昨日の記事、
たくさんの人に読んでもらえてうれしいです。
お医者さんに認定される前から
稽留流産なんだろうなぁということには
薄々気付いてて、ネットで情報を集めたりして、
気持ちの準備はできていました。
赤ちゃんは喜んでいる。
私は私、赤ちゃんは赤ちゃん。
この赤ちゃんの人生は、これで完了なんだ。
短い旅だとわかっていて、それを選んで私のところにやってきた。
赤ちゃんはそれを納得している。
だから私はそれを受け入れるだけ。
私たち夫婦は一人目の子どもを妊娠してから3年以上セックスレスでした。
それを経て復活していたので、いつ子どもができてもいいと思っていました。
妊娠が分かった時は嬉しくて、2人で喜びました。
流産が確定した時、旦那さんに報告した時、
リブログ先にある内容も同時に伝えました。
哀しいけど、必要以上に落ち込んではいないよ。
納得しているよ。
わたしは大丈夫だよ。
それを伝えたかった。
「流産だったよ」って伝えると泣きそうになりました。
泣いてもいいんだけど。
悲しさより、なんだろう、
手術するんだっていう不安と怖さ?
なんだろう、怖さからの涙だったのかな。
よく分からないな。
家族や友人に流産になったことを伝えると
みんな、なんて声をかけていいかわからず困惑しているようでした。
私を気遣ってくれました。
慰めようとしてくれました。
そんな時の私は、
相手を悲しませたくないという思いが出てきてしまうのです。
そもそも私はかわいそうな人ではないのだから。
かわいそうな人だと思わないで欲しい。
わたしの大切な人たちには、
必要以上に悲しまないでもらいたい。
気を病まないで欲しい。
大丈夫です!って無理しているわけじゃないんだ。
ただ淡々と受け入れただけ。
納得して、今自分のすべきことに目を向けているだけ。
でも、一緒に悲しんでくれた人たちの愛を改めて感じました。
心配という愛。
私は愛されているという実感。
有難いです。
一緒に悲しんでくれることも喜びなんですね。
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