ぽろん 𓈒𓂂𓏸



​かそけき あわい 𓂃



​音に たゆたう


​いつもこの場所にお立ち寄りくださり
このあわいに触れてくださって
本当にありがとうございます


​心地よい風 𓏲𓆸


​すべてが一つに溶けあい
境界線が静かにほどけてゆく 𓂃


​いま
すべてを内包した安心の真ん中へ





​最近
SNSや日常の景色を眺めながら
エネルギーのめぐりについて
すごく深く
腑に落ちる出来事がありました



​タイムライン(Threadsなど)を見渡すと
誰かを温かく応援したり
愛や優しさを差し出し合う
美しさが広がっています
 

その
一方で
自分たちの「嫌い」や「違和感」を
そのまま誰かにぶつけて
排除したり叩き合ったりしている
光景も
目に飛び込んできます



「好き」や「心地よさ」を
発信しているように見えても

ただただ
純粋に自分の世界を
愛でて黄金色の光を放っている人と

どこか
「凄いでしょ」「私を認めて」という
承認欲求や依存
あるいは
「奪い合い」のエネルギーが
透けて見えて
結果として
批判や反対派を引き寄せて
対立を
生んでしまっている人


​この違いは一体どこから来るのだろう?
深く見つめていたとき
ある大きな真理に辿り着いたのです



​私たちはよく
「好き嫌いは二元論(分離)だから
ジャッジしてはいけない」と
思いがちですよね


​でも
本当の分離(二元論のループ)とは
「好き嫌い」を感じること
そのものではありませんでした


分離を生む本当の
正体は
「嫌い」や「違和感」を感じたあとに
「排除・批判・攻撃(責める)」
という
アクションに
変換してしまうことだったのです



​「これが嫌いだから排除したい」
「あの人たちは間違っている」
「あの存在が不快だから叩いて安心したい」


​そこには
「正しい私 vs 間違っているあの人」という
明確な境界線(戦い)が生まれ
外側を責めれば責めるほど
「自分は世界と切り離されている」という
強烈な
恐怖と分離のドラマに
ハマっていってしまいます



つまり
外側を攻撃して引き寄せる
反対派との戦いは
すべて
「分離のエネルギー」が起こしていた
現象
だったのです

この3次元の世界における
「真の好き嫌い」とは何でしょうか?


それは
頭(思考)で裁くジャッジではなく
魂と身体が教えてくれる
「純粋な体感(羅針盤)」です


「好き」 = 
魂の周波数が心地よく響き合い
身体がやわらかく弛緩して温かくなる体感


「嫌い・違和感」 = 
「今の私の周波数には合わないから
静かに距離を置こうね」と
教えてくれる合図



​「嫌い」を感じたとき
相手を攻撃したり排除したりする
必要は一切ありません



「あの人は
あの世界観を楽しんでいるんだな(観察)」
そのまま尊重し
否定も批判もせずに

ただ
「私は私の心地よい場所を選ぶ(選択)」
だけでいい



​「誰も責めない・何ひとつ排除しない」
​嫌いなものをガマンして受け入れるのではなく

違いをそのまま認めて
静かに
自分の真ん中に寛ぐこと




それこそが
戦いの土俵をふっと降りる
「大安心(統合)」の姿勢なのだと
気づきました



​自分の内側から湧き出る
「好き」や「心地よさ」に
素直になり
ただ黙々と手を動かしたり
大好きな時間を愛でているとき
​そこには外側からの承認も
誰かとの比較も
損得勘定も存在しません




ただ
自分自身の源泉(IAM)と直結した
澄み切った無敵の光が放たれています


​誰かを脅かすこともなく
誰かに脅かされることもない


仮に外側でどんなに騒がしい嵐や
コントが起きていても
最初から戦う土俵に立っていないから
すべてが
軽やかに通り抜けていくだけ



​過去の傷も
外側の揺らぎも
全部やさしく抱きしめて



​今日も私は
誰のことも責める必要のない
「今ここ」の大安心の
ぬくもりの中で
自分だけの愛おしい世界を
丁寧に紡いでいこうと思います


 

​追伸


​先日
SNSで胸がぎゅっとなるほど
美しい言葉に触れたときのことです

たくさんの人が感動で心を震わせている中で
ほんの少しだけ
刺のある言葉を残されている方を見かけました

​一瞬
「どうしてそんな風に受け取ってしまうのかな」と
不思議に思ったけれど
ふと気づいたのです


​あぁ
その方はきっと
それだけ深い悲しみや癒えていない痛みを
たった一人で抱え込んで
生きてきたのかもしれないな


​同じ光(言葉)に触れても
受け取る私たちの背景や心のメガネは
一人ひとり違います


その時の状況によっては
どんなに温かい言葉であっても
すんなり
受け取れないことだってありますよね


​だから
伝わらないことがあってもいい
自分の言葉が届かない誰かがいてもいい


​刺のある言葉の奥にある
「私の痛みを分かって」という
小さな叫びに対しても
否定したり責めたりせず
ただそのまま静かに受け止める



​どんな背景を持つ人も
どんな季節にいる人も

みんなそれぞれが
自分のペースで愛に還る途中にいるだけだから


​今日も私の放つ波長が
ただ必要な人のもとへ
優しくやわらかく届いていたら…


そう思っています