*Aurora Luce** -2ページ目

月白の水平線 伏魔殿7

大広間は暗闇と静寂に支配されていた。
 
伯爵が灯りをつけると、
手入れの行き届いた重厚感のある内装が照らし出された。
丁寧に磨かれている床に、二人の足音が響いた。
 
伯爵は奥の物置のような場所から四角い箱らしきものを出してくると、
蓋を開け中をいじり始めた。
これは聴音機という音楽を鳴らす事ができる機械らしい。初めて見た。
このような小さな箱から、どういう仕組みで音が出るのだろう。
もしも、箱の中に小人の音楽団が住んでいたら、腰を抜かしてしまうに違いない。
これを稼動させるには、私は全く力になれそうになかった。
素人が口を挟むとろくなことがないから、おとなしく伯爵を見守っておくことにした。
 
機械の類は嫌いではないが、機械の方が私を好いてくれない。
学生時代、学校に置いてある様々な機械や装置と接したが、
私が操作すると高確率で機械が止まり、破損するのだ。
なので、積極的に触れないでおいた方が、機械と私のためだと思っている。
 
ふと顔を上げると、窓に映る自分の姿が目に入った。
 
そういえば、今日は美しいドレスを着ていたのだ。
様々な事がありすぎて忘れかけていたが、本当に見事なドレスだ。
これほど素晴らしいドレスを用意してくれたにも関わらず、
王宮で踊りもできずに帰ってきてしまった。
カイラさんはじめアーネル縫製団の皆さんに、どんな顔をすればいいのだろう。
せめて、伯爵のお相手だけでもまともにしなくては。
 
その伯爵の姿も、祝典用の軍服のせいもあって普通の好青年に見える。
黙っていれば。
これで、淑女に干しモイヤーや政治軍事の話をしなければよいのだが。
 
言っても詮無い事だが、伯爵の兄上がご存命であれば、
跡取り問題は兄上に全振りしてしまうこともできただろう。
しかし、兄上はネルドリに向かったお父上たちと共に未だ行方不明。
考えたくないことではあるが、兄上やお父上たちがご存命かどうか、
伯爵もある程度の覚悟はお持ちだろう。
そういった面から考えても、
異性と接するのが苦手などと言ってごまかせる立場ではない。
 
だから、異性との縁を持てるきっかけになるダンスを、
疎かにしてはいけないし、そうならないよう私が役に立てたらと思っている。
ただでさえ少ない異性との接点を、
女性と接するのが苦手とか、ダンスが苦手だとかいう、
おそまつな理由で失くしてはならないのだ。
 

そのようなことを考えていたら、

 
「よし、用意できたぞ!」
 
伯爵がいつもの健康的善人面でこちらを振り返った。
 
「は、はい、ありがとうございます」
 
伯爵は私に聴音機で流せる音楽の一覧を見せてくれた。
どの曲で踊りたいか、ということらしい。
 
私もダンスは好きではないが、
一応王女なのでどのような曲も恥ずかしくない程度には踊れる。
伯爵はどうなのだろう。本人に訊いてみると、
 
「そうだな……そこそこかな」
 
あまり元気のよい返答ではなかった。

 

「練習しておきたい曲などがあれば、おっしゃってください。
 私はどの曲もある程度なら踊れますから」
 
私の余裕ある発言に、伯爵は意外そうな顔をした。
 
「あなたも、この類は苦手なくちだと思っていたんだが」
「も、とはどういう意味ですか」
「そういう意味だ。同志ではなくて残念だが心強い。
 この際だから色々教えてもらおう」
「お仲間になれず残念です。私も偉そうに教えられる程うまくはありませんが、
 お役に立てれば嬉しいです」
 
時間も遅いので、踊るのは二曲だけということにして、
伯爵と私はそれぞれ一つずつ曲を選んだ。
 
伯爵はまず私の選んだ曲を流してくれた。
私が過去に出席してきた舞踏会は、楽団が演奏してくれるものばかりだったので、
人気のない場所で音楽が鳴っているこの状態に違和感を覚えた。
 
そして、先刻と違い、今度は片手だけでなく両手を取られたのも、
私を落ち着かなくさせるのに強大な威力を発揮した。
今日はどれだけ冷や汗をかけば済むのだろう。
最も身体が近づかないで済む曲を選んだにも関わらず、この有様だ。
 
しかし、そのような事を考える余裕はすぐになくなった。
伯爵が思いのほかダンスが上手だったのだ。
私の動きを妨げない身のこなしとステップ、
そしてターンする時の安心感は、そこそこ以上のものだった。
 
「お上手、じゃないですか」
 
余裕がないはずの私が、思わず声を挙げてしまう程、
見事な動きだった。
 
「そうか?」
「はい、自信をお持ちください」
「あなたにそう言ってもらえるなら、安心だ」
 
指摘することなど一つもない、
完璧なリードをありがたく思いながら踊っていると、
ダンスを習っていた頃の事が頭によぎった。
主のリードがその時のダンス教師によく似ていたからだ。
 
ダンス教師は、王宮で関わった人間の中でもいい人の部類だった。
この私にまともにダンスを教えてくれたというだけで、
そう言われるだけの資格はあるだろう。
 
「ダンスは世界中の社交界で共通の、淑女のたしなみです。
 必ずあなたの身を助けるものになりますから、
 一通り習得しておかれなさいませ」
 
私がダンスなんて踊れなくても生きていける、という顔をしていると、
こう諭されたものだ。
 
いま伯爵と踊っている曲は、
教わった中で最も習得に時間がかかったものだった。
日に焼けた顔をしていたあの教師は、今どこで何をしているのだろう。
 
やがて曲が終わり、大広間に静けさが戻った。
お互い動きを止め一礼した後、伯爵がこうおっしゃった。
 
「ありがとう、こんなに踊りやすかったのは初めてだ」
「どういうことですか?」
「ご高齢のご婦人がお相手の時は仕方がないんだが、
 同年代の女性と踊ると、いつも思うように踊れなくてね」
「妙齢の淑女と踊れる機会があったのですか?」
 
むしろそこが気になったので、失礼ながら訊いてみると、
 
「私にだって、そのくらいはあったさ」
「それはよかったです。過去形なのが気になりますが」
「そこは……察してくれ」
「かしこまりました」
 
言われなくても察してはいたが、
過去にもいくつかの舞踏会に顔を出す機会があり、
妙齢の淑女と踊る機会があったのだろう。
 
それはさておき、伯爵が妙齢の淑女と思うように踊れないのは恐らく、
 
「そうですね、お年を召されている方は仕方ないと思いますが、
 妙齢の淑女たちがお相手だと踊りづらいのは、
 その方々がダンスを閣下に頼りすぎだからかと思います」
「どういうことだ?」
 
伯爵は意外そうな顔をしていたが、私は確信していた。
この人が悪いのではない。よろしくないのは……
 
「その方々と踊っている時、正直なところ、
 お相手の身体が重いと感じませんか?」
「確かにそうだな、失礼だがそういう感じがした」
「つまりそれは、閣下に踊らせてもらおうと思っているのではないかと」
「それは……ああ、なるほど!」
 
伯爵は踊っていた時の事を思い出したかのように手を鳴らした。
 
「そうです。自分から身体を動かすのではなく、
 閣下のリードを頼り切っている訳です。
 動きづらくなって当然です、
 一人で二人分の動きを作らないといけないんですから」
 
ダンスでリードする側される側というのは、上下関係ではない。
役割が違うだけだ。
リードされる側も、リードしてくれる人が動きやすいように動かなくてはならない。
互いを思いやることで、初めて双方が心地よく踊ることができる。
それがダンスのいいところの一つでもある……ダンス教師が言っていたことだ。
 
「率直に申し上げれば、男性がリードする立場だというのを、
 自分たちは何の苦労もせず、気持ちよく踊らせてくれる存在だと、
 勘違いしているのではないかと思います」
「そういう事か……」
 
伯爵は私の言うことを感心して頷いてくれているが、
なぜ今の今まで気がつかなかったのか、と言いたいところだ。
しかし、お相手をしてくれた淑女たちに対する悪態をつかないのが、
この人のいいところだ。
今日はそれに免じて突っ込まないでおいて差し上げよう。
 
「ですから、閣下は決してダンス下手ではありません。
 自信をお持ちください」
 
言いながら、自分がダンス直後にも関わらず、
全く動揺していない事に、今更ながら気がついた。
伯爵としっかり両手を繋いで、
あれほど身体を近づけて踊っていたというのに……
 
それを思い出した瞬間、
顔が今にも溶けてしまいそうな程熱くなった。
また全身から嫌な汗が噴き出してきたのがわかって俯いた。
 
これはとても恥ずかしい。
ずっと平気だったにも関わらず、
なぜ今になってこんな反応をしなくてはならないのか。
 
伯爵が私を呼んだような気がしたが、
幻聴かもしれないと思うくらい動揺していた。
だから、顔を上げずにいると、
 
「どうした?」
 
今度は間違いなく主の声が聞こえたので、観念して顔を上げた。
 
いま私は、どのような顔をしているのだろう。
さぞかし赤面して情けない顔をしているに違いないと思うと、
余計に恥ずかしさが募る。
 
顔を上げてすぐ、伯爵と目が合った。
明らかに驚いた顔をしているが当然だ。
先程まで偉そうにダンスのうんちくを垂れていた女が、
突如として口を閉ざして俯いたのだから。
 
早く部屋に帰りたかったが、もう一曲踊らなくてはならない。
次は伯爵が選んだ曲だ。伯爵が練習したくて選んだ曲だから踊らなくては。
 
しかし、心はそうして焦っても、
身体が震えるばかりで思うように動かせなかった。
伯爵の心配そうな、
それ以外の思いも含んでいるような視線が、私をより動揺させた。
改めておかしな奴だと思われたのに違いない。
こんな扱いづらい人間、解雇してくれて一向に構わないが、
できればカシルダに置いておいてもらえないだろうか。
二度と王宮には戻りたくない、王都にも……
 
「我慢してくれていたんだな」
 
その包む込むような優しい声を聞いた時、
自分の中で何かが切れたような気がした。
 
「踊ってくれて、本当にありがとう」
 
自然に涙がこぼれてきて、止められなかった。
ずっと心の中で張り詰めていたものがあったのだと、
この時初めて気がついた。
 
ずっとずっと……今日よりもずっと前、あの日からずっと。
 
涙があふれるのは止められなかったが、
嗚咽だけは堪えようと口を硬く結んだ。
ハンカチはハンドバックの中だ、涙も手で拭うしかない。
なんという無様な姿だろう。
拭いきれなかったしずくが、ドレスの裾と床を濡らしていく。
 
先程までは、もう少し離れていると思っていたのに、
気付けばすぐ手の届くところに伯爵がいた。
 
「私は、あなたではないから、今あなたが何を考えているのか、
 どう思っているのか、想像することしかできない」
 
その声には優しさだけでない、何か別の感情も込められているように思えた。
 
「こうではないかなと、思うことはあるが、
 当たっているかどうか、正直自信はない」
 
この人は何を言おうとしているのだろう。
まるで見当がつかなかった。
 
「私は、あなたの事を考えると、今日はもう踊らない方がいいと思う」
 
頭を鈍器で殴られたような気分になった。
そう思って当然だった。踊った後に泣き出す人間と、
もう一曲踊りたい気持ちになる訳がない。
 
しかし、もう一曲踊ることになっているのだ。
伯爵が練習したい音楽を踊らなくてどうするのだ。
 
主にこのようにを言わせてしまった事が、情けなくてならなかった。
にも関わらず、声が出てこなくて首を横に振ることしかできなかったが、
次に聞こえた台詞は、私の頭を上げさせるほど予想外のものだった。
 
「そう言うと思った……いや、言ってはいないが」

 

私にまだ踊る意思があることを、この人は知っているのか。
伯爵の本意を図りかねて黙っていると、
 
「あなたのことだから、私の考えもわかってくれていると思う」
 
それはよくわかっている。
この人は私の心を脅かすことをさせたくないし、したくないのだ。
だから、今日はもう踊らない方がいいと言っている。
 
それでも私は、この人のためになるのなら……
 
「だが、今日は、あなたのその気持ちに、甘えさせてもらってもいいか?」
「?」
「練習とかではなくて、私は……踊りたいんだ、あなたと」
 
この人が何を言っているのか、自分が何を言われているのか、わからなかった。
 
「いいかな」
 
なんとか理解できたのは、全身の震えが消えていたことだけだった。
 
私の沈黙を承諾と受け取ったのかはわからないが、
伯爵はご自身の上着のポケットに手を突っ込んでごそごそすると、
 
「ハンカチが……ないな、ちょっと待っていてくれ」
 
そう言って大広間を出て行かれた。
 
一人になって、ようやく頭が回り出してきたが……
 
わわわ私と踊りたいとはどういうことだ。
練習などではなく、この私と踊りたいとは。
 
そうか、わかったぞ。
私のような変わり者と踊るということは、
練習の域を越えてもはや苦行でしかない。
伯爵はおのれの精神に負荷をかけることで、精神の鍛練をしたいということか!
 
なるほど、それなら納得できる。
とすれば伯爵は、私以上の変わり者かつ物好きだ。手の施しようがない。
変わり者な事は知っていたが、ここまで自虐的な鍛錬を自らに課すとは……

 

「これで、いけるかな」

 

やがて、声と共に戻って来た伯爵が手にしていたのは、
ちり紙と思しき紙の束だった。

 

「すみません……ありがとう、ございます」

 

涙でとんでもないことになっている顔のために、
伯爵が差し出した紙の束を受け取った。
 
思ったほど柔らかくはなかった紙の束は、
感触から言って間違いなくお手洗いで使われる代物だったが、
触れないでおこう。
今は真夜中。使用人たちがいない屋敷の中で、
大広間に最も近い場所から、私の顔を拭ける物を調達してきてくださったのだ。
それだけでありがたく思うべきだろう。
 
若干ごわごわした感触ながら、紙の束は涙をよく吸い取ってくれた。
ついでに顔の脂分も存分に取ってくれたに違いない。

 

「よし!」

 

私が顔の手入れをしている間に、伯爵は聴音機と格闘なさっていたようだった。
まだ返答をしていなかったと思うのだが、踊る気まんまんではないか。
 
なんにせよ、目的が精神鍛錬のためであれ、相手が私であれ、
女性と接する機会を自ら作ろうとしているのは、賞賛に値する。
せっかく芽生えた女性に対する積極性を摘んでしまってはならないだろう。
 

伯爵が選曲した音楽が流れてきた。

この曲も踊るには難しい曲だ。
 
伯爵が差し出した左手に自分の右手を乗せる時は、さすがに震えが戻って来た。
だが、乗せた手が優しく握られると、不思議なことに震えが収まった。

 

 

 

それから曲が終わるまでの時間は、

永遠のようにも一瞬のようにも感じられた。

 

曲が鳴りやんだ後も、踊り終わった姿勢のまま、

時が止まったかのように立ち尽くしていた。伯爵も、私も。

 
 
 
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