしまいます…。

熊吾は金策や事業計画、共同経営者との折衝に頭を悩ませますが、そこに追い打ちをかけるように熊吾の身体が悲鳴を上げ始め、糖尿病を発症してしまいます。

さらに、伸仁への教育や、妹のタネ、母のヒサとの関係性、近隣住民とのトラブルなど、厄介ごとは休む間もなく熊吾の身にふりかかります。

伸仁は小学生になり、学校へ通うようになりました。愛媛でだいぶ良くなったとはいえ身体の線は細く、熊吾と妻の房江を心配させてばかりいます。

そんな両親の心配をよそに、伸仁は動き回って顔を広げ、中之島周辺の人間関係に精通したり、やくざのおっちゃんと仲良くなったり麻雀をしたりするような関係になり、さらに両親の頭を悩ませます。

伸仁は大人の心をつかむ人懐っこい性格ではありますが、やくざ者との距離感を見誤る未熟さももちろんあり、熊吾は強く叱ります。
やがて、伸仁の性格が災いし、伸仁は思わぬ事件に巻き込まれてしまいます…。

第二部・第三部で、熊吾の周囲の人々にも様々なドラマがあり、熊吾は仲裁に入ります。
仲裁に入る内容はほとんどが男と女の仲。
伸仁が巻き込まれてしまった事件も痴情のもつれの末のもので、熊吾は「人情の機微」ということに思い巡らせます。

その「人情の機微」に触れた一節が、わたしの心にものすごく響きました。
なんというか、ものすごく人生の本質を突いているように感じたからです。

あまたの哲学のなかに、<人情の機微>に触れたものがないのはなぜであろう。俺は、すべての哲学に通暁しているわけではないが、人情について論じた哲学書を読んだことはない。
「なんで、人情は、哲学の範疇に入らんのじゃろう……」
(中略)
「しかし、世の中に存在する哲学は、難しいて、何が何やらわからん。(中略)わしが辞典を作ったら、哲学とは、人間にとって何が幸福か、人間はどうしたら幸福になれるのかを考察する学問じゃと解説してやる。そうすりゃあ、人情の機微についても、じっくりと考えるようになるじゃろう」
ところが哲学というものは、人間の幸福とは無縁のところで空理空論をたたかわせ、哲学者は尻軽な女房をめとった悩みを解決できない。何人もの哲学博士が、借金取りの顔色をうかがい、行きずりの人間と、足を踏んだ踏まないで争い、人妻に横恋慕して、夜な夜なヤケ酒にひたっている。
(第三部 326頁)

この世の悩みって、ほとんどが人間関係、とくに男女の悩みなのでしょうか。
そして、人間はこの悩みをすっきり解決できずに、時と舞台を変えて延々と同じことを繰り返していくのでしょうか…。
この一節を読んで、こう思いました。

『流転の海』を三巻まで読んで出てきた「痴情のもつれ」は片手では足りません。
この先もまだまだ出てくるでしょう。

けれど、そこからつかみ取れるものは、「こんな風にやらかしたらいかん」という反面教師的なものだけではなく、「人情の機微」の複雑さと厄介さをも同時に教えてくれます。

熊吾が「人情の機微」を深く読み取った上でなしていく行動は、わたしに多くのことを考えさせます。

一番強く感じたのは、
「痴情のもつれ」を含めた人間関係の厄介ごとについて、良いか悪いか、正しいか正しくないかを安易に判断してはいけないということ。

熊吾の心根のまっすぐさとたくましさには感服しっぱなしでした。

『流転の海』をただよいながら、わたしにも熊吾のような父がいたらどれだけ心強かっただろう…とつい甘えたことを言いたくなりました。

あと6巻、こつこつ、じっくり、読み進めます。