こんばんは。文子です。
全国的に続く変な天気の中、
自宅でドラマの撮り溜めを
夫とソファーで観ながら夜を過ごすことが多いです。
もうすぐ最終回の『Tシャツが乾くまで』は、
心理描写が絶妙すぎー。
妙に心に残った場面がありました。
ある日突然、姿を消した夫が、
1年後に突然帰ってくる。
そして、自分がどうして逃げてしまうのか、
その逃避癖について話すんです。
失踪そのものより、
私はその「逃げたくなる心」の方が、
すごく残ったなあ。
人って、
「このままじゃ嫌だ」
「変わりたい」
「もうこんなふうに生きるのはしんどい」
って思っていても、
いざ本当に変わる方へ進もうとすると、
急に怖くなることがある。
だって、今までの自分のパターンって、
苦しくても“勝手知ったる世界”ですよね。
いつも不安になる。
人の顔色をうかがう。
本音を飲み込む。
考えすぎて動けなくなる。
また逃げる。
しんどい。
でも、慣れている。
だから「自分と向き合う」とか
「人と向き合う」と聞くだけで、
何かものすごく痛いものを
見なきゃいけないんじゃないか。
見たくない自分が
出てくるんじゃないか。
そんなふうに感じて、
怖くなる人もいると思うんです。
●でもね。
ナチュラリッチ流の「自分活」で
見つけにいくのは、
ダメな自分じゃないんですよ。
「あれ? 私、こんなこと好きだったんだ」
「本当はこうしたかったんだ」
「こんなことで嬉しくなるんだ」
「こんな私、いたんだ!」
って、
今まで知らなかった自分に
出会っていくことでもある。
もちろん、その途中で、
痛みや怖さに出会うこともあります。
でも、痛みしかないわけじゃない。
自分の中には、
喜びも、面白さも、
「本当はこう生きたい」もある。
そういう自分の光もちゃんとあると分かってくるから、
痛みに出会っても、
そこだけに飲み込まれなくなっていくんだと思うんです。
ほら、暗い部屋に何かいる気がすると、
それだけで怖いじゃないですか。
「なんかいる…お化け??」
「見たくない…」
って。
でも、パチッと電気をつけてみたら、
「あれ? なんだ、これだったの?」
ってこともある。
そして、もし本当に痛いものがあったとしても、
その隣にはちゃんと、
「あ、私こんなことが好きだったんだ」
「本当はこんなふうに生きたかったんだ」
という自分もいたりする。
見ないから、怖いが膨らむ。
知らないから、頭の中でどんどん大きくなる。
だったら私は、
電気をつけて見てみたらいいと思うんです。
怖い自分を暴くためじゃなくて、
まだ知らない自分に会うために。
自分に向き合うって、
ダメなところを探して直すことじゃないですよ^^
もっと自分を知って、
もっと自分と仲良くなって、
「ああ、私ってこういう人だったんだ」
って、少しずつ息がしやすくなっていく。
実際、あるNR受講生さんが
こんなふうに振り返ってくれました。
「前は、自分のネガティブなところばかり見て、
明るい未来が見えず、とても苦しかったです。
でもNRを受講して、
当時と比べるとビックリするほど
息がしやすくなっていることに気づけました。」
この「息がしやすくなる」って、
私はすごく大事だと思うんです。
しんどそう、怖そうっていうイメージだけで、
ずっと得体の知れない不安に振り回されながら、
人生の時間を消費していくなんて、
やっぱりもったいない。
その奥には、
まだ自分でも知らない
キラりんとした自分も、ちゃんといるんですよね。
そんな自分で恋をしたり。
仕事に夢中になったり。
「楽しい!」を思いっきり感じたり。
泣いたり、笑ったり。
そうやって、
自分の人生をめいっぱい生きていけたらいいですよね^^
だから、自分を知ることを、
そんなに怖がらなくて大丈夫。
自分活って、
怖い自分を見つけにいく旅じゃない。
まだ知らない自分の光に、
会いにいく旅でもあるんです^^