シーツを替えなくなったちーたんぷっぷー | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは

靴下連続使用実験中の先日紹介したちーたんは、正月からシーツも枕カバーも替えていないようだ。それまでは二日に一度交換していたと言うから決心はたいしたものだ。男は不精だからあまりマメに替えないが女性はそうする人が多い。しかしシーツは汚れないのだ。ホテルが毎日交換するのは当然だが、自分専用なら何の問題もない。野人は数ヶ月、シーツも枕カバーもそのままだ。しかも万年床だが何の問題もない。あまり寝ないからホコリが溜まって自然に汚れるくらいだ。掃除機も数ヶ月に一度しかかかけないし。身体がまともなら汚れもしないし臭くもならない。過去の最長記録は1年だ。ダニにも食われないし病気にもならない。

屋久島にいた頃、母が大分から出て来て洗濯をした。「シーツくらい洗いなさい、これ一ヶ月近く敷きっ放しでしょ!」と言うから、「いや・・母ちゃん、1年以上だ」と言うと泡を吹いてひっくり返った。8畳4間の古い一軒家で、畳の真ん中にデンと布団を敷いて、縁側は年中開けっ放しで閉めたこともない。母は「とても1年間使ったように見えない」と感心していたが、まあそんなものなのだ。母が来なかったら2年使っていたかも知れない。少しは変色していたがまったく臭わないのだから。次の8畳間には夏物も冬物もまとめて1年分の衣服が山積みされていたが臭くもならない。母の悲劇は東シナ海流で書く。今は4ヶ月くらいで洗っているが、布団や毛布は一度も干した事がない。干すとふかふかして気持ちよいと言うのだが、出来るだけペッタンコにしたほうが野人には快適だ。小学校のマットのような硬いものが欲しいのだがなかなか手に入らない。人は自身の快適さの為に随分無駄な時間とお金を費やしている。生涯に換算すると相当なものなのだ。しかも環境汚染が進むだけで他には何の良いこともない。常識と言うものを見直す必要があるのではないだろうか。江戸時代、明治時代の人がそれで困っていた様子もない。シーツが汚れて臭くなるようなら、自分の身体が正常ではないと考えたほうが自然だ。そう言うといつも「ワ~不潔~!」(笑)と言われて数十年、身体も衣服も汚れず臭わないのに何処が不潔なのだ。脇や足の臭いを比べてみればすぐにわかる。「人の体に垢も腐敗物もたまるはずがない」。だからこする必要などまったくない、それが自然界の道理だ。



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