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ペテロシリーズ#33 <ix>
クリスチャン生活についての三つのたとえ (第一ペテロ2章1-10節 )
ロバート・D・ルギンビル博士著からの翻訳
神のすばらしさを宣べ伝えるために(第一ペテロ2章9節):
「選ばれた種族」という称号がイザヤ書から取られているのと同じように、
この言葉も同じ箇所から取られており、具体的にはイザヤ43章21節に出てきます。
しかしペテロは、御霊によって、私たちが神の栄光を宣べ伝えることを、
その前に列挙された、神から受けている数々の恩恵と直接結びつけ、
しかも文法上、目的を表す節として述べています。
言い換えれば、私たちを「選ばれた種族」、「王なる祭司職」、「聖なる国民」、
「神のものとして保たれる民」とされたことの背後にある神の目的は、まさにこれです。
すなわち、神の善良さ、すばらしさ、そして栄光を証しすることです。
「主なるわたしは、義をもってあなたを召し、あなたの手を取り、あなたを守り、
あなたを諸国の民のための契約とし、異邦人のための光とする。」
(イザヤ42章6節)
この節は、私たちの主の初臨と、救いがイスラエルをはるかに越えて
世界のすべての国々へと劇的に広がっていくことを預言したものですが、
(イザヤ49章6節; 使徒行伝13章47節, 26章23節)イスラエル自身にも当てはまります。
世が神の民イスラエルの証しのうちに主が映し出されているのを見るべきであったのと
同じように、今や世は、主の教会のすべての成員の言葉と行いのうちに
主が映し出されているのを見るべきです。
しかし、イスラエルが民全体としてこの点で十分に果たせなかったのと同じように、
私たちクリスチャンも、一人一人がそうならないよう注意する必要があります。
この使命を果たすためには、霊的成長が不可欠です。
神の「徳」あるいは「すばらしさ」(アレテー:ギリシヤ語 arete)――
神の完全なご性質と、私たちおよびこの世に対する恵みに満ちた御業のすばらしさ、
(何よりもまず、十字架におけるイエス・キリストの犠牲)――を宣べ伝えるには、
神とそれらについて口先だけで語る以上のことが必要です。
なぜなら、問題となるのは、単に私たちが語るかどうかだけではなく、
何を語り、どのように語るかであり、さらに、それを語る私たち自身が
「どのような者であるか」も重要だからです。
死に至る罪まであと一歩というところにいて、あらゆる不道徳な行いをしている
クリスチャンは、たとえ口ではまったく正しいことを正しい仕方で語っていたとしても、
神の栄光を宣べ伝える証人としてふさわしいとはとても言えません。
さらに、重要なのは私たちの言葉だけではなく、私たちの行いも非常に重要です。
ヤコブが強調しているように、口ではいろいろなことを言いながら、
それと一致しない行いによって、その言葉が空しいものであることを
すぐに証明してしまうのでは、ほとんど意味がありません。
ですから、主について語らないことが問題であるのと同じように、
間違った仕方で主について語ることも問題です。
そして、私たちを見ているすべての者――人間にも御使いたちにも――神の善良さ、
あわれみ、愛、栄光をそれ自体で明らかにするような生き方をもって
証しすることができないなら、それはおそらく何よりも大きな問題です。
なぜなら、それは霊的成長、前進、実を結ぶことが欠けていることを示しているからです。
そして、救われた後のこの地上での私たちの人生の目的は、
まさにこの霊的成長、前進、実を結ぶことにあるのです。
(17) さて、主は御霊である。そして、主の御霊のあるところには自由がある。
(18) そして私たちは皆、顔を覆い隠す「おおい」がなく、主の栄光を映し出すなら、
(すなわち、クリスチャンとしての証しを汚すことなく保つなら)
同じ[神の]かたちへと変えられていき、
(すなわち、私たちが自らの意志を用いて神に応答するにつれて、
ますますキリストに似た者となり)
そうするにつれて、ますます大きな[神の]栄光を映し出すようになる、
(字義的には「栄光から栄光へ」)――まさに、主の御霊が[私たちを変える]
働きをなさる方である以上、当然そうなるのである。
このすべてにおいて私たちを助けてくださる聖霊が与えられており、
また、その目的を果たすために豊かな祝福――永遠の命のために神に選ばれ、
全能の神の王なる祭司とされ、神の聖なる国民の一員となるよう近くに引き寄せられ、
復活と報いに至るまで保たれる神の民の中に加えられていること――
が与えられているのですから、私たちは、考えること、語ること、
行うことのすべてにおいて、神の驚くべきすばらしさを表すことを怠ってはなりません。
むしろ、これらの比類のない祝福に対して、私たちの愛する主であり
救い主である方が望んでおられる仕方で応えていくことを心がけようではありませんか。
主が「世の光」であられるように、(ヨハネ8章12節, 9章5節)私たちもまた、
私たちが考え、語り、行うすべてにおいて主をほめたたえ、
主と、私たちに対する主の恵みに感謝をもって応えることによって、
メッセージそのもの、救いのみことばそのものであられる主を良く映し出すべきです――
それによって、主と私たちの天の父に、ふさわしいすべての賛美を帰するためです。
(14) 「あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
(15) また、あかりをつけて、それを升の下に置く者はいない。
むしろ燭台の上に置く。
そうすれば、家の中のすべての者を照らす。
(16) そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かせなさい。
それは、人々があなたがたの良い行いを見て、
天におられるあなたがたの父をあがめるためである。」
(マタイ5章14-16節/NIV訳)
いずれにしても、私たちは永遠にわたって、この神を賛美するという使命を
確かに果たし続けることになるのです。
あなたの家に住むことになる者たちは幸いである。
彼らはとこしえにあなたをほめたたえる。
(詩篇84篇4節)
……あなたがたを暗やみから光へと召し出された方の(第一ペテロ2章9節):
この世は、恐れと絶望に満ちた暗やみの世界です。
しかし神は、「世の光」であられるイエス・キリストという御方において、
ご自身の光を輝かせ、この世を照らしてくださいました。
(イザヤ42章6節, 49章6節; ヨハネ8章12節, 9章5節, 12章46節;
イザヤ9章2節, 10章17節; ヨハネ1章4-5節, 1章9節参照)
(12) [永遠の]光の中にある聖徒たちの相続財産にあずかるに
ふさわしい者としてくださった父に感謝しなさい。
(13) [まさにその方が]私たちを暗やみの力から救い出し、
その愛する御子の御国へと移してくださったのである。
死に代わって永遠の命を持ち、さばきへの恐れに代わって復活の希望を持ち、
この世の暗い偽りに代わって真理の光を持っている私たちが、
暗やみから、私たちの愛する主であり救い主であるイエス・キリストの栄光に満ちた光へと
私たちを召し出してくださった「方」をほめたたえるのは、まことにふさわしいことです。
私たちを召してくださったのは御父であり、私たちがそれに肯定的に応答することを
御父があらかじめ知っておられたことに基づいて、御父が私たちを召されることも、
そのご計画の中にあらかじめ定められていました。
真理の光と、今はキリストにある私たちの立場という意味においてのみ享受している
永遠の命へと召されたこの召しは、私たちがあらゆる点で「主にあって光」となる
栄光化の時をも前もって指し示しています。(エペソ5章8節; 詩篇73篇24節参照)
これから来るその栄光の日には、私たちは皆、主によって「完全に知られているように」、
真理を完全に知ることになります。(第一コリント13章12節)
ですから、その日まで、私たちを救いに導いた真理の光をしっかりと受け入れ続け、
それによって光の中で主と共に歩み続け、あらゆる偽りを退け、ご自身の命をもって
私たちを買い取ってくださった方の栄光に満ちた光を映し出し続けようではありませんか。
(8) あなたがたは、かつては暗やみであったが、今は主にあって光である。
光の子として歩みなさい。
(9) 光が生み出す実は、あらゆる善と義と真理にかなうものである。
(10) それゆえ、[すべてのことにおいて]何が主に喜ばれることであるかを
[常に]見極めなさい。
(11) そして、実を結ばない暗やみの行いに加わってはならない。
むしろ、それらがそのようなものであることを明らかにしなさい。
(12) なぜなら、[真理を拒む]者たちが暗やみの中で行っていることは、
口にすることさえ恥ずべきことだからである。
(13) しかし、すべてのものは光に照らされると、[その本当の姿が]明らかになる。
(14) なぜなら、[そのように照らされて]明らかにされたものはすべて光だからである。
それゆえ、こう言われている。「眠っている者よ、起きよ!死人の中から目を覚ませ。
そうすれば、キリストがあなたの上に[真理の光を]照らされるであろう!」
今や神の民(第一ペテロ2章10節):
ペテロがこの手紙の冒頭で受取人たちに述べたように、彼らはかつて「寄留者」でしたが、
今や彼らも私たちも、私たちのためにささげられたキリストの犠牲を通して、
イエス・キリストに属する者として「選ばれ」ました。
この節は(二つの連からなる)詩の形式で構成されており、
(ギリシヤやローマの詩の形式ではなく、ヘブル詩の形式に従っています)
したがって、これはペテロが前の節ですでに述べたことを単にもう一度
強調しているのではありません。むしろ、ユダヤ人だけでなく異邦人の中からも、
ご自身のために一つの民を召し出された神の栄光に満ちた御業を、
喜びをもって高らかにたたえているのです。
ここで、「割礼を受けた者たち」への使徒であり、(ガラテヤ2章7-8節)
異邦人と会うだけでも御霊から非常に詳しい指示と励ましを必要とし、(使徒行伝10章10-16節)しかも後にはこの点を実際に適用するうえで完全ではなかったペテロが(ガラテヤ2章11-14節)今や、あらゆる意味で自分が使徒となった異邦人たちの救いを心から喜んでいるのを見るのは、実に喜ばしいことです。
この時までにパウロは殉教していましたが、
ペテロは小アジアにおけるパウロの働きを引き継ぎ、
異邦人の間でも豊かな収穫を刈り取るようになっていました。
(11) それゆえ、覚えておきなさい。あなたがたは、かつて肉によれば異邦人であり、
肉に施された人の手による、いわゆる「割礼」を受けた者たちから、
「無割礼の者」と呼ばれていた。
(12) そのころ、あなたがたはキリストから離れ、イスラエルの共同体から除外され、
約束の契約についてはよそ者であり、この世にあって希望もなく、
神もない者であったことを覚えておきなさい。
(13) しかし今や、キリスト・イエスにあって、かつて遠く離れていたあなたがたは、
キリストの血によって近い者とされたのである。
今やあわれみを受けた者(第一ペテロ2章10節):
ヘブル詩(箴言の中に最も分かりやすく見ることができます)に見られるように、
第二の連は第一の連を説明し、それと並行しています。
どちらの連においても、後半は前半との対比によって、ペテロの読者たち
(そして私たち)に起こった栄光に満ちた変化を示しています。
かつて彼らは、何ら良い目的のための「民[ですら]なかった」のですが、
今や「神の民」となりました。同じように、彼らも私たちも、そしてすべての信者も、
以前は神の怒りの下にありましたが、(エペソ2章3節; ローマ1章18節参照)
今や私たちは赦され、救いに至るために受けた神のあわれみを喜び誇っています。
ここで注意すべきなのは、「あわれみ」はギリシヤ語のエレオスeleos(ヘブル語の ヘセドchesedh に対応する語)であり、神の恵みと、救いの結果として神にあって私たちが持つ
平安/完全な状態/祝福とを結びつける「橋渡しとなる祝福」であるということです。
(第一テモテ1章2節; 第二テモテ1章2節; テトス1章4節; 第二ヨハネ1章3節)
神はその恵みによって、そうでなければ私たちを罪に定めることになる罪の問題に対する
解決を備えてくださいました――しかも、ご自身にとってこれ以上ないほど
大きな代価を払ってそうしてくださいました。
救いの結果として、私たちは神の平安を得ています――すなわち、
怒りとさばきが取り除かれ、祝福に満ちた関係が回復されたのです。
その関係は今でもすばらしいものですが、
永遠においては想像をはるかに超えるものとなります。
そしてその間にあって、神の恵みと、信仰によって神の救いの申し出を何の功績もなしに
受け取る私たちとが出会うところで、私たちは神のあわれみを経験するのです。
私たちの側には、神との間に平和を回復し、和解を実現するために
神に差し出せるものは何一つありませんでした。
そのため、神がすべてを備えなければなりませんでした。
それが、私たちのすべての罪のために死なれた、十字架におけるイエス・キリストの犠牲です。私たちがすることは、救い主であるキリストと、私たちには支払うことのできなかった
贖いの代価を支払うためにキリストがしてくださったことを信頼し、
その恵みの賜物を受け取ることだけです。[1]
このようにして私たちは、神の恵みによってもたらされる神のあわれみを受け、その結果、
いと高き神の息子、娘として、イエス・キリストにあって神との関係が回復されたことによる
平安を享受するのです。[2]
罪と死から救い出され……その代わりに神ご自身の家族の一員とされること以上に、
この地上ですばらしいことはありません。
ペテロがこの真理をこのような特別な形で記しておくことがふさわしいと考えたのも
不思議ではありません。
かつては「民ではなかった」あなたがたが、 今は「神の民」とされ、
かつては[神の]あわれみを受けていなかったあなたがたが、
今はそのあわれみを受けている。
罪から贖われ、神と和解するためのこのあわれみは、私たちすべてのために
イエスが霊的な死を遂げてくださったことを通して、全人類に差し出されています。
信じる私たちが、イエス・キリストへの単純な信仰を通して、このすべての賜物の中で
最も偉大なものを実際に受けるという祝福にあずかったことを、神に感謝し、
神をほめたたえようではありませんか。
キリストは、すべてを捨ててこの世に来られ、私たちを死から救ってくださった方です!
ですから、この最も偉大な祝福――そして、そこから生じ、
これまで扱ってきた節々に述べられている、ほかのすべてのすばらしい祝福――を
最大限に生かすために、霊的に成長し、前進し、実を結び続けることに、
あらゆる努力を払おうではありませんか。
それは、私たちが命そのものよりも愛している方、私たちの愛する主であり
救い主であるイエス・キリストの栄光のためなのです。
[1] 『聖書の基礎第4部A: キリスト論』II.「イエス・キリストの救いの御業」7.「贖い」
<リンク先ファイルの253頁-/A4版印刷本では251頁->を参照してください。
[2] 『聖書の基礎第4部A: キリスト論』II.「イエス・キリストの救いの御業」9.「和解」
<リンク先ファイルの263頁-/A4版印刷本では261頁-を参照下さい>を参照してください。
#34<i>に続く![]()
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昨日の空
やっと、お日様に会えたね
でも、今日からもう☔雨予報だけど…
梅雨時より、梅雨みたいなお天気でしたから
風が少し強かったけど、青い空と白い雲は気持ち良かった~![]()
今日は朝から激しい音を立てて雨が降っています☔
ジメジメすると、気持ちまで湿ってきそうだから
気をつけなくちゃね![]()
楽しく過ごせますように![]()
お祈りします![]()
やっとはれたにゃ~
おひさまのにおいかにゃ
(多分、柔軟剤の香りかも~
)

今日もありがとう~![]()




