京の冬の旅「参拝編」 | 魔女になる夢

魔女になる夢

ちいさい頃の夢は「魔女になる」だった、

1970年代最後の夏に生まれた女の日記。

毎年、京都市と京都観光協会が主催チケットしている、

“京の冬の旅”期間内の、非公開文化財特別公開を見てきましたメガネ

1日だったので、行くところを絞り、ゆったり観光サーチ・・・

と、思っていたら、朝はだらだらと寝てしまいぐぅぐぅ予想以上に遅く起き、

バスに並ぶ人たちの列に嫌気が差して徒歩移動走る人を選択したため、

結局は、お昼を食べる時間さえも惜しんだというハードスケジュールに汗

しゃぁないことですが、それなりに充実していたので良し合格

以下、観光記録を、箇条書きにメモ

楽しい旅行記という体裁ではありませんので、あしからずあせる

 

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智積院

 真言宗智山派総本山。元は、豊臣秀吉の子、鶴松の供養のための寺・祥雲寺。江戸時代に、紀州根来山の塔頭寺院・智積院をこの地に再興。

 元の祥雲寺を飾った長谷川等伯一派の障壁画「楓図」「桜図」(一部<原型の4分の1以下>のみ現存。共に国宝。)などが残る。

 庭園は、中国の廬山をかたどっており、折りしも前日に降った雪が、その美しさをさらに際立たせていた。

 石橋より右手(写真奥)が、祥雲寺時代に作られた、桃山時代の特色である自然石のみを使用した造り。植木の刈り込みを主体とし、池の側は琵琶の撥(バチ)をかたどっている。琵琶の音が聞こえてくるような庭園だということが由来と言われる。今回は、雪のお陰で、撥の形がとてもわかりやすい。

 石橋より左手(写真手前)は、江戸時代に智積院として再建されたときのもので、江戸時代好みの石組と植込みとが交互に並び、深山のような景色となっている。池は、長江をイメージしており、同じ濁った色になるよう底に粘土質の泥を入れている。

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 今回の特別公開は、宸殿(シンデン)。堂本印象(1891~1975)らの華やかな襖絵で飾られている。堂本印象は、晩年、日本画で抽象画に取り組み、その作風の変化が隣り合う部屋で対照的に見られる。

 

 

 
六波羅蜜寺

 真言宗智山派の寺。951年に空也上人(903~972)が開いた。鎌倉時代には六波羅探題が置かれた。空也は、貴賎を問わず南無阿弥陀仏を唱えながら踊躍(ユヤク)する、踊念仏を広めた。つねに市民の中にあって伝道していたことから、市聖(イチノヒジリ)と呼ばれた。

 ここは、なんと言っても、「空也上人立像」が有名。教科書等で、みんな必ず1度は目にしたことがあると思われる。常に南無阿弥陀仏を唱えていたことを表す、口から出た6体の阿弥陀仏は印象的。
「空也上人立像」 (パンフレットより)

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 空也上人の、この口から阿弥陀仏が6体現れているというスタイルは、実は、この像よりも前に絵に描かれていた。その絵も、今回見ることが出来た。おそらく、それを元に、この像が作られたのだろうとのこと。

 もうひとつ、有名なのが、「平清盛坐像」。こちらも、教科書等で目にしたことが多いはず。平清盛(1118~1181)は、言わずもがな、平安末期に太政大臣となって平氏政権を確立した人物。六波羅蜜寺とは、父・忠盛の時代からの縁。晩年の仏者としての姿だが、その薄い衣からは、肩幅が広く胸板の厚い、がっしりとした武将としての鍛えられた身体を、より際立たせている。

「平清盛坐像」 (パンフレットより)

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八坂神社

 今回は、参拝したというわけではないのだけど、ちょうど境内で舞や演技が行われていた。この写真は、太刀の型(技?)をしているところ。

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円山公園

 先の八坂神社を抜け、この円山公園を抜け、次の目的地へと向かう。雪の残る景色が貴重でもあり、きれいだった。

 

 

 
知恩院

 浄土宗総本山。鎌倉時代に、法然上人(1133~1212)が草庵をおいたことに始まる。法然上人は、岡山県久米郡に生まれた。ゆかりの井戸が、誕生寺にある。ただひたすらに南無阿弥陀仏を唱える、専修念仏が必要だと説いた。

 徳川家康・秀忠・家光の三代の時期に、現在の寺域が整えられた。今回、特別公開された「三門」「経蔵」も、2代将軍・秀忠期の1621年建立。ただし、今回、もう1ヵ所特別公開された「勢至堂」は、1530年に建てられた、知恩院内最古の建造物。知恩院発祥の場所であると同時に、法然が亡くなった終焉の場所でもある。残念ながら、今回は時間足りなかったので見れてない。

「三門」

 高さ約24メートル、横幅約50メートル。屋根瓦は、約7万枚。木造の門としては、世界最大規模。

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 この三門、実は階段が大変。写真左手前にある入り口を通り、右手の門へと続く階段を上がるのだが、そうとうの急角度(ちょうど屋根に隠れた辺り。パソコンからの人は是非拡大して見て!)。そして、長年歩きこまれた証でもあるが、その表面はとてもなめらか。つまり、滑りやすい状態。ひとたび足を踏み外せば、なにせ踊り場も猫の額ほどなので、下まで落ち続けるだろうな・・・という感じ。上がりはまだ良かったが、下りは恐怖だった。それはともかく、まさに『羅生門』(by芥川龍之介)の世界で、私はひとり心の中で静かな感動を覚える。

 楼上内部には、宝冠釈迦如来像、その左右に8体ずつ十六羅漢像が並ぶ。その中で1人、正面を見ず中央の釈迦の方を向いているのが、釈迦の息子。そして、天井画、欄間、柱の極彩画が最高に素晴らしい。龍、麒麟などの霊獣や天女が、秀忠の時代の色そのままに残っている。もちろん幾度か修復は行われているが、壁画の色は手を加えていないそう。なんという鮮やかさ。この時代に、おそらく初めて使われているという、グラデーションの美しいこと。白は貝殻をすりつぶして溶いて作っていて、緑は苔から、青はなんとラピスラズリ、宝石だとな。描かれている龍の爪を見れば、その時代の権力者が分かり、5本爪は天皇、4本爪は貴族、3本爪は将軍、ということらしい。子どもの龍には翼がついているし、天女の中には身体が鳥の人もいるんだと知った。また、この三門を建立したんだけど予算以上にお金がかかったことを悔いて自害した、五味金右衛門夫妻の像もある。

 また、三門は西を向いているが、それは極楽浄土がある西方を向いているという意味と、建立は江戸時代のことなので京都御所がある方を向いていて、天皇の動きを見張る役割も果たしていたという意味もある。なんにせよ、京都市中の見晴らしは、おそろしくよかった。

「友禅苑」

 友禅染の祖、宮崎友禅ゆかりの庭園。こちらも雪景色がきれいだった。

「御影堂」

 こちらは普段も公開している、本堂。“忘れ傘”なんていう、知恩院7不思議のひとつも見た。

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「三門」 (チケット) ↓上側
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「経堂」 (チケット) ↑下側
 三門と同じく、1621年の建立。内部の8角形の蔵に、1字ずつお経の文字が書いてあり、さらにその1つ1つが引き出しになっていて、中にお経が一つずつ収められている。約6千巻。これを回して1回転させることで、全巻を読誦(ドクジュ)するのと同じ功徳を得られるというもの。この8角形の蔵の下部には、四天王と阿形・吽形とあとおふた方の8人が、えっちらおっちら押しておられるのです。残念ながら、現代人は押せません、触れません。

 また、中の壁画も美しかったのだけど、完全修復している面と、剥離した状態のまま現状維持保存している面とがあって、見比べるのも面白かった。

 

 

 

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こんな感じで、駆け足走れぇぇ~~!!で巡って、見所満載で、充実していたけれど、

実はそんなに沢山の場所に行ったわけではないという、1日。

というか、雪が積もった次の日で、足元も悪くつま先は冷え、大変でした雪

文章量もバラバラで、記録のみの所もあれば、感想つきのところもあるし、

ムチャクチャな文章鉛筆になってるけど、実は数時間かかって書いてて、

もう、これ以上書くのしんどいから、唐突だけど、終わり完