こんにちは赤薔薇

ライターのKOTOEです。

 

 

ブログを毎日更新するようになって

いろいろと情報発信するようになりましたが、

ここで改めて、私の“発信に取り憑かれた半生”を

ご紹介したいと思います。

 

 

 

 

私は1987年、佐賀の田舎で次女として誕生しました。

起業家の向井ゆきさんとは同学年の同郷です(学校は違いますが)。

 

 

親に言わせると、私は「個性的な子ども」だったそう。

親に怒られると「探さないでください」と

置き手紙を書いてプチ家出したり、

なぜか水着を着て保育園に登園したがったりしていました笑

 

 

4歳のときには、まだ習ってもいないローマ字を

独学でマスターして褒められました。

 

どこに行っても、誰に披露しても

「まだ小さいのにすごいね〜」

と褒められるから、私は鼻高々!

この頃から文字には強かったのかもしれません。

 

 

小学生になり、PC好きな父親の影響で

PCと当時一般に普及し始めていた

インターネットに熱中します。

ネットデビューは同世代の中では早いほうだったと思いますまじかるクラウン

 

 

 

 

そこで私は人生で初めて“没頭”を経験。

学校から帰ったら父親の仕事場に直行し、

ネット掲示板やチャットで全国の人と

延々とおしゃべりを楽しんでいました。

 

 

小6の頃には、ピンクのテディベアがメールを運ぶ

「ポストペット」というソフトにドハマリし、

ホームページを自作。ペットにあげるおやつも

ドット絵で自作して配布していましたお団子

 

 

さらに、当時サービス初期だった「まぐまぐ」で

ポストペットのメルマガを刊行。

登録者数は約3000人まで伸び、

「ポストペット」ジャンルで最高2位まで達しました。

小6の作文を3000人が読んでいたなんて、

今振り返るとすごい時代でしたね笑

小学生が書いているなんてわざわざ言いはしませんでしたが…

 

 

学校でも「ポストペット新聞」なる広報誌を

勝手に作って教室の掲示板に貼ったりしていました。

同級生が読んでいると、それを横目にニヤニヤして

「私の新聞を読んでくれてる!」と喜んだりして。

 

 

「自分の好きなものを発信して

誰かに知ってもらうことが、

こんなに楽しく

ワクワクすることだなんて!!」

 

 

この強烈な喜びが、30年以上たった今でも

私を突き動かす原動力になっています。

私がライティングや雑誌の編集を仕事にしたのも、

この頃の原体験があったからかもしれません。

 

 

 

 

ただ、幼い私は家族にこの喜びを伝えることをしなかった。

「インターネットで発信したい」とちゃんと言葉にして、

やりたいことを理解してもらう努力をしなかった。

「自分がわかっていればいい」と、

PCの中に広がる世界だけに発信していたんです。

 

 

当然、家族は常にPCに向かう私の行動が理解できません。

家族(特に母)はこの“没頭”をまったく許してくれず、

常に説教状態でした。

 

 

夕食後、手伝いもせず父の仕事場に行くので怒られ、

深夜までずっとPCを触っていたので怒られ、

休日も…以下同文。

 

 

一応宿題はしていたし、勉強はできるほうだったので

怒られる筋合いはないのですが(今でも思う)、

「目が悪くなる!」と私の行動を嫌悪していました。

 

 

あるときはPCを捨てられかけ、

あるときはインターネット回線をブチッとちぎられ、

あるときは「もうやめろ!」と発狂され、

あるときは…もう説教エピソードが多すぎて書ききれません笑

 

 

それでも私はインターネットでの発信をやめられず、

高校に進学することでようやく“没頭”から

抜け出すことができました。

 

 

でも、この経験があったからこそ、

スマホが爆発的に広がったタイミングで

Webライターとしてデビューできたし、

記事を書くときもインターネットで発信するコツが

すぐにつかめたなと感じています。

 

 

中学〜大学編へ続きますキラキラ

 

 

 

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