韓国南部の旅(その1)  より

 
バイキングの朝食予定ということでしたが、宿泊客が少ないということでお弁当が用意されていました。昨夜のバスタブの状況からすれば、宿泊客が少ないのは十分察しがつきます。ホテルスタッフの対応はとても丁寧でしたが、いかんせんあのような室内状況であるなら無理です。このホテルの先はそんなに長くないでしょう。
今日は、大邱と慶州のお寺を見学する予定です。
 
【世界遺産:海印寺】
大邱の西方30kmほどのところにある海印寺に向かいます。海印寺はヘインサと読むようです。
このお寺の写真も、データが消えてしまって全く残っていません。
駐車場にバスを止め、そこから先は歩きです。渓流沿いに、やや登り坂の舗装された遊歩道があり、300mほど進むと山門がありました。
ネット情報によると、海印寺は1200年の歴史を持つ古刹だそうです。華厳経を中心思想として創建され、本殿の「大寂光殿」には毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)が置かれているとあります。なぜかガイドのキムさんは本殿内に案内してくれなかったので、入ることはありませんでした。お釈迦様の生誕物語の絵が描かれている本殿の周辺を歩いただけです。
境内の最も奥に、世界遺産になったお経が保管されている大蔵経板殿がありました。観光客はここでも中に入ることができず、湿気を防ぐために通気性を良くする工夫が施されている建物の状況を外から見ただけです。ただ大蔵経板殿中央の仏像が3体置かれている一室だけは扉が開かれていました。中央の仏像は智拳印を結んでいました。韓国最大規模の宗派・曹渓(チョゲ)宗の寺院とありますが、日本で言うなら華厳密教系寺院ということになるのかもしれません。
本殿前の階段を下りようとした時、太鼓が鳴り出しました。ユニークな僧服を着たお坊さんたちが、お堂の下に置かれている大きな太鼓を打ち鳴らしていました。
また帰りに、遊歩道ではなく車道を歩いていると、石碑を乗せた亀の石像を見つけました。これは歴史ある古いものではありませんでしたが、会津にある保科正之の墓である土津神社にあるものと同じ形式でした。
 
【現地ガイドのキムさん】
現地ガイドのキムさんは、海印寺に着く前に、「坂道が大変な方は、山門までタクシーで行くことができます。1500円です」と言っていましたが、「いりません」と首を横に振りました。
無料で提供される空港内の車椅子サービス以外、特別な配慮など何ら要求してもいないのに、HIS甲府支店が、「車椅子利用者は3000円増し」と言っていたのは、「このことか」と納得できました。往復でその料金になります。
しかし、お母さんはモンサンミッシェルでさえ自分で歩いて昇ったのですから、全く不要です。HIS甲府支店は、「今回は、HISが支払っておきました」と、頼んでもいないことを恩着せがましく言っていましたが、現地のツアー会社に本当に払っておいたのなら、3000円を返金させればいいでしょう。
そして、「車椅子で進めないような急な坂道や階段は、歩いて上れます。待たなくていいですから、ガイドさんのペースで進めて下さい」と伝えました。キムさんは、その言葉通り忠実に実行していました。説明開始をわずか30秒待ってくれたら全部聞けるのに、その程度の配慮すら一切ありません。クラブツーリズム主催ツアーの現地人ガイド(インドのバットさんや西安の馮さん)は、誰であれ必ず全員そろってから説明していましたが、HIS主催ツアーの韓国人ガイドのキムさんはそうではありません。キムさんがやってくれた唯一のサービスらしきものは、「二人の写真を撮ります」というものだけでした。
 
大蔵経板殿で一通り見終わったということで、キムさんは集合場所と集合時間を告げて、一人で先にさっさと駐車場に帰ってしまいました。こんな観光ガイドなら、いないのとほぼ同じです。
 
長い移動中のバス内でも、日本人が聞きたがる “文化比較や、韓国特有のお国事情など” を語ることは全くなく、観光地に近づくまでただただ黙っているだけのガイドさんでした。つまり、「そんなガイドなら、素人でもできるだろう」というような形式一辺倒で何の面白みもないガイドさんだったのです。
 
前日からここまでのガイドの様子を見ていて、改善してほしいことを言おうと、「キムさんは真面目だね。真面目過ぎて面白くないよ」と切り出したら、「そうです、私は面白くありません」と開き直りのような応答だったので、苦笑したまま話すのを止めてしまいました。
 
キムさんは、車内説明でも、自分の説明に自分で「はい」と言って繋ぎつつ先に進む自己完結話法が基本としてインストールされているような方で、さらに、いくつもの間違った日本語の使い方を誰にも指摘されることなく長年使い続けているような、人間的にも言語的にもほぼ化石化してしまっている方であることが良く分かりました。とても残念なガイドさんでした。
 
 【昼食】
海印寺のそばの繁華街にあったお店で、山菜ビビンバの昼食です。ヴィーガンのお母さんと貢一にとっては、この旅で唯一安心して食べることができた食事でした。ただ、山菜は、3月中旬のこの時期に採れるはずはありませんから、長期保残できる種類の山菜なのでしょう。新鮮なおいしさが期待できないのは百も承知ですから、可も不可もありません。
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食事が終わってから、近くの食品を売っている小さなお店があったので入ってみると、ペ・ヨンジュンに嵌って韓国は十数回目という三井さんと山内さんのおばちゃんコンビがいたので、「韓国っぽいお菓子ってどれか教えてください」と訊いたら、「これカルビーですけど、韓国限定発売のハニーバター味のポテトチップで、爆発的に売れたんですよ」と教えてくれました。一つ買ってみたのはいうまでもありません。1500Wです。なるほど、おいしかったです。
 
【韓国の道路事情】
中央分離帯に風車が立っている風変りな一般道を走り、大邱から高速道路を2時間半ほど走り慶州に着きました。韓国の高速道路の制限時速は100kmだそうです。確かにどの車も日本より速いスピードで走っていました。
 
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慶州インターチェンジのゲートは、瓦屋根仕様でお寺のようなデザインになっていました。慶州は日本でいえば奈良県に相当する古都なのですから、これはなかなか良いデザインです。
 
ここから、いよいよ、新羅時代の首都・慶州の観光です。
 
【石窟庵】
この石窟庵は、日本統治時代に日本軍によって発見され、近年になってから観光地化されたそうです。
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この車椅子は、石窟庵にあった観光客用の車椅子です。大きなタイヤの方が楽だからと思い借りてみたのですが、持参していた車椅子より3倍くらい重かったので、実際はかえって負担が大きかったという結果でした。

駐車場から、良く平らに転圧された土の道を300mほど進むと、写真の場所に着きました。イメージ 1

写真の高い位置にある建物が石窟庵です。中には綺麗な仏様が置かれていますが、内部は撮影禁止だったので外観の写真しかありません。
帰り道で、ガイドのキムさんは日本人観光客の歩調に合わすことなく、一人でさっさと先に進んでしまいます。率先して会話で楽しませるという姿勢は全くなく、人間嫌いが基本なのかと思えるような方でした。であるならガイドは相応しい仕事ではないでしょう。本人にとっても観光客にとっても不幸なことです。

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駐車場の近くに大きな鐘があったので、お母さんに撞いてもらい、その余韻の中で朝鮮半島と世界の平和を祈ってきました。

 

【仏国寺】
この旅のメインとなる新羅時代に出来たお寺です。石窟庵のある吐含山の麓にあります。
ここでも、ガイドのキムさんの説明は何も聞くことができなかったので、ウィキペディアの情報で記述しておきます。
新羅景徳王の時代の751年(景徳王10年)、宰相だった金大城(キムデソン)により建立がはじまる。李氏朝鮮の太宗による1407年の仏教弾圧の際、存続を許された88寺院の中に名前がなく、既に荒廃しており廃寺になったようである。
日本統治時代の1924年4月から1925年8月迄の朝鮮総督府による再建工事によって石壇・石廊を含む主要構造が修復された。戦後の1973年に発掘調査後、改修工事で無説殿、観音殿などが再建された。
2010年に日本の仏師の福井照明が製作した四天王像など12体の仏像が寄贈され、仏国寺・聖宝博物館に常設展示された。

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山門をくぐり、中門の両側に四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天)が置かれていました。ただし、山門側向きではなく左右から通路側に向き合って置かれていました。
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創建時に本尊だった毘盧遮那仏は、現在寺院奥手の毘盧殿に安置されていたとネットに書かれています。ということは、華厳宗の寺院として創建されていたことになります。
現在の本殿に相当する大雄殿の中には、釈迦三尊仏(釈迦牟尼、文殊菩薩像、普賢菩薩)が置かれていました。
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大雄殿前には、左手に釈迦塔、右手に多宝塔がありました。多宝塔の西向きの面には石の獅子像が置かれています。その獅子像の顔は一部が剥がれ落ちていて良く分からないのですが、もしかしたら回廊の扉の握手に用いられていた獅子のような顔をしていたのかもしれません。
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回廊の南東側には木魚がぶら下がっており、南西側にはカメに乗った太鼓が置かれていました。この亀について、ガイドのキムさんに質問したのですが、「韓国では、亀は縁起のいい動物です」というお話にならない陳腐な回答が返って来ただけでした。大邱の海印寺でも、会津にある保科正之の墓である土津神社にある「石碑を乗せた亀」と同じものがあったのですが、「亀」は古代ユダヤを象徴する動物です。京都にある 松尾大社 や敦賀にある 気比神宮 は、古代ユダヤの系譜である秦氏の神社ですが、
【秦氏と神社】
そこにも亀の像が用いられています。大邱も慶州も新羅時代に栄えた都市なのですから、新羅は古代ユダヤの系譜を継いでいる王朝だったのでしょう。
大雄殿の西側にある極楽殿の庇の中央部分には豚が彫られており、本殿の前には金色の豚が置かれていました。なぜ極楽殿の庇の中央部分に豚が置かれているのかは分かりません。
 

韓国では干支の十二支の猪を豚と表現します。12年に一回巡る豚歳ですが、数年前、600年に一度巡る特別な豚年だったので、その時、金色の豚さんが極楽殿の前に置かれたそうです。仏国寺の説明で、キムさんから聞くことができたのは、豚に関するこの話だけでした。

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大雄殿と極楽殿の背後には、まだ無説殿、観音殿、毘盧殿があるのですが、ガイドのキムさんはこの3つを案内せず、30分後に駐車場に集合してくださいと言って、先に帰ってしまいました。
お母さんは、階段を昇りたくないらしく「いい」と言ったので、貢一もこの3殿の外観をカメラに収めただけで、行かないまま終わってしまいました。大邱の海印寺でも本殿に入らないままでしたし、「一体全体、何のために大邱・慶州観光に行ったやら」という感じが30%くらい残りました。
 
【青磁の窯元】
青磁をつくっている窯元へ立ち寄りました。最初に工房に案内され、日本語がとても上手なおばちゃんが、青磁の作り方やら特徴やらを話してくれました。
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その後、販売ショールームに案内され、お茶が提供されたのですが、それを手にして室内を一周しただけで、バスに戻ってしまいました。小さなものでも〇万円と高額でしたし、そもそも青磁に関しても興味は希薄です。みんな同じだったようです。10分以内に全員がバスに戻ってきました。
 
 【古墳公園】
こんもりと丸い古墳がいくつも並んでいました。
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二つ重なっているのは、王と后の古墳です。日本にも二子山という地名は何カ所もありますが、古墳となっていなくても同様でしょう。
 
古墳公園内では、展示室に入る予定だったそうですが、現在改修工事中ということで、ボードの前で説明を聞いただけです。僅か15分ほどでバスに乗り込みました。慶州には、古墳公園以外に観光スポットなどいくらでもあるはずですが、最初から改修工事中であることなど分かっていながら、このようなツアーを実施するHIS の意図が全く分かりません。
 
 
 【夕食:プルコギ】
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プルコギは、汁気の少ない牛肉のすき焼きという感じです。この旅の中で、味は一番良かったですし、野菜も新鮮なものが出ていたので皆さん満足気でしたが、辛いのではなく、ちょっとショッパイだけのコチュジャンだったのが以外で、これだけで白いご飯を食べました。

 

【世界遺産:雁鴨池(アナブチ)の夜景】
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何処が世界遺産なのかわかりませんでした。池の周りに、ちょっとした博物館のような昔風の施設があって、それらがライトアップされているというだけです。
それでも、フラッシュをたいて10枚近く写真を撮っておいたのに、PCにデータを転送したらサポートされていない形式ですと表示されてしまい掲載できません。オヨヨ・・・という感じ。

 

【宿泊:コモドホテル慶州朝鮮】
このホテルは、綺麗できちんとしたホテルでした。ハイシーズンなら価格も上がって宿泊客もかなり多いのだと思います。
お母さんがお風呂に入っている間に、コンビニへ飲み物を買いに行き、抹茶チョコレートという日本では見たことのないアイスクリームを売っていたので食べてみたのですが、全然美味しくありませんでした。

 

このホテルは、市街地にあるホテルではないので、おとなしく寝るだけです。

 

 

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