空海を知る11
山岳修行② 吉野(金剛・葛城)~熊野(大峯山系)~四国へ
大学寮を出て、修行者になった真魚は、おそらく役行者の生誕地、大和葛城山にある吉祥草寺や

、となりの金剛山の転法輪寺などの修験の寺に宿泊まったり、衣食の世話になっていたのかもしれません。

「性霊集」という書物には、真魚が、吉野からかなりの早足で、大峯山の行者道を踏破して、途中山を下り、十津川村のあたりから今の小辺路を通り一気に高野山に上った記述があります。
メチャクチャ体力もありますよね~。
吉野には比蘇寺という寺があります。
国際仏教センター大安寺と深い関係があった寺です。
当時は、山岳修行の山岳寺院と平地の寺院がセットになるような結びつきがありました。

この寺には、神叡という唐の僧侶がいて、不空増求聞持法を20年にわたり修法して、よく成就したと言われています。
大安寺に入り浸っていた空海は、その話を知っていたでしょう。
神叡はすでに亡くなっていましたが、その行法を知る人がいたかもしれず、真魚はこの寺のゆかりの僧に、伝法された可能性があります。

不空増求聞持法は、大安寺の道悲禅師など、唐の長安に留学した僧から7世紀の中頃に伝えられ、山岳修行に取り入れられています。
ここから熊野の大峯山系に入った真魚は、さらに厳しい山岳修行に入ります。

虚空蔵(宇宙空間)と自分が一体になれる深山幽谷があり、断崖絶壁や千尋の谷など、、金剛・葛城よりも過酷で、命がけの危険を常にはらんでいる行場でした。

吉野ではまだおぼつかなかった虚空蔵求聞持法も身につき、練磨の段階に入っていたころでした。
この大峯山を経て、熊野を体験し、真魚は、故郷の四国に戻ります。

、となりの金剛山の転法輪寺などの修験の寺に宿泊まったり、衣食の世話になっていたのかもしれません。

「性霊集」という書物には、真魚が、吉野からかなりの早足で、大峯山の行者道を踏破して、途中山を下り、十津川村のあたりから今の小辺路を通り一気に高野山に上った記述があります。
メチャクチャ体力もありますよね~。
吉野には比蘇寺という寺があります。
国際仏教センター大安寺と深い関係があった寺です。
当時は、山岳修行の山岳寺院と平地の寺院がセットになるような結びつきがありました。

この寺には、神叡という唐の僧侶がいて、不空増求聞持法を20年にわたり修法して、よく成就したと言われています。
大安寺に入り浸っていた空海は、その話を知っていたでしょう。
神叡はすでに亡くなっていましたが、その行法を知る人がいたかもしれず、真魚はこの寺のゆかりの僧に、伝法された可能性があります。

不空増求聞持法は、大安寺の道悲禅師など、唐の長安に留学した僧から7世紀の中頃に伝えられ、山岳修行に取り入れられています。
ここから熊野の大峯山系に入った真魚は、さらに厳しい山岳修行に入ります。

虚空蔵(宇宙空間)と自分が一体になれる深山幽谷があり、断崖絶壁や千尋の谷など、、金剛・葛城よりも過酷で、命がけの危険を常にはらんでいる行場でした。

吉野ではまだおぼつかなかった虚空蔵求聞持法も身につき、練磨の段階に入っていたころでした。
この大峯山を経て、熊野を体験し、真魚は、故郷の四国に戻ります。