何もする気になれない一日の最後に、だから書く | 言葉のプロデューサーなまず美紀の日記「先生あのね」

 

今日は一日ゴロゴロしていた。

 

いつもなら、カフェに行って気分転換するのに、そんな気にもなれず。

1歩も家から出ないまま日が暮れるなんて、本当に珍しいというか、どうかしている。

 

先日も同じようなことになりかけ、その時はカフェに出かけ、一気に3冊ぐらい本を読んだ。

文字に集中している間は、乱れた心も落ち着き、哲学者の思想にも触れ、それなりに有意義だった。

 

今日は寝転がったまま本を読もうとしても、それすら面倒。SNSの情報も、空っぽの箱を眺めているようで、何も心に入ってこない。

 

いつのまにか、ベッドでうたた寝をして、確かに夢を見たのに、その夢すら思い出せない。いよいよ、生産性のないまま一日が終わりそうで、グッタリしたまま時間が過ぎるのを確認するのみ。

 

たまたまメッセージをくれた人に、ベッドの中から「私、もうダメかも」と伝えて、「眠いときは寝たらいいさ」と返信をさせる。その答えを見て安心するとともに、完全なカマってちゃんに成り下がっていると自覚する。

 

かつて誰かに「ブログなんてヒマな人が書くもの」と言われたブログだって、ヒマなら書けるわけではない。そう思いながらブログなら書けそうだと思って、今、ここにいる。

 

わかった。

仕事の原稿が一段して、この数日はゆっくりできるはずだった。数日書いてない。それが原因だ。

私は書くことで自分が生きるエネルギーを生み出しているんだった。

 

書く。

話す。(おいしいモノを食べながら)

遊ぶ。(好きな人と)

 

このどれかが欠けると、私はダメになる。

 

正確には「欠けている」と思うと、ダメになる。

実際は、長期的視野で見ると、どれかが欠けているどころか、すべてが満たされて、むしろ溢れているし、欠けたことなんて本当は一度もない。

今この瞬間だけじゃん。

書いたり、話したり、遊んでないのは。

 

「今に生きろ」と言うけれど、今すぐこの状況が解決しないと、この世の終わりみたいに騒ぐ私のことを、誰かが「子ども?」と言った、あの一言を思い出す。

 

1行書くと思い出す。

書くことができている間は、大丈夫だと。

 

「華やかな出来事がないと、書くネタがない」という人は、書かなくても大丈夫な人だし、書く目的が私とは全然違うのだと思う。

 

私は現実や心が満たされると、仕事のライティング以外で「書く」ことの優先順位が下がる。

 

朽ちる中身もないほど空っぽな一日でも、いや、そういうときこそ、それをネタに書ける私で良かったと、今はそう思う。

 

今日は今日で充実していた。

いつもありがとう🌈

 

上:元気すぎる私。