心理カウンセラー ひらいなずです
「認められたい」と気づいたとき
なぜか恥ずかしくなることがある
承認欲求という言葉が
どこかみっともないものとして
語られるようになって
自分の中にそれを見つけると
急いで隠したくなるのだ
でも、認められたいという欲求は
みっともなくない
人間が持つ、根本的な欲求のひとつであるのだ
問題は
承認欲求そのものじゃない
承認欲求だけが
動機になっているときである
「誰かに認められたい」だけで動くとき
評価されると満たされる
でも評価されないと崩れる
他者の反応が
自分の価値の基準になっているから
常に外側を見続けなければならない
これは、疲れる
一方で
自己実現から動くとき、様子が違う
誰かに見られていなくても、全力になれる
評価されなくても、やり続けられる
結果より、その過程に充実感がある
この違いは、何から来るのか
承認欲求から動くとき
「自分には価値がない」という
信念が根っこにある
だから外側から
価値を証明しようとするのだ
自己実現から動くとき
「自分はすでに価値がある」という
感覚が根っこにある
だから外側の評価は
嬉しいけれど、なくても揺れない
ただ、この二つは
完全に分けられるものじゃない
認められたいと思いながら
自分の力を発揮することは
矛盾じゃない
承認欲求があっても
そこから先に
何かを積み上げていける
大切なのは
「今、自分はどちらから動いているのか」を
知っていることだ
評価されなかったとき、崩れるなら
承認欲求が主になっている
評価されなくても、続けられるなら
自己実現が主になっている
認められたいという気持ちを
恥じなくていい
ただ、その先に
自分が本当に発揮したいものを
置いていくこと
そこから先が、本当の自己実現になるのである
=====
========




