こんにちは
Kotoeです。
「私を構成するもの」シリーズの続き。
→前回①
振り返れば、私の人生はいつだって
「Want」の連続だ。
小学生のころから
「これほしい!」
「ここに行きたい!」
「〇〇食べたい!」
などなど、毎日「〇〇したい」を
口にしていた記憶がある。
友だちがゲームボーイを持っていれば
それをほしがり、
テレビ番組で観光地が紹介されれば
そこに行きたがり、
近所にかわいい犬がいれば飼いたがった。
興味のあることはすべて手を出そうとする
なかなか欲深い子どもだった
笑
そのたびに親(特に母親)は
「そんなお金ない!」
「よそはよそ!うちはうち!」
「『したい』ばっかり言わないの!」
と私の提案を即却下
母親からはいつも
「Kotoeはいっつもしたい、買いたい、
行きたいばーーっかり!」
とうんざりされてた。
「うちが金持ちでなにごとにも寛容な
家庭だったらどれだけ幸せだったか…」
と、当時は周りの家と比べては嘆いてたなぁ。
でも、思い返せばなんだかんだで
本当に叶えてほしい私の願いは
叶えてくれていたような気もする。
自転車がボロボロなことを同級生に
バカにされたときには
新しい自転車を買ってくれたし、
中学生のときには姉妹都市交流で
アメリカへホームステイに行かせてくれた。
漫画「金田一少年の事件簿」を読んで
熊本・天草の隠れキリシタンについて
調べたいと伝えたら、休日にわざわざ
天草に連れて行ってくれたこともあった。
今思えば、ちゃんと愛されてたんだよね。
私の「Want」をめったに受け入れて
くれなかったのは、
甘やかしてはいけないとか、
我慢できる子どもに育てたいなんていう
思いがあったのかもしれない。
(お金は本当になさそうだったから
金銭的な問題ももちろんあっただろうけど笑)
ただ、子どものころは両親のそんな思いに
気づくはずもなかった。
幸か不幸か、
大人になってからも「Want」ベースの
思考のクセはなかなか直らないでいる。
「Want」のエネルギーを多分に抱える
自分は正直あんまりまだ好きじゃない。
だって向上心の塊みたいでしょ?
余裕なさそうでしょ?
六本木の成り上がり感ない?
頑張っていないように見える人に私は
憧れるし、ある種いろんなことを
受け入れて半分諦めているくらいの人の
ほうが色気を感じちゃうんだよな。
自分が向上心の塊であることを受け入れて、
「私はがっついている!
人生はやりたいことだらけ!!」
って胸を張って言えるようになりたい。

