シロツメクサは出島から、
荷物の緩衝材として入ってきたと伝わります
わたしは紙のメモを取るとき等は時間短縮のために
出島=D
長崎=N
大村=O
時津=T
長崎奉行=Nブ
日本=![]()
神社·鳥居=⛩
…と書くと決めています。
ほかにもあります(^-^ゞ

↑さてそんなD(出島)の近くに生えるシロツメクサは
感慨ぶかいものがあります

写真に四つ葉と五つ葉ありますよ♪

ヒント:わたしなりの統計で、
昔は大徳寺もあった梅香崎天満宮へ散策♪
長崎奉行 牛込 忠左衛門勧請の道真公です。
ブログでは勿論Nブなんて書きません(笑)
激坂!
…の石段は生活道路

↑二の鳥居へは劇坂を登りきって直角に曲がります。
さらに直角に曲がり登ります
このクランクは昔の絵図(長崎名勝図絵)にも描かれています♪
扁額は一部剥がれたりして文字が欠けていますが「天満神社」かな
なかほどに中華街の前の銅座川が見えます。
(以前はあんきょでした!)
ビルがなかった昔は中華街や出島をはじめ、
長崎港が一望出来たそうです
見たかったな(^.^)

↑登りきってこんな感じ
左にも⛩がありますので、
次回ご紹介いたします♪

↑境内には電話ボックス
金毘羅山の琴平神社にも3本柱の灯籠ありました♪
唐船の安全を祈願したようです。
大隈重信が
グイド・フルベッキ(オランダ系アメリカ人宣教師)に
英語を習ったそうです。
この地は引き続き「大徳寺」と呼ばれていたようで
長崎七不思議の1つとして
「寺もないのに大徳寺」と伝わります。
人間のクセみたいなものかな
無くなっても呼び続けるって…。
それを知らない世代には不思議ですね
長崎奉行の
遠山景晋(かげみち)さまもご参拝なさったようです♪
わたしのアメブロIDはN奉行(+数字)♪

↑拝殿は赤です
唐の香りがします
☆「菅原神社」の額は
澤 宣嘉(さわのぶよし)の書だそうです!
当時要衝だった長崎で
☆九州鎮撫総督 兼
☆外国事務総督
☆長崎裁判所総督
(今の裁判所と違って色んな権限あり)
…を勤め、長崎をはじめ九州を掌握していた方。
のちに長崎府知事。←昔は「府」でした!
こま犬さんとかわいい猫ちゃんで守っていましたよ
…思ったより敷地が広かったので次回に続きます










