前記事の続きです
8年前の初参拝のとき
風浪宮で一番好きだと思った場所は
御本殿真裏の禁則地でした
当時は玉垣で囲まれた場所が
竹林だったのですが
現在は・・・
竹は伐採されて
禁則地でもなくなっていました
禁則地だった場所の正面辺りに
幟が沢山立っていて
奥に柱のようなものが見えました
御本殿の正中線沿いに
この柱は立っています
8年前の初参拝の際は気付かなかったけど
この場所は2020年(令和2年)3月末まで
大川中学校だった場所の様です
現在は閉校しています
のだめカンタービレの
リアルのだめさんの出身校だったりして
平安時代
元々はこの場所に風浪宮東宮が
あったとされます
現在御本殿のある風浪宮は本来
西宮と呼ぶようです
中学校の統合により
6000坪ある敷地が70年振りに返還され
風浪宮に東宮が返ってくるとも言えると
資料にありました
この広大かつ大切な土地を
誰もが気軽にくつろぎながらも
歴史に思いを馳せることができるような
緑に囲まれた憩いの場所に
作り上げて行こうと
百年の杜プロジェクトが計画されています
風浪宮御本殿の正中線沿いに立つ
真御柱
「わたつみ三神」が降臨する
依代とされます
この柱はただの真っすぐな柱ではなく
3つの柱が束ねられています
風浪宮の御神紋である
「洲浜紋」を模しているとも
思えますが
全くの洲浜紋というわけでなく
同じ大きさの3つの柱です
洲浜紋
真御柱を上から見たところ
真御柱は太陽・月・星をあらわす
3つの水面の真中に立ちます
また
御本殿の正中線上に立っていますが
柱手前(南側)に
屋根付きの遙拝所が建つ予定で
そちらから
宗像大社沖津宮(沖ノ島)、志賀海神社を
拝むことができます
境内南側に遙拝所用の入り口と参道も
整備されるもよう
敷地に立つ三基の鳥居は
玄界灘の沖ノ島に向かって立ち
それぞれが海神(わたつみ)三神を
あらわしています
なぜ、こちらから
宗像大社沖津宮(沖ノ島)と
志賀海神社を拝むのか❓
宗像大社の沖津宮の現在の御祭神は
田心姫、道主貴とされていますが
沖ノ島には元々「正三位社」と称する
少童命を祭神とする神社があったことが
わかっています
この少童命(三女神)は
沖津宮(沖ノ島)・志賀海神社(志賀島)
風浪宮の三所によって祀られているため
三位一体の意味があるのかもしれません

資料には
「この3つの神社を地図上で結ぶと
きれいな一直線になり…」
とありましたが
実際はかなりズレていました💦
しかし、それは現在のことであって
はるか昔は一直線だったのかも…と
思い直した次第です
遙拝所の天井には
沖津宮(沖ノ島)と同じ経度にある
中国の長安から見える老人星(カノープス星)
を含めた星宿図を描く予定なのだとか
この老人星は南天の星のため
日本からは南の地平線ぎりぎりにしか
見えないとのこと
冬の大三角形の一つ
シリウスの延長線上に見えるようです
この位置にロマンを感じたワタクシ
漢名では老人星を丁南星と書き
”ちはやの星”と訓じます
安房(千葉県南部の旧国名)では布良星
紀伊(和歌山県と三重県南西部の旧国名)
では目良星と呼び
これが水平線に高上りすると
風雨が時化るという
(中略)
“ちはやふる”は“かみ”にかかる枕詞である
(「儺の国の星」81頁、83頁より)
神功皇后が新羅征伐の帰途
暴風に遭ったとき
もしかしたら老人星が
水平線に高上りしていたのかもしれません
※私の妄想
玄界灘に近い場所
志賀海神社境内からも見える
福岡市東区の千早という地名や
志賀海神社で
イザナギ・イザナミとして祀られている
(と私が思っている)立花山
こじつけますと
私は母が東区香椎に住んでいるとき
東区千早にある真田産婦人科で
産まれました
なので、あの辺りは
私の産まれ故郷でもあるのです
私のなかで老人星が
安曇(阿曇)磯良との繋がり
暴風をおさめてくれた少童命の
繋がりと合点がいきました
風浪宮のルーツである海洋族阿曇氏は
真っ暗な中で星を頼りに
中国をめざしたとも言われており
そういった意味でも
風浪宮の歴史や沖ノ島との繋がりを
感じてるもらうのが狙いのよう
現在は、ほぼまっさらな広場ですが
ゆくゆくはこのうような杜が
完成することでしょう
風浪宮 阿曇宮司より
「神様に見守られながら
誰もが安心して過ごせる杜があるのは
地域にとっても日本にとっても
素晴らしいことだと思います
100年先を見据えた『杜づくり』に
ご理解とご協力をお願い申し上げます













