盛岡食いしん爺日記
<音楽が流れます。音量に注意してください。>
今年も見てきた五所川原の立佞武多。
津軽、五所川原の立佞武多は、復活したのが1993年(平成5年)。
元々は大正の初期まで20メートルを超える巨大な佞武多が街を練り歩いた。
大火や電気の普及に伴い電線が張り巡らされ、
運行が出来なくなり、佞武多は小型化し、立佞武多は途絶えてしまった。
平成に入り山車の設計図などが見つかり、
市民有志が復活させ、毎年、街中が人の波で埋まる。
「ヤッテマーレ!ヤッテマーレ!」
と太鼓の音やお囃子に合わせて勇ましい掛け声が響き渡る。
津軽の人々の底力。
パレードを見る前に腹ごしらえ。
炭火で焼く焼き鳥。
漂う匂いに心掴まれ、ヤッテマーレの声に背中を押された。
ここは、居酒屋、小料理屋だろう。
焼き鳥にしても蕎麦も間違いないと踏んだ。
やはり、どちらも美味しかった。
Tea For Two · Oscar Peterson Quartet
昨年の祭りで知り合った人たちがいた。
今年も元気で「ヤッテマーレ」。
見つけられてよかった。
初めて来たのはいつだろう。
十数年は遡る。
いやいやもっと前だろう。
初めて見た時は、
迫力に圧倒され金縛りにでもあった様に呆然と真上を見ていた。
首が疲れたものだ。
あの頃は、祭りの初日のスタート前に吉幾三氏が歌っていた。
「ヤッテマーレ」の歌詞があった。
そろそろメインの立佞武多の登場。
ビルの7、8階の高さで、
登場すると沿道から地鳴りの様な歓声が上がる。
今年もしっかり立佞武多を見た。
昨年、祭装束を着た人たちと知り合いになったが、
それから、一歩だけ祭りの中に入り込んだ気がする。
祭りの後は、五所川原の御菓子処「葉山」さんへ。
ここも長くなり、色々な想い出も出来た。
十数年は遡る。
初めは店構えを見て料亭だろうか、なんて思った。
一度、通り過ぎたものの気になって戸を開けた。
それが始まりだった。
葉山と言う和菓子の名店だった。
今年も互いに元気でよかったと交わす。
小学、中学生だったお子さんたちは、二人とも社会人。
見つけてからは和菓子を買う様になった。
2年3年と通ううち、
挨拶のほかに一言二言話す様になり、
数年後には、10分程度話す様になった。
あの頃は、店の玄関の戸、内装、壁の藁の事。
それに使っている木材や床材の石の話。
自分の理想に妥協しない店作り。
これは勿論、お菓子にも通じている。
しだいに年に一度、親戚の家を訪れる様な雰囲気になっていった。
制作した本を渡したり、時には送ったり。
いつも夏場に来るので、
春と秋冬の和菓子を送っていただいた事も。
祭りを見た後には、車に沢山のお土産を積み込む。
あまり遠慮も無くなってしまっている。
あまり食べなかった和菓子。
しかし、葉山の出逢いが、私を和菓子好きにさせた。
それから毎年、沢山買い込んで帰る。
盛岡で待ちわびている人もいる。
話は尽きないが、
そろそろ盛岡に向かわないと、道が混む。
見送ってもらい、五所川原を後にした。
盛岡には11時頃に到着。
心地よい疲労が眠りに誘う。
翌朝、早めに和菓子を届けて回った。
今年も来たと喜んでもらえた。
さて、午後はゆっくり和菓子を味わう。
喉に残らない甘さなので2、3個はいける。
美味しい~
相変わらず素敵な仕事をしている。
口にするごとに二人の顔が浮かぶ。
大学時代に五所川原出身の友達がいた。
数年前、大学の卒業アルバムが出てきた。
そこに五所川原の実家の住所があった。
立佞武多に行く時、
ナビにその住所を入れた。
3時間半で着くとナビが誘う。
思い切って玄関の前に立った。
すると、友達のお兄さん夫婦が暮らしていて、
訳を話すと家に入れてくれお菓子とお茶をご馳走になった。
そして、弟に電話すると言い、
何十年ぶりかに声を聴いた。
昔のままだった。
それから手紙のやり取りが復活した。
今年の秋には、会いに行ってみたい。
長年通ううちに知り合いも増えたり、長い時を経てまた繋がったりと、
色々な事が巻き起こる。
それもワクワクして、大袈裟だが生きている喜びを感じてしまう。
今年の夏祭りも終わった。
近頃の夏は北国でも長いが、
日毎、陽は短くなる。
虫も鳴きだすと夜風もひんやりとしてくる。
今年もあっという間にお盆だ。




























