変わることより
戻ることを大切に。
外に向きすぎた意識を
そっと、自分の中心へ。
Self Connect Harmony
きもとゆき です。
1日10時間も瞑想することも未知の世界やけど、10日間しゃべらないのもヴィパッサナー瞑想に行くのを躊躇するひとつになると思う。
実際10日間も話さないことは、私にとっては楽だった。
まあもともと、そんなに「人と話すのが好き!」みたいなタイプではないからかもしれないけれど。むしろ、個室でひとり淡々とやりたかった。
「聖なる沈黙」が解かれた後の、まるで小学校の遊び時間の校庭みたいなうるささの方が、嫌だった。ほんと「聖なる結界」がなくなった感じがした。
私にとっては「ひとりでいること」と「話さないこと」は楽なんだと思う。
ただ、人がいる。
コミュニケーションは禁止といっても、4人部屋だったし、食堂や瞑想ホールにはめちゃくちゃ人がいるわけで。気配どころか、誰が何してるかは嫌でも目に入る。
瞑想は決められた座布団があって、毎回そこに座る。私は男性と女性の間のところで、左側は少し通路が開いていて、男性陣が並んでいるようなところだった。きれいに並べられた座布団に前も後ろも横も人がいる。これはちょっとしんどかった。
瞑想をしてると、自分の嫌なものが出てくるように思う。
その出方はいろいろで、くしゃみや咳の人もいれば、ほとんどえずいているような人もいる。ちょうど私の真後ろの人は、えずきがひどかった。
瞑想が始まると、「オエッ、オエッ」とえずきも始まる。
座る位置はキレイに整列されてるから、ちょうどわたしの背骨や首のうしろ、正中線にその「オエッ」が浴びせられる。
始めはそれを我慢していたが、1日2日と経つと、なんか悪いものが入ってきそうで、めちゃくちゃ嫌だった。こっちもえずきそう。
だから、すこし列をずらして座ることにした。ちょうど、左側は通路で空いている。注意されるかな、どうかなと。1ミリ、5ミリ、1センチと少しずつ座布団をずらしていった。
何日目だったかな。4日目ぐらいかな。その人はいなくなった。リタイアしたんだろうと思う。
リタイアしても、「あの人おらんくなったな」とか「なんでリタイアしたんやろう」なんかは聞けないので分からない。とにかく、私にとってはラッキーだった。えずきから解放された。
なんだかんだ言って人と話さないことより、「自分の中のおしゃべり」をずっと聞いている方が辛いかもしれない。
普段なら、人と話したり、運動したり、お酒を飲んだりしてごまかしていることができない。それこそショート動画やインスタをループしてれば、そんなことに気づかずにすむ。
それに、食事も植物性のものだけ。朝から晩まで瞑想。人と話せず。スマホも本もない。何かしてまぎらわすこともできない。
そうすると、自分の中にあるものがどんどん浮かび上がってくる。体に残っている記憶の浄化みたいな。
あの時はこう思ってた。この時は本当はこうしたかった。思考や言葉というより、エネルギーのかたまりみたいなもの。
自分でも忘れているようなものから、忘れたことにしていたこと、無意識にしていたことも浮かび上がってくる。まるで海底にあったものが、空気の泡となってボコッと水面に浮かんでくるよう。
自分で「あの時のことをきれいにしよう」とか思っているわけではない。
勝手に浮かんでくる。
これを見続けるというか、感じ続けるというか、やり過ごしていくというか。
台風が通り過ぎるように、浮かんできたものが通り過ぎていくの感じるままにいる。
しかもそれを誰かに話して外に出すこともできない。
これが結構きつい。
人と話せないことより、逃げ場なく自分と向き合うほうが辛かったと思う。しかも10日間。辛さのピークは何度も来る。でもその後に、このうえない解放も来る。
「人と話さない10日間」というより、「自分とずっといる10日間」。そんな体験だった。
それでは、また。
この時間が
「自分に戻る」
きっかけになりますように。





