農業の視点 野菜と環境 | 野人エッセイす

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森羅万象から見つめた食の本質とは


農業の本はたくさん出版されている。肥料も薬も山のように販売され、土さえも売られている。その通りにすれば野菜は良く育つから何も問題はない 。化学肥料は即効性、有機肥料は遅効性、味は有機のほうが美味しい。植物に必要な栄養素を回りの微生物が作り出すようになっている。微生物が有機質を分解して、窒素やリン酸やカリなど必要な養分を供給する。どっさり化学肥料を入れれば、野菜は食べ物の風呂に入っているようなものでいくらでも養分を吸い上げる。有機肥料も同じだ。分解しきれないくらい入れれば微生物のバランスが壊れ、分解すればやはり窒素などの無機質が過剰になる。つまり人が余計なことして土のバランスを壊してしまう。野菜がどの養分をどれくらい欲しがるかなど誰もわからない、それは野菜が自分で決めて集めるものだ。異常な状況で育たざるを得なかった野菜は本来の正常な植物ではない。無機質の代表である塩を畑にある程度まくと枯れてしまうのは、嫌でも塩分を吸収してしまうからだ。 
身動き出来ない野菜の身になって考えてみればわかるが・・・
野菜が、酢1、醤油2、砂糖3・・で育ちたいと環境整備を始めたら上から余計なものが降って来た。塩もどっさり、醤油が溢れ、オイスターソースまで降って来た。味はどうなるか 、本来の味ではなく人工的な味が加わってしまう。味付けは野菜が自分で決めるべきもので 人がやるものではない。地球上のすべての植物がそうやって自らの環境を作っている。だから化学肥料も有機肥料も本来は余計なお世話なのだ。植物が求めるならば別だ。土の質が異なり、ここでは塩が足りないと訴えれば少しくらいならあげても良い。水を欲しがるように。やってみなければ何が何を欲しがるかわかるはずもない。何も足さないに越したことはないし、大きくなれないならそこで食べてもいい。
そもそも標準サイズなどもない。同じ草でも場所によっては大きく育ち、環境によっては大きくならない、それが自然だ。人が余計なことして大きくしようとするから土に無理がかかる 。立派な野菜、綺麗な野菜を「人工的に作る」為の、人や環境への犠牲は大きい。肥料は野菜を早く美味しく膨らませることが出来るが、必ず余計なものも背負い込んでしまう。自然界にとって違和感のある植物は淘汰されるような「仕組み」が出来上がっている。病気や虫を防ぐ薬を永遠に考え続けるよりも、違和感のない野菜を作るほうが簡単に決まっている。何故人はそこに気が付かないのだろうか。賛否両論あるだろうが、文明と共に続いてきた農業が最大の衰退の危機を迎え、これだけの環境、健康問題を引き起こしている。根本的に間違っていると考えるほうが自然で、農業の「思い込み」を捨てて原点に戻る時期に来ている。