読書感想文 4冊まとめて | マサミのブログ Road to 42.195km

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とても有名な作品(作家)なのに読んだことがない…そういうものをボチボチ読んでいます。今回はこの4冊。

 

 

 

では、ざっと感想をまとめておきますね。

 

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製糸工場での過酷な労働に耐えて富国強兵のため働かされた少女たちの実態を描いたルポルタージュ。

 

内容は明治から大正の話なので本が出来たのもその頃だろうと思って読み始めたら、この本は1968(昭和43)年に刊行されたもので驚きました。

でもそれは私の勘違いで、細井和喜蔵という人が書いた『女工哀史』が大正14年に刊行されていて、それと混同していました。

大正に書かれた『女工哀史』と昭和に書かれた『ああ野麦峠』は別の本、と知っただけでも収穫です。

 

『ああ野麦峠』の著者の山本茂実さんは、飛騨(岐阜県)の山奥から信州の諏訪湖かいわいにあった製糸工場まで出稼ぎに行った経験のあるお婆さんたちにインタビューし、当時の様子を生き生きと描き出しています。

残っている資料も徹底的に調べあげていて、ルポルタージュのお手本のよう。当時の女工さんたちが苦労して歩いた野麦峠を、私も自分の脚で歩きたくなりました。

 

岐阜県といえば、島崎藤村の大傑作『夜明け前』の舞台になった木曽の「馬籠」~「妻籠」も歩いてみたいんですよね。うーん。いっぺんに両方は難しいかな。でもいつか行ってみたい。

馬籠は、今では俗っぽい観光地になっちゃってるみたいだけど、それでも一度は行きたいです。

 

 

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詩人の高村光太郎が1941(昭和16)年に発表した詩集。「東京には空がない、と智恵子は言う」という一節は知っていましたが、それ以外には高村光太郎という人について何も知りませんでした。

私はそもそも「詩」という形態が苦手なところがあって、食わず嫌いだったと言えるかもしれない。

 

この『智恵子抄』は、作者が妻の智恵子さんと知り合ってから彼女が亡くなるまでに書いた、彼女に関する詩、短歌、散文が収められています。私はこの本を読むまで、高村智恵子さんは精神を病んで亡くなったということを少しも知りませんでした(ご存知でしたか?常識なのかな)。

 

転地療養しながらも、だんだんと悪化していく智恵子さんの様子を、高村光太郎は詩にしています。

 

狂った智恵子は口をきかない

ただ尾長や千鳥と相図する

(略)

白い砂には松露がある

わたしは松露をひろいながら

ゆっくり智恵子のあとを追う

尾長や千鳥が智恵子のともだち

もう人間であることをやめた智恵子に

恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場

智恵子飛ぶ

 

「風にのる智恵子」 (亡くなる3年前の作品)

 

高村光太郎は詩を書く人で、智恵子さんは絵を描く人だったそうです。セザンヌに傾倒したけれど油絵具を使いこなすことが出来ず、思うような色彩が出なくてカンバスの前で涙を流していたとか。

高村光太郎は後になって「智恵子も自分の芸術に没頭したかっただろうに、家事や私の世話など主婦の仕事に時間をとられて苦しかっただろう」という意味のことを書いています。

 

芸術家同士が出会ってお互いに魅かれ、一緒に暮らす。それだけなら美しいかもしれませんが、「生活」とか「仕事」とか「お金」が絡んでくるといろいろ面倒ですよね。

高村光太郎も智恵子さんも、あまりにも純粋すぎて、生きるのが大変だっただろうなと思いました。読んでいてちょっと息苦しくなるところがある。

 

夫婦の片方が純粋な芸術家だったら、配偶者は多少は世間慣れしていて、打たれ強いというか、世渡りがうまい人のほうが良いのかもなぁ?とも思いました。高村光太郎自身も、それに似たことを書いていますね。

 

詩人の草野心平さんが書いたあとがきも、心を打ちます。苦しいけれど、読んで良かったと思える本でした。

 

 

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1906(明治39)年に伊藤左千夫が発表した小説。13歳の政夫と15歳の民子との淡い初恋の清らかさと悲しい結末が多くの人の涙を誘いました。

 

斎藤茂吉は『野菊の墓』を次のように評したそうです。

 

「この小説は表現に洗練せられないようなところがあり、感動の表出にも垢抜けしない、気の利かぬ箇処が多いものであるが、全力的な涙の記録として、これほど人目をはばからぬものも世に少ないであろう」

 

いやぁ、この小説には泣かされました。お互い好き同士だったのに大人の思惑で仲を引き裂かれ、民子は意に反して結婚させられたあげく、病で死んでしまう。

そのお葬式に来た政夫に向かって、政夫の家族も民子の家族も「あんなに好き同士と分かっていたら、一緒にさせてあげるんだった」「私が民子を死なせたようなものです」と、声を揃えて懺悔し、泣き崩れる。この場面には胸が詰まります。

 

伊藤左千夫自身も、作家が集まった勉強会の場でこの作品を朗読した時、何度も何度も涙にくれて読み進めなかったとか。うーん。自分の作品を自分で読んで人に聞かせながら号泣してしまいますか。

「そりゃ、あんまりにも情に溺れ過ぎじゃない?」という声もありそうですけど、私には分かる気がします。

私も、自分の文章を自分で読んで感動して泣いてしまうこと、たまに、ありますから。ひと前で朗読というのは、さすがにしたことがありませんけれど。

 

『世界の中心で、愛を叫ぶ』が大ヒットしましたよね。ああいう「純愛もの」の原点が『野菊の墓』かもしれないなと思いました。原点だから、誰も超えられない。

 

 

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宮沢賢治と言えば「アメニモマケズ」ですよね。でも私はそのぐらいの知識しかなくて、彼の作品はまったく読んだことがありませんでした。そこでこの『注文の多い料理店』を初めて手に取ってみました。

 

この本は14編の童話と1編の詩が収められています。その中の一つが『注文の多い料理店』。私は初めて宮沢賢治の作品を読んで…うーん、困ってしまいました。どうにも、なんというか、入っていけないんですよね。相性が悪いとしか言えない。

 

『いちょうの実』という作品だけはホロリとさせられましたが、他のものはどうも…。正直に告白しますと、本の最後まで読めませんでした。飛ばし読みすら、出来なかったです。

 

宮沢賢治の良さが分からぬとは、この大馬鹿者め!」と言われちゃいますかねぇ。でも、これが正直な私の感想です。『銀河鉄道の夜』や『風の又三郎』など有名な作品があるので、それも読んでみたかったのですけれど、保留にしてあります。宮沢賢治ファンの皆様、ご不快ですよね。ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

<予告>

次回は、瀬戸内寂聴、岡本かの子、与謝野晶子…こうした人たちの作品に挑戦します。みんな日本の文学史上に名を残す人ばかりですが、私は恥ずかしながら一冊も読んだことがなかったので。