真似ることが学びの一歩という考え方がある。
教えられなくても、子どもって勝手に真似をする。
パチパチ、とか
バイバイ、とか
やるようになるよね。
自閉っ子はそのまねっこアンテナが弱かったりする。
自閉のお子さんに効果的と言われているABA応用行動分析学による早期療育では
模倣のプログラムが多く組み込まれている。
こちらがパチパチ、としたら
パチパチ
こちらがバンザイしたら
バンザイ
発展していくと
こちらが積み木で積んだものと同じ形を
子どもが積む
遅延模倣
同時ではなく
こちらがやってみせて
その後に本人がやる
そんな感じ。
同じ要領で
音声模倣
こちらの発音を
真似させる
というのもある。
最近のハルは
否定形をよく使う。
例えば、おやつを食べたいとき
「おやつが食べられなくなっちゃったー!」
遊びたいとき
「プラレールができないよー!」
もともと否定形への反応が強かったハル。
それとも、誤学習で
否定形を使ったときのほうが要求が通ることが多かったのかもしれない。
とにかく、
〜ない!
〜できなくなっちゃった!
を芝居掛かった風に連呼している。
もーーーすごくイラっときます。(-з-)
ナイ のもつネガティブな響きも私をイラつかせる一因ではあると思うのだけど
それだけでなく
「この表現では大人や家族はわかるけど、友達には伝わらない」
↓
「将来的に本人が困る」
ということへの私の不安が強いんだろうな、と思う。
「〜したい」
「〜しよう」
に言い直させなければならない
というところに強迫観念みたいなものを感じてるんだろうな。
将来を見据えて
自立を考えて
義務教育後に必要なことは何か
そこを捉えての、今
ということが西川先生もおっしゃっていたこと。そしてそれは
親の会で、先輩ママ達が言っていたことでもある。
例えば
他人に抱きついてかわいいのは幼児のうち。
自閉っ子は習慣を変えるのが苦手。
大人になったときに最低限必要なマナーや人との関わり
それを子どもの頃から抑えておくことが大切。
本当にその通りだと思うんだ。
なんだけどね、私のように
そこに囚われて不安になってしまうくらいなら
それ、一旦手放してもいいんじゃないかって思った。
肯定系への言い直しも
楽しく遊びながら練習していけばいい。
確かに、何もかもを先送りにして
学校任せ、療育任せにして
最後に困るのは本人
という場合もあるかもしれないよ。
将来を見据えて、は大事
だけど
将来に囚われるあまり
不安に足を取られてイライラしている自分がいて
そこに、厳しく当たられるハルの「今」があるなら
「今」楽しく過ごせることを大切にする方が先なんじゃないかな、と思ったの。
知識として持っておくのは大事。
だけど、私自身のスタンスとして大切にしていきたいのは
まずは「今」の安心。
その土台の上に将来がある。
何かに強力に囚われてしまうときは
それは一旦手放していいことなんじゃないかなって思ってる。
2、3歳の頃
滑り台に決して登ろうとしなかったハル。
ブランコに乗れなかったハル。
今は師匠をまねて
変な滑り方ができるようになりましたw
滑り台やブランコができるようになるのがいいってことじゃなくてね。
人にはそれぞれ成長の段階がある。
支援者ができることって
はしごかけて後ろからグイグイ押して無理矢理そこ登らせることじゃなくて
登りやすい台を置いといてあげるとか
本人が気になってるときにそっと背中を押してあげる
くらいのことなんだよなって、思う。






