MAYUです。
今だから書けるNICU時代の振り返り。
今日から不定期でちょこちょこ書いていきます。
2012年に壮絶出産で重度の心身障がい児となり、NICUに長期入院。2015年に2歳で天使になった次女のことを不定期で書くシリーズです。
■これまでのあらすじ
第三子出産時に胎盤剥離が起き、緊急出産となった私。重症仮死で産まれた次女はNICUに入院し、私も生死をさまよう。私は回復後、命の危機をなんとか乗り越えた次女と面会を果たす。
★★★★★★
次女との初対面を無事に果たした私は
ホッと安心するとともに、
一方ではある「焦り」がありました。
それは、、、
一刻も早く「生まれた証」を残したい
という思い( ;∀;)
持ち直したとはいえ、ギリギリのところを
生きている次女。
考えたくないけど、いつ「その時」が
くるかわからない。
出生届をすぐに出して、もしも、万が一
そうなったとしても、
たとえ数日でも
次女がこの世に生きていた証を残したい。
私はすぐに名前を決めることにしました。
妊娠中から候補にあった、いくつかの名前。
次女に会ったことで、
力強く生きる姿を目の当たりにした私は
迷いなく一つの名前を選んでいました。
名前にこめた想いが
これからの次女に対する願いにぴったりで、
夫も顔を見て「これしかない!」と
ピンときていたそう。
次の日。
夫が出生届を持って病室に来ました。
「早めに出してあげたいからね…」
想いは同じでした。
そして夫が出生届を無事に出し終え、ホッとしたのもつかの間。
私に次なる試練が訪れました。
こんな出産だったので友人にも報告することができずにいたため、
新聞を見た知り合いから
「出産おめでとうメール」が
たくさん届いたのです。
「きゃー!おめでとう〜‼︎」
「良かったね〜!」
「ますます賑やかになるね!」
「幸せいっぱいだね♡」
……
思わず携帯を投げそうになりました。
(ドス黒MAYUのはじまり。。。)
おめでたくなんかない!
ぜんぜん良くないよ!
幸せじゃねーよ‼︎
(あくまでもドス黒MAYUですから。。)
送られてくるのは♡がいっぱいのキラキラした幸せいっぱいメール…
明らかに私のドス黒テンションとは真逆
私は震える手でメールを打ちました。
「実はね…」
から始まる淡々とした状況説明と
絵文字ゼロのモノクロメール。
私のドス黒気分そのままのメールを
今ならわかります。
友人に悪気はない。
ただ知らなかっただけだ。
新しい命を喜んでくれていたんだって。
でも、当時の私にそんな余裕はなく
「私の気持ちなんて分かるわけない」
と拗ねていました。
以前の何事もなかった私には
もう戻れない。
そんな感覚に陥っていたんです。
「もう、ふつうのママじゃないんだ」
なんだか自分と周りとの間に
もう二度と埋められない深い深い溝ができたような分離感。
生まれた証を残せたのは良かったけど
もう誰にも次女のことを話したくない。
同じテンションで会話できない。
このことをスタートに、
私はどんどん「周りの世界」との間に
自分から距離を置くようになったのです。
そして、心が休まる暇もないまま
「赤ちゃんのいない日常」が始まりました。
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