ハルは補助輪のついた自転車に乗っている。
そもそも自転車に乗る機会があまりないのだけれど
近くの公園とか、コンビニとか、ちょっとしたところまで自転車に乗っていくのが好きなのだ。
1人で乗るのは難しいので(なんせ真横見ながらこいだりするもんでwww)
大人が伴走することが必須である。
そして、なかなか補助輪を取って練習する段階に踏み出せずにいる。
私がね。
そこをクリアするのはものすごーーくハードルが高いだろうなぁと。
そんなことを思うと、あーもしかしてこの人、このままずっと補助輪自転車かも
って思ったときに。
前だったら、
「いやいやいや!ダメでしょそれじゃ!補助輪取らなきゃ!大人になったら変でしょ!友達にバカにされるでしょ!」
とか思ってたと思う。
だけどね、この間
補助輪付きの自転車をギコギコ楽しそうにこいでるハルの後ろ姿を見てて
ふと
あ、このままこの人、おじさんになって
補助輪自転車おじさん
っていうのも
そう悪くないんじゃないかなぁ
って思った。
なんか、ユーモラスでないかい?
地域一帯でちょっと有名なの。笑
ハルくんっておもしろいねーって、
幼稚園のクラスメイトたちはよく声をかけてくれた。
「数字がすきなんだよね。」
「時計がすきなんだよね。」
「〇時〇分!っていうんだよ~」
ちょっと不思議な
みんなと違うところ。
それをおもしろいっていう、その感覚
わかるなぁって思って。
さて、
そんな話を4月に
大人からも聞く機会があった。
5代目歌のおにいさん、かしわ哲さん率いるサルサガムテープの本拠地、NPO法人ハイテンションで
全国から音楽を愛する福祉施設のスタッフや支援者が集まって
障害のある方のアートや音楽活動についてのトークが繰り広げられた。
この日、お話を聞かせてくださったお一人
こんなことをお話くださった。
「障害特性の中でいろんな行動が出てくる。
それをおもしろがる人がいる、いいね、楽しいね、美しいね、それをじゃあ表現にしてみようっていう発想を持つか持たないか
っていうのが、本当に大きなこと。
(福祉作業所などの)指導者、スタッフの中に、そういう心のアンテナを張り巡らしているかいないかで、
ご本人の可能性の広がりが狭まるか果てしなく広がっていくかが決まると思うんです。」
村林さんの施設では
アートや音楽活動で、
例えば全然ちゃんと弾けてないピアノがジャズセッションになっちゃったりとか
他にもお笑いをやってる人がいたり
腹話術なのに全然口動いちゃってるとかwww
そういう表現、世界観を成立させるには、そこを面白がる、いいなって思う感覚を持っているサポーターの存在が必要ってことなんじゃないかと思う。
これはハルの作品。右下は大好きなエレベーター。笑
それでねぇ、
「例えばアートの場合だったら、保護者の人たちから見てて
こんなわけのわからないことやって、わけがわからないからダメだ
ってなるんですよ。
そんなことよりも、りんごを描くなら、本当のりんごのように少しでも描けるように、という。
描けるようになったからこれをほめてください、という。
それは、逆じゃないですか。
それは努力の跡が見えるだけで、せっかくその人がもって生まれたものは見えない。
そうじゃなくて、
持って生まれたもので勝負してるんですよ、みんな。
ちゃんとこっちが見て、それを大事にしないと。
それは、彼らと一緒になって世間と戦うってことなんですよ。ぼくらが。
絶対そこんところ、味方になってやらないと。
『そうですよね、おかあさんリンゴ書けるようにならなきゃだめですよね』って
りんご、描けるようになっちゃったら、駄目ですよね。」
↑エレベーターが今何階なのかを指でカウントするのが生きがいの人。
「障害っていうけど、なんで障害を持って、こんなにすごいものを持って生まれて来たか。
社会が完璧ならそれを「障害」と言ってもいいけれど、でもそうじゃない。
今、この社会だって、完璧じゃない。
障害って言ってもいいけど、ここにすごい可能性があって、やることいっぱいあるんだから。」
これ、障害のある人だけのことじゃないと思うんです。
人は、生きたいように生きられる。
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