本を、5冊 | マサミのブログ Road to 42.195km

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私は、自分の興味や関心とは関係なく、「たくさん売れた本」をまとめて読むことがある、と先日書きました。最近、そんなふうにして読んだ本の感想をまとめておきます。読んだ順に。

 

 

『九十歳。何がめでたい』佐藤愛子 著 小学館

 

私の母と同じ大正12年生まれの作家、佐藤愛子さんが2015年から2016年にかけて『女性セブン』に連載したエッセイをまとめた本。とにかく「気にいらないもの」を片っ端からディスりまくります。

 

私が「分かるぅ~」と膝を打ったのは「近頃は、テレビでしゃべる若い女性タレントの話が聞き取れない。NHKの女性アナウンサーや、舞台経験の長い女優さんの話は聴き取れるのに」という話でした。私(マサミ)もそうなんです。「女性アナや舞台に立つ女優さんは、発声や活舌の訓練をしているからだろう」と佐藤愛子さんは書いていますが、きっとそうなんでしょう。

 

ただねぇ…この本は、とにかく「今の世の中はおかしい。昔はこうじゃなかった」みたいな話のオンパレード。これを読んで溜飲を下げる人もいるかも知れませんが、私は疲れてしまいました。

こういうテーマで週刊誌に連載のコーナーを持つということは、常に「腹が立つネタ」を探し続ける必要があるわけですよね。それもちょっと大変そうに思えてしまって。

 

私は、誰かが怒ったり憤っている姿を見るよりは、喜んだり楽しんだり感動している場面に出会うほうが、好きです。朝日新聞が出している『アエラ』という雑誌に「今週のわだかまり(武田砂鉄)」というコラムがあります。これなんか、タイトルを見ただけで内容が想像できてしまって、読む気がおきません。

もちろん、おかしい、腹立たしいと思うことを糾弾する場があることはとても大切なのは理解しています。でも自分からそういうネタを探して歩く姿勢は、なんか嫌だ。まぁ、プロの書き手なら仕方ないんでしょうけどね。

 

 

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『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』 三宅香帆 著  集英社新書

 

2024年の「書店員が選ぶノンフィクション大賞」受賞作だそうです。ひとことで言っちゃえば「日本人は働く時間が長すぎて、本を読んだり映画を観たり音楽を聴くなどの文化的な活動に向ける時間が無さすぎる。それはおかしい」という主張のように読めました。


でも少し引っかかったのは、「本」と言ってもいろんな本があるし、それを読む側の人にもいろんな人がいますよね。文芸書とミステリー小説と自己啓発本。どれもみんな「本」には違いないけれど、『なぜ働いていると…』は、その辺がごっちゃになっているような気がして、どうかなと思ってしまった。

 

中には、「これは分かる!」と思った言葉もあるので紹介しておきます。

「情報=知りたいこと。知って役に立つこと」

「知識=ノイズ+知りたいこと」

ここで言う「ノイズ」とは、読むと頭の中に「?」が浮かんで、それについて考えざるを得なくなるような何か、ぐらいの意味です。そして三宅さんは、これこそが読書の醍醐味と言う。私も同感です。

 

 

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『コンビニ人間』 村田沙耶香 著  文春文庫

 

2016年上半期の芥川賞を受賞した小説。世界40か国語に翻訳されたそうです。主人公の古倉恵子は36歳、独身。世間から見ると「異物」であり「異質な人」だが、マニュアルでガチガチに固められたコンビニという小さな世界では楽に生きていける…。

 

これは「分かるなぁ」と思いました。コンビニの制服を着れば、年齢も性別も国籍も思想信条も趣味も好みも関係なく、コンビニの店員という「部品・歯車の一つ」になれる。

そういう世界でだけ、楽に生きていけるタイプの人って、少なからずいそうな気がするんですよね。私にもその資質が、少しあるかもしれない。みんなの前では、本当の自分を殺すことが出来る人っていうか。

 

この小説は「普通であること」を誰にでも無理強いする今の日本社会の不気味さを描いたものとして注目を集めました。そこは、よく分かります。

私も途中まで面白く読みましたが、でも、あるところから展開がちょっと荒唐無稽な方向に進む気がして、残念でした。もっとも、読む人によっては、そこがいちばん面白いのかもしれませんが。

 

ラスト近く、古倉恵子が、ふとしたことから同棲するようになった白羽という男性に叩きつけるセリフが象徴的です。

 

人間の私には、ひょっとしたら白羽さんがいたほうが都合がよくて、家族や友人も安心して、納得するかもしれない。でもコンビニ人間という動物であるにとっては、あなたはまったく必要ないんです」

 

 

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『青い壺』 有吉佐和子 著 文春文庫

 

昭和51年から52年にかけて文芸春秋に連載された小説。50年も昔の小説が今になってリバイバルヒットした理由は『三千円の使いかた』で有名になった原田ひ香さんが文庫本の帯で絶賛したことがきっかけらしいです。NHKの朝の情報番組で取り上げられたことも大きかったようで。

 

無名の陶芸家がたまたま生み出した美しい青磁の壺が、次から次へといろいろな人の手に渡り、人も壺も数奇な運命を辿って行く…これって川端康成の『千羽鶴』にそっくりですよね。

私は川端康成のこの小説を読んで「志野」とか「織部」というやきものを知り、志野焼を復活させた荒川豊三という人を知り、やきもの(というか美濃焼)に興味を持つようになったのでした。

なので『青い壺』の出だしで、やきものがどうやって出来るか、新しいものを古いもののように見せかけて高く売る悪質な業者がいることなど、知らない世界について知ることが出来て、とても興味深く読み進めました。

 

今、いろんな人がこの小説について語っているのが「内容がちっとも古くない」ということ。確かに、舞台は変わっても人間の心の動き…子や孫への愛情、金銭への執着、自分よりも恵まれた人への嫉妬、配偶者への愛が醒める寂しさなどが丁寧に描かれていて「あるよねぇ、こういうの」という気持ちにさせられます。

 

でも私は読んでいて、物語の進め方が、三島由紀夫の小説にも感じるのですけれど、いかにも「おはなし」という感じ、作り物っぽい雰囲気を感じてしまった面もありました。

最後の最後に、壺が巡り巡って作った人の元に帰るあたりなんかが、特にそう感じてしまった。まぁ小説なんだから仕方ないんですけど。

 

 

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『思考の整理学』 外山滋比古 著 ちくま文庫

 

ちょっと前まで、私が読んでいる朝日新聞に「○○大学の購買部でいちばん売れた本」みたいな宣伝文句でやたらと広告が掲載されていて(大学名が次々に替わるんです)、気になっていたので読んでみました。文庫として最初に出版されたのは1986年なので、40年前のことです。


作者の外山さんは英文学者で、いくつもの大学で教鞭を取りました。「知の世界」で生きて来た人ですね。そういう経歴の中でつかみ取った「考えること」に関するエッセイ集がこの本です。

私も「いいこと言うなぁ」と思った言葉がいくつかあるので、大意を並べておきます。(原文通りではありません)

 

「知ることと考えることは別。創造というものは『考える』こと無しには生まれない」

 

「ひらめき、アイデア、思いつきなどは、いったん時間をおいて『寝かせる』ことでさらに良くなる」

 

「新聞や本のスクラップは、何でもかんでもただ保存するだけでは駄目。ときどき目を通してふるいにかけて、捨てるものは捨てるべき。普段から贅肉を落としておかないと、いざという時に身体が思うように動かないのは人間の身体と同じ

(赤い字の部分は、私がこの本の中でいちばんピーン!と来た文言ですニコニコ

 

「どんなジャンルでも、古典として残るものは、時間という関所を通過する。この関所は5年や10年では作用しない。30年、40年すると初めて威力を発揮する。放っておいても、50年たってみれば、木は浮かび、石は沈むように出来ている」

 

「修飾語をたくさんつけると、表現は弱くなる。『花』で十分なのに『赤い花』とすると含蓄が小さくなる。『燃えるような真っ赤な花』としてしまうと、さらに限定されたイメージしか伝わらない」

(この言葉も深い!吉行淳之介さんも似たようなことを書いていた記憶があります)

 

「一人でくよくよするのは避けるべき。自分をなるべく褒めてくれる人と会ったほうが良い。鋭い批評は大切だが、良いところを見る目のない人は敬遠しよう。人は褒められることで思考が活発になる」

 

 

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5冊の本について、私が読んで感じたことをざっくり、駆け足で紹介しました。こういう本が最近は売れるんですね。

「どこが、売れるのか」共通点を考えてみましたが、うーん。ちょっと分かりませんでした。