上から見た裏見の滝と今富キリシタン墓碑 | 小さな幸せと長崎♡

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長崎市の神社へ全部行こうとするブログです♪
【到達率 永遠の99.9%】
※ブログにしていない物も含む。

【ブログ更新お休み中】
ひとまず終わりを迎えました。
また個人の趣味ゆえ誤記などあると思います。ご容赦ください。

ランニングもしています♪

(わたしの住んでいる所…地震がすごく少ない所ですが
昨夜遅く、大型車が近くで追突したかのような
地震の縦揺れのような大きな衝撃を感じました((( ;゚Д゚)))

少し離れた実家でもそうだったようで…あせるちょっと心配)


↑さて少し前に、素敵な滝とウワサの
「裏見の滝」を見ようとやってきました大村市ニコニコ
わぁ嬉しい(⁎˃ᴗ˂⁎)鳥居もあるルンルン
↑ひとすじ落ちる滝が見えます(ワクワク)爆笑
すごく素敵な滝キラキラ
滝の下に拝殿や石仏があるそう!

…でも残念ながら立ち入り禁止で、今日はここまで…。

なので…
↑同じ大村市の、南天色づく
「今富キリシタン墓碑」を見にやってきました!
↑カマボコ型の墓碑が立てて置かれています。

「天正四…不染院水心日栄霊…」等と彫られています。
キリシタン大名大村純忠の家臣、
一瀬栄正のものだと考えられていましたが…
↑天面に、
台座のあるカルワリオ十字紋(「□の上に干のような十字紋」)がきざまれ

さらに「慶長十九年」と「庵○(戒名?)」の文字が刻まれているそうです。
良く見えない…キョロキョロ

本来伏せているはずの墓碑を立て、
元底面だった、現正面に漢字の戒名等を彫り、
仏教形式墓碑に見せかけ

禁教令による打壊しを免れようとしたのではないかと言われているそうです。

正面と天面で彫られている年代が違うので、本当は誰の墓碑なのか確定されていないそうです。

(通常、現天面が元正面なので古いと見なされるので、墓碑は初めは現天面慶長十九年の戒名?の持ち主の物とされ

現正面の戒名の栄正さんは追葬されたのではとは最近の説。)

それでも墓石に彫る年代は、没年の他にも修繕された年代が彫られている物も見かけますから

☆「庵○」は墓碑の周りに今のような覆屋(庵)を作った年かも?と思ったり…
(庵造、庵立、庵建、庵築…)

☆あるいは戒名なら「庵寿(あんじゅ)」などの女性の洗礼名と思ったり…?
(栄正の妻(中浦ジュリアンの叔母)の物の可能性も有るとか無いとか…?)
↑横にある水盤もキリシタン墓碑(元かまぼこ型)を加工した物だそうです。

こちらを妻の物と見る説もあって本当に謎ニコ

うーん…色々と面白い仮説が考えられますが
プロが研究してハッキリしないんだから、頭の体操の材料に留めておきましょう…爆笑

↑そのおとなりに、新しめのキリシタン墓?
↑と思ったら
「六道能化尊(ろくどうのうけそん)」と彫られている…
お地蔵さま?

だけど上のでっぱりが、十字架の痕跡に見えたんですよねぇてへぺろ