からの続きです
パウロのヘブル人への手紙 3章 <18>
Ⅳ. 逐語解釈 :
七節~十節(パート1)
(7)それゆえ、聖霊が言われるとおりです。
「きょう、もし御声を聞くなら、
(8)荒野での試みの時に、反逆においてしたように、
あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
(9)そこでは、あなたがたの先祖が、
わたしを試み、わたしを試し、
[自分たちのための]わたしのわざを見ていながら、
(10)四十年の間そうしたのである。
(ヘブル3章7-10節前半)
「聖霊が言っているとおりです」という表現について:
ここでパウロが聖霊に言及しているのは、いくつかの目的があります。
第一に、彼が語っているすべての内容が聖書に基づくものであり、
神から出たものであり、聖霊によって霊感されたものであることを、
読者に思い起こさせるためです。
それは、彼が引用している聖句だけでなく、
それらが含まれているこの書簡そのものについても同様です。
そして私たちも、あなたがたが私たちから聞いた神のことばを受け取ったとき、
それを人間のことばとしてではなく、
事実そのとおり神のことばとして受け入れたことについて、
絶えず神に感謝している。
このことばは、信じているあなたがたのうちに働いているのである。
(第一テサロニケ2章13節/NIV訳)
第二に、ここで引用されている聖霊の戒めは、
出エジプト世代の行動を一つの模範(例)として示すものであり、
それが詩編の作者によって同時代の人々に適用され、
またここではパウロによって当時のエルサレムの信者たちに
適用されているという点に注意が向けられています。
このように聖霊への言及がなされているのは、
彼らもまた耳を傾けるべき相手は聖霊であって、
すでに役割を終えた律法の文字を、
意図的に歪めて解釈したものではないということを、
読者に改めて思い起こさせるためでもあるのです。
あなたがたは、そんなに物わかりがわるいのか。
御霊で始めたのに、今になって肉で仕上げるというのか。
(ガラテヤ3章3節)
「肉によって終わろうとすること(Finishing in theflesh)」こそ、
まさにこれらの妥協していた読者たちが当時
「その破滅へ向かう進路にすでに入っていた」ことでした。
彼らは、御霊を無視し、御霊を消し、御霊を悲しませながら、
から背を向けていたのです。
(ローマ8章6節;第一コリント3章1節;ガラテヤ5章16節;
それは、出エジプト世代が行い、ついには完全な破滅に至ったのと同じ道でした。
ところが彼らは(すなわち、出エジプトの世代)
そむいてその聖なる霊を憂えさせた…
(イザヤ63章10節前半)(参照.詩篇78篇17節;78篇40節)
主を試みること:
あなたがたがマッサでしたように、
あなたがたの神、主を試みてはならない。
(申命記6章16節)
前にも述べたとおり、
パウロは、主に対する不忠実さで悪名高かった出エジプト世代を、
エルサレムの読者たちにとって不快な比較対象として用いています。
出エジプト世代は、繰り返し主の忍耐を試し、
その反抗的態度によってよく知られる存在となりました。
また同時に、主に対して繰り返し背を向ける信者が
どのような結果を招くかを示す、
究極の警告の物語を形作る存在でもあったのです。
わたしの栄光と、わたしがエジプトと荒野で行ったしるしを見ながら、
このように十度もわたしを試みて、
わたしの声に聞きしたがわなかった人々はひとりも、
わたしがかつて彼らの先祖たちに与えると誓った地を見ないであろう。
またわたしを侮った人々も、それを見ないであろう。
(民数記14章22-23節)
これは、主イエス・キリストご自身が語られた言葉であり、
あの反逆的な世代を叱責し、彼らに対して裁きの宣告を下されたものです。
このような悪しき模範の典型と読者たちを比較することは、
確かに彼らの感情を逆なでするものであったに違いありません。
しかし、主の忠実なしもべであったパウロは、自分に対する彼らの感情よりも、
自分に託された人々の霊的な益をはるかに重んじていたのです。
イエスは[サタンに]答えて言われた、
「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。
(ルカ4章12節)
主イエス・キリストは神です。
ここで悪魔に対して語られた主の、決して控えめとは言えないこの応答は、
サタンが物事の順序を完全に取り違えていることを突きつけるものでした。
すなわち、神が私たちを試されるのであって、
私たちが神を試すのではありません。
それにもかかわらず、もし私たちが自らの判断で神を試そうとするなら、
それは悪魔と同じ態度を取ることに他なりません。
実際、悪魔は最初から神を試し続けてきました。
神に反逆したその時から、今日に至るまで、
神の御計画を妨げようとし続けているのです。
では、その結末はどうなるのでしょうか。
その行き着く先は、言うまでもなく「火の池」です。
そして、彼らを惑わした悪魔は、火と硫黄との池に投げ込まれた。
そこには、獣もにせ預言者もいて、
彼らは世々限りなく日夜、苦しめられるのである。
(黙示録 20章10節)
別の形ではあるが、出エジプトの世代――
すなわち、エジプトに対する神の大いなるさばきの奇跡を自ら目撃し、
敵から「ものを奪い取って」(出エジプト記12章36節)安全にその地を脱出し、
さらに追撃してきた者たちが溺れ死ぬ一方で、紅海を奇跡的に渡らされた、
まさにその同じ人々――は、ほどなくして主に忠実に従う道から離れ、
その結果、神の御怒りを招くことになりました。
その結果、主はこう宣告されたのです。
「彼らのうち一人として、わたしが先祖たちに誓って約束した地を見る者はいない」
(民数記14章23節/NIV訳)
しかし、ここで引用されているメリバ(詩篇95篇8節)において主を試した者たちは、
あの出エジプトの世代だけではありませんでした。(出エジプト記17章7節)
その子どもたちもまた、何年も後になって同じことを行ったのです。
このことは、後の出来事においてモーセが抑えきれない怒りを
爆発させてしまった理由の一端を説明しています。
――その怒りのゆえに、彼自身もまた、
その時点では約束の地に入ることを許されなかったのです。
そもそも、彼らの父祖の世代は、
最初から「強情な世代」であり、(申命記31章27節)
主を繰り返し試し続けてきました。(民数記14章22節)
それだけでも十分に深刻なことでした。
ところが今度は、律法の下で育ち、幼い頃から両親の契約違反と
その結果を目の当たりにしてきたその子どもたちまでもが、
同じ悪しき足跡をたどり、主の救いを忍耐して待つのではなく、
再び主の忍耐を試す道を選んだのです。
そして今や同じことが、エルサレムの信徒たちにも起こっていました。
本来であれば、すでに無効となった律法ではなく、
キリストに従うがゆえに生じた圧迫や迫害の中にあっても、
主の救いを忍耐強く待ち望むべきであったにもかかわらず、
彼らはそれとは逆に、律法へと後戻りし、
キリストから離れることによって、
ほとんど同一の仕方で神を試していたのです。
彼らもまた、かつての出エジプトの世代やその子どもたちと同じように、
主の忍耐を試していました。
しかし彼らは、自分たちこそが実際には試され、
吟味されている側であるという事実に気づいていませんでした。
また、その自己中心的な選択の行き着く先が、
キリストとの歩みを完全に立て直さない限り、
想像を絶するほど悲惨な結末になるということも理解していなかったのです。
<19>に続く![]()
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆゚
日々のデボーションの為には【休息と癒し】のサイトに掲載されている
過去記事の「ひとしずく」も、どうぞお役立てくださることをおすすめします
はじめての方へ | 休息と癒し (kyusokutoiyashi.jp)

「ダーク・トゥ・ライト」https://darktolight.jp
私達が主の御声を聞くことにおいても成長できますように。
また、ご意見、ご感想、また
「オーディオクラス」に関心のある方は、
shizuku365@proton.meまでご連絡ください。
2026年のカレンダーの申し込みもこちらへ(一部300円です)
*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆゚
<お知らせ:オーディオ・クラス「思いを守る」がサイトに掲載されています>
*:..。o○☆゚・:,。*
わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。
主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。
主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、
わたしの足を岩の上におき、
わたしの歩みをたしかにされた。
(詩篇40:1~2)
*:..。o○☆゚・:,。*
この世の情報に押し流されてばかりいると
真理からどんどん遠く離れていってしまい
何が嘘かも分からない泥の底なし沼に入り込み
もはや自分の力でさえ這い上がることも出来なくなります
聖霊によらなければ
何一つ出来ないことを
どうぞ気付かせてください
御言葉と聖霊で清められ続け
強められますように
お祈りします![]()
ヒヨドリが椿の花を落としたよ
下を見ると…
あれ![]()
百日紅の木の陰にいるのは、クロちゃん![]()
![]()
何か見つけたのかな![]()
私に目もくれず凝視![]()
仔猫の時からもう10年は経つけど
時々遊びに来てくれるクロちゃん![]()
また来てね![]()
今日もありがとう~![]()






