*【東大教室】ブログ上公開演習➒-2(解説解答)の続きです。
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演習➒ 近世(総合)
江戸時代の武士
解説②
社会・経済面
もともと武士は各地の所領に割拠し、人的・物的資源を自前で調達することで主君に戦闘力を提供していた。
しかし、近世における武士の城下町集住によって、その性格は大きく転換した。
城下町への集住は、豊臣政権下の刀狩などによる兵農分離政策の過程で着実に進行し、江戸時代初期の一国一城令(1615)における支城の破却で決定的になった。
在地基盤を失い、所領から離れて生活することによって、自力で年貢を徴収することが困難になった武士は、藩から年貢米相当を受給する、いわばサラリーマンのような性格を強めることになる。
しかも支給された米は、江戸・浅草蔵前の札差(蔵宿)によって、あるいは大坂などの蔵屋敷で貨幣に換金される制度が整備され、武士たちは、発展していく消費経済(商品経済)にますます深く組み込まれていった。
幕藩体制下における消費経済(商品経済)の浸透が意味したものについて、もう少し考えておきたい。
平和な時代の到来は、農・工・商の各種産業を発達させた。
諸産業の隆盛自体は税収の増加をもたらすなど、一般的にいって体制にとって好ましいものと考えられる。
しかし、江戸時代の場合は事情が少し異なっていた。
多種・多様な商品作物が市場に出回り、消費経済が活発化すると、たとえば、付加価値の高い作物を生産する農民や、それを流通させる商人は確かに豊かさを増す。
しかし一方で、この事態そのものが米を収入基盤とする武士の生活を相対的に困窮させていった(「米価安の諸色高」進行、諸色高とは物価高のこと)。
荻生徂徠が『政談』(武士土着論などを展開)で示した警告・提言には、過度な商業化の進展を抑制し、武士の社会的な立場を守ろうとする意図があった(文章(5))。
一連の幕政改革の際に、贅沢を禁止したり、農村から都市への人口の流出・集中を阻止したりする政策がしばしば実施されたのも、同様の性格をもつものだといってよい。
しかし、人間の欲望は上からの統制で制御しきれるものではない。
幕藩体制が崩壊する要因として、西洋諸国のアジア進出がもたらした対外的な危機など、多くの要素を指摘することが可能だが、国内で進行した商業の発展も、結果として体制の社会的・経済的基盤を根底から揺るがすことになったのである。
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