*Aurora Luce** -3ページ目

月白の水平線 伏魔殿6

レオン皇子との会食は、驚くほど和やかな雰囲気のうちに終了した。

 

皇子は私に対して非常に紳士的だった。

拙速に関係を深めて来ようとはせず、かといって他人行儀になり過ぎず、

絶妙な距離を保ってくださった。

そのおかげで、私もレオン皇子から「同年代で超絶苦手なキラキラ外見の男性」

という苦手要素を取り払って接することができた。

 

しかし、それでも言葉がすぐに出てこなかったり、うまく話せない事が度々あった。

それでもレオン皇子は不快感を全く見せず、私が次の句を継ぐのを待ってくださったり、

「あなたがおっしゃりたいのは、こういう事で合っているかな?」と、

こちらの言いたいことを察してくださったので、

申し訳なく思いつつとても助けられた。

 

伯爵も普段よりは元気がないように見えたものの、

おろおろまごまごする私をフォローしてくださった。

これは私をレオン皇子に引き合わせた代償なので、

悪びれずありがたく助けていただいた。

 

伯爵がさんざん推していた通り、レオン皇子は確かにいい方だった。

容姿端麗、頭脳明晰で明るく積極的……などなど、

多くの美点に恵まれているにも関わらず、鼻にかけたところが全くなかった。

私との絶妙な距離感の取り方も、普通の男性には難しいと思うのだが、

アステール皇太子の有力候補ともなると、やはり社交性が高いのかと感心した。

 

世界最大国家の皇族は、全員このような人格者なのかと考えると、

さすがはアステール帝国としか言いようがないが、

話の流れからレオン皇子にさりげなく訊いてみたところ、そのようなことはないらしい。

むしろ、あのわが異母兄より酷い皇族もいるそうで、

あの類の人種の扱いには慣れているとのこと。

あれより酷い人間が天下のアステール皇族にいるとは信じがたかったが、

一体どのような人物なのか。被害の及ばない所からこっそり見てみたい気がした。

かと思えば、当然かもしれないが、頭の切れる人物も大勢いるらしい。

このあたりは、さすが世界最大国家の皇族だ。わが国とは格が違う。

レオン皇子も皇族同士の付き合いには、かなり気を遣っているらしかった。

 

このような内輪のことも話してくださるほど、

レオン皇子は伯爵と私を信頼してくださっている、と言ってよいのだろうか。

そうだとしたらさすがはレオン皇子、人を見る目がある。

この点に関しては、伯爵も私も、ひとまずはうぬぼれておいていいと思う。

 

レオン皇子はカシルダにも興味深々のご様子だったが、

まずは滞在しているここ、王都エルフラークのことを私たちに訊ねた。

何をどう説明したらよいのか考えたが、

王都の成り立ちや歴史はアステールでも履修してきているだろうし、

王宮の官僚などからも既に説明を受けただろう。

 

そこで私は、王宮の人間は絶対に教えないであろう、

笑える小ネタ的な知識を披露したのだが、これが予想以上にレオン皇子のツボにはまった。

明日国王……私の父に帰国の挨拶をする際話そうかな、とおっしゃったが、

絶対に私から聞いたとは言ってくれるなと念を押しまくった。

 

そもそも、わが王宮では私の存在自体が忌避されているし、

私の名を口にすれば、レオン皇子の印象が悪化しかねない。

ただでさえ、今日こうして私に会っていることで、

レオン皇子の印象は悪くなりこそすれ、残念ながらよくなることはないだろう。

申し訳ないがわが国はそういう価値観の国家だ……

このような意味合いのことを申し上げると、

レオン皇子はかなり不服そうだったが、納得してくださった。

 

人と人、国と国とで価値観が異なるのはよくあることだが、

互いの価値観の違いを理解し認めるのは、なかなかに難しいと思う。

だが、レオン皇子は私の主張を聞いてくださった。

説明している私自身が、本心では受け入れたくない価値観にも関わらずだ。

それだけでもありがたいことだった。

 

一方伯爵は、軍事面での王都の強みや弱点などを、機密に触れない範囲内で語った後、

嬉しそうに行きつけの店や名物銘菓を伝授なさった。

秘書官どのは、明日王都を駆けずり回ってそれらの名物銘菓を入手してくる羽目になった。

 

明日の午前中も、レオン皇子と伯爵は打ち合わせだ。

そしてレオン皇子は夕刻までには帰国の途に着かれる。

次にお目にかかるのは半年くらい先になるだろうとのこと。

今度はカシルダに行くからなとおっしゃった時の伯爵は、

大変嬉しそうで私の心を和ませた。

 

伯爵も明日の昼からは私と大事な用事がある。

アイスラー教授の研究室へお邪魔するのだ。

 

その話をすると、レオン皇子はとても羨ましそうになさった。

王宮で国王やその他王侯貴族と、ごく儀礼的な別れの挨拶を交わして過ごすより、

お忍びでも市街地に出た方が楽しいのに決まっている。

しかし、その楽しみはカシルダ訪問まで取っておいてもらおう。

 

 

 

このような感じで、会食はつつがなく終了した。

レオン皇子がよい方で本当に助かったが、

帰りの馬車の中で私は伯爵に懇々と説教を垂れた。

 
誰が暴飲暴食女王陛下なんだ誰が。
 
「陛下」をつけて呼んでくださった分、
レオン皇子の方が私に敬意を払ってくれていると言えるが、
だからと言って「はいよかったね、めでたしめでたし」とはならない。

 

伯爵は私の小言をしおらしく聞いていた、態度だけは。

半分以上は右耳から左耳に流して聞いているのが一目瞭然だった。

反省の色がまるで見られなかったからだ。

 

「あなたも楽しそうにしていたから、いいじゃないか。

 な、レオン皇子はいい方だっただろう?」

 

そう言って、嬉しそうにお土産にもらったビールグラスを撫でていた。

 

アステール帝国の食器類は造詣が美しいことで知られているのだが、

特に硝子類は透明度と輝きが素晴らしい。

私は下戸ということで、硝子のウサギの置物をいただいたのだが、

つやつやして丸い形状が愛らしい逸品だ。

どうやったらこれだけ硝子を綺麗に丸くできるのか、まるでわからないが、

高度な技術を要することだけは素人でも理解できた。

 

そうして二人で高貴な土産を愛でつつ、

私は伯爵に小言を浴びせながら上屋敷に戻った時には、

まもなく日付が変わろうとする時刻だった。

 

出迎えてくれた上屋敷の執事に、御者が大きな包み

(御者氏は、秘書官どのから「お屋敷の皆さんでお召し上がりください」

とお土産を頂戴したのだ。

中身はアステール銘菓「星のきらめき」である)

をほくほく顔で渡しているのを見届けると、

私はとりあえず部屋へ向かう階段を上がろうとした。

湯浴みをするにも、まずは必要な物を取りに行かなくてはならない。

 

だが、階段に足をかけたところで違和感に気がついて振り返った。

伯爵が数歩後ろで立ち止まっていたのだ。

 

「どうしたんですか。

 明日もあるんですから、早く湯浴みしてお休みにならないと」

「そ、そうだな」

 

伯爵もひとまず自室に戻るだろうと思っていたのだが、

こちらへ来る気配がない。

更に不思議なことに、なぜか大広間がある方向を見ているではないか。

 

大広間方面の灯りは消えており、執事も御者も使用人の区画へ戻ってしまった。

この時間から大広間を使いたいのだろうか。

それにしても、何に使いたいのだろう。

 

「大広間をお使いになられたいのですか」

「あ、ああ」

「こんな時間から、大広間で何をなさりたいのですか」

「……」

 
そう伯爵に訊くと、なぜか主は黙ってしまった。

一体どうしたのだろう。

 

もしや、舞踏会の後に打ち合わせでもする予定になっていただろうか。

そう思い、記憶を探ってみたものの、

そのような話をしていた痕跡はなかった。

大体、打ち合わせをするなら大広間ではなく、

昨日まで使っていた部屋でするだろう。

 

それともあれか、私に物申すため、

一番近い部屋である大広間を使いたいのだろうか。

そういう事であれば、心当たりしかないので甘んじて受けるが、

わざわざ大広間を使わなくとも、と思う。

使用人たちもいないのだし、今ここで言ってくれればよい話だ。

 

伯爵の表情は、馬車の中でビールグラスを愛でていたものではなくなっていた。

元気がない……というより何かを迷っている、

あるいは測りかねているような様子だったが、意を決したように口を開いた。

 

「今日は舞踏会だった」

「ええ」

 

伯爵の声色は沈痛で、今日の舞踏会が予想外のものになってしまったことを、

改めて申し訳なく思った。

 

「本当に、申し訳ありませんでした」

 

もっと心情の伝わる謝罪ができればよかったのだが、

このような普通の謝罪しか出てこなかった。

私の表情も心境も、硝子のウサギを愛でていた時のものではなくなっていた。

 

伯爵は私が謝罪するとは思っていなかったのか、軽く驚いたように見えた。

 

「いや、言い方が悪かった、すまない。あなたを責めるつもりはないんだ」

「恐れ入ります。ですが」

「違うんだ、あなたは悪くない、そういう事ではないんだ」

「ではどういう事ですか。

 どう考えても、今日のこの予想外の出来事は、私のせいではありませんか」

「だから、そうではなくて」

「ですが、今日の事で私が悪くないことなど、ほぼありません。

 いいことといえば、お土産を頂戴したことくらいではないですか」

「そんなことはない」

 

私の話の引き出し方がよくないのかもしれないが、

伯爵はなぜか核心と思われる事柄を口にしようとしなかった。

主が何を言いたいのか考えを巡らせたが全く思いつかず、

私も次の句を継げなくなった。

 

やがて、伯爵が口にした事柄は予想外のものだった。

 

「私は、日頃から踊る機会があまりないんだ」

 

これに対する私の返答は、控えめに申し上げても、

 

「はい、存じ上げています」

 

こうとしか言いようがなかった。

 

数か月カシルダにいてわかったことがあった。

伯爵の屋敷でダンスを踊るような催物が開かれることは、一切ない。

夏祭りの時も年末年始も、伯爵は屋敷のみんなと無礼講で過ごしている。

そこには着飾った紳士淑女の出る幕はない。

身分関係なく楽しそうな笑顔があるだけだ。

 

今日は年に一度、伯爵が常日頃とは対極の境遇に置かれる日だった。

 

「年に一度、あの舞踏会で踊ることで、どうにかダンスを忘れなかったのだが」

「今年は踊れなかったと」

「ああ」

 

やはりそういう事だったのではないか。
 

いくら伯爵が上流階級的社交が嫌いだからとはいえ、

ダンスは貴族であれば身に付けていなくてはならないものだ。

普段はどうしても避けてしまうが、領主会談の後に舞踏会があるから、

今までどうにか踊れなくならずに済んでいるのだろう。

どう考えても全面的に私が悪い。

伯爵にとって貴重な、年に一度しかない機会を潰してしまったのだから。

 

「本当に申し訳ありません」

「いや、だからあなたは悪くないから、謝らないでくれ」

 

私は改めて頭を下げたが、この時何かが脳裏をかすめた。

それは恐らく、とても単純な事だと思うのだが……と思考を深めようとしたが、

 

「ただ」

「ただ?」

 

伯爵の声で現実に戻されると、慌てておうむ返しに応えた。

 

「もし、あなたがよければ、なんだが」

「?」

 

非常に言いにくそうに声を発した伯爵に首を傾げると、

またしばらくの間、沈黙が周囲を覆った。

先程脳裏をかすめた何かが、言語化できそうでできないもどかしさに、

自分に対するいらだちが湧いてきた。

主が困っているというのに、どうして私はこれほど鈍感なのだろう。

 

伯爵は深く息を吐き出した後、意を決した表情で私に向き直った。

その表情は、かつて見たことがない程、緊張しているように見えた。

私に対して緊張などする必要ないのに。

 

「その、少し、私と、踊ってもらえたらと、思ったんだ……」

「!?」

 

なるほど、そういう事か。

 

脳裏をかすめたものの正体が、ようやっと判明したが、

おのれの鈍感さが情けなくなった。

今日、この日だけが、伯爵が年に一度ダンスに触れられる日だったというのに、

その事に思い至れなかったとは。

 

「無理ならいいんだ、本当に、無理だけはしないでくれ」

 

伯爵は慌てて私を気遣ったが、そのような配慮は無用だった。

 

「わかりました」

「!」

「今日は最初から、閣下のお相手を務めさせていただく予定だったのです。

 ですから、大丈夫です。踊る場所が違うだけですから。行きましょう」

 

私がつかつかと大広間に向かうと、

 

「ま、待て、そんな簡単に」

「それとも、今日はもう遅いですから、明日の方がいいですか?」

 

振り返った先にいたのは、

私を異母兄の手から救ってくれた人と同じ人物とはとても思えないほど、

困惑した顔をしていた。

私の申し出に対する喜びと懸念が、表情に露わになっていた。

無理もない。もし私が伯爵だったとしても、同じ心配をするだろう。

 

「そ、それもそうだな、よし、そうしよう!

 あなたも、考えが変わるかもしれないしな」

 

この主は私の心に負荷をかけないことを第一に考えてくれている。

しかしそれでは、

 

「でしたら、今日踊っておいた方がよくないですか?

 明日になったら、私のことですから、

 踊りたくない! と言い出すかもしれませんよ?」

 

伯爵の望むことは叶わなくなるかもしれないのだ。

それを主は全く念頭に置いていない。

 

私は伯爵に仕える書生として、主に貢献しなくてはと思っている。

主がダンスを踊れる人間が、私しかいないと判明したなら尚更だ。

本当は怖くても、全身から汗がにじんでいて、手足も微かに震えていても。

 

それでも、絶対に主とは踊れない、踊りたくないのなら、

最初から舞踏会に出席するなどとは言わないのだ。

 

伯爵は首を傾げると、厳しい顔で私を見つめた。

強気な私の姿勢に、私という人間がわからなくなったのかもしれない。

 

「エリー、どうしたんだ?

 あなたらしくないぞ、落ち着くんだ。少し冷静になった方がいい」

「落ち着くのはあなたの方です、レイスタット伯爵閣下」

「私は至極冷静だ」

 

伯爵が騒々しい時に黙らせる決め台詞が、今日は効果を発揮しなかった。

主の低い声が、思いのほか胸に突き刺さったのは、

私の本心を見透かされていると感じたからだろう。

 

「動揺していらっしゃるようにお見受けしますが」

「それは驚きもするだろう」

 

主の方が動揺していると思っていたのに、

気がつけば私の方が浮足立っているように感じられた。

 

「私が知っているあなたなら、こういう場合、

 『やった、これで伯爵と踊らずに済む』と喜んでいるはずなんだ。

 それが進んで私と踊るなどと……

 あなたの申し出はとてもありがたいが、

 私に気を遣い過ぎているとしか思えない。

 そんなふうには考えてくれなくていい、と言っているんだ」

 

伯爵の沈痛な声は、胸の内に静かに沈んでいった。

 

「そうでなくても、今日あなたは辛い目に遭っている。

 レオン皇子との会食も、本来ならなかったはずのものだ。

 王宮で踊りはしなかったが、それ以上に負担がかかったと思う」

 

王宮に出戻って以来、自分の身をこれほど案じてくれた人はいなかった。

 

「正直、踊ってもらえたら助かるのは事実だ。

 だからといって、あなたに負担はかけたくない。

 本当に気は遣わないでいい。

 私も気を遣いたくないからこそ、本心を言ったんだが、

 かえってあなたに負担をかけてしまったようだ、すまない」

 

いくら私が王女とはいえ、なぜ私などにここまで配慮してくれるのだろう。

こんな厄介者、鼻つまみ者の私に。

 

「だからあなたも、自分の心に正直になっていいんだ」

 

自分の心に正直に?

 

だから先程から言っているではないか、踊ると。

どう伝えれば理解してくれるのか、この健康的善人面は。

 

「今日あなたは、充分私を助けてくれた。

 あの会食で、私もレオン皇子とより親交を深められたし、

 あなたにもレオン皇子の人となりを知ってもらえた。

 私は、それで充分なんだ」

 

何を言っているんだ、あんなもの助けたうちに入らない。

誰でもできることをしただけではないか。

 

私は義理を知らない人間ではない。

あの異母兄から救ってくれて、レオン皇子との会話でも助けてくれて……

なにより、これほど私を思いやってくれる人に、

恩を返せないような人間ではないのだ。

 

なるほどそうか、わかった。

どう言えばこの脳天気善人面が納得するのか。

 

私は乾ききった喉を唾を飲み込んで潤すと、

 

「私は、恩着せがましい人間なんです。

 恩は売れる時に売っておかないと。

 こんな機会、なかなかありませんからね……

 これで、納得していただけますか?」

 

それでもまだ、かさついた声を出した。

 

私の台詞に、伯爵は様々な感情を抱いたようだった。

せわしなく表情が変化したからだ。

 

やがて伯爵は吐息と共に苦笑して、

 

「……ああ、すごく納得できたよ」

 

そう呟くと私に向けて手を差し出した。

 

「では、踊って、もらえるかな」

 

その落ち着いた深い声に、

自分の思いが全て見透かされていると、直感で気づかされた。

 

なぜこの人が未だに良縁に恵まれないのか、まるでわからない。

これほど紳士で、勇敢で、理性的なのに。

 

私にそう思わせ、視線を逸らせてしまうほど、目の前の主が眩しく見えた。

 

 

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