今日はずっと以前から感じている私の『違和感』についてお話しさせてください。
私はもの心ついた頃から家には常に何かしらの動物がいました。
そのほとんどは犬、猫でしたが、一緒にご飯を食べ、お風呂に入り、家族同然で暮らしてきた家族でした。
最近は意識が変わっとはいえ、未だに犬猫を「ペット」、「愛玩動物」と呼ぶことに、なんともいえない違和感を感じてます。
「ペットショップ」、「ペットブリーダー」、「ペット産業」「ペット…」全部ね。
日本で使われているペットは、英語の「pet」、スコットランド語や北イングランド方言の peata(peit)「飼い慣らされた動物」が起源らしいです。

かつては当たり前のように使われてきた「ペット」という言葉。
だけど近年、この表現に違和感やネガティブな印象を持つ人も増えています。
その背景には、言葉が含む無意識の上下関係や、人間側の身勝手な価値観が見え隠れするから…。
「ペット」という言葉には、所有物としてのニュアンスが強く残っています。
誰かの「ペット」である、という言い回しは、支配される存在、あるいは命令に従う存在を想起させます。
可愛い、癒しになる、慰めになる…そうした人間側の欲求を満たすために存在している、という意味合いすら感じさせます。
さらに、「ペット」は基本的に「飼い主」によって管理され、与えられた空間で、与えられた食事をとり、与えられたルールの中で暮らす存在です。
人間は「飼う側」であり、動物は「飼われる側」。
この構図は、言葉のうえだけでなく、日常の関わり方にも深く染み込んでいます。
人間が一方的に「愛している」と思い込んでいても、その関係が必ずしも動物にとって幸福なものとは限りません。
閉じ込め、しつけ、管理し、時に感情のはけ口にされる。
「ペット」という言葉の裏には、そうした人間都合の愛情のかたちが潜んでいるように感じるのです。

以前『君は僕のペット』というタイトルのドラマが放送されたことがありました。
ペットのようにかわいらしく、逆らわず常に従順で、わがままを言わない、その代わりに君の寝る場所、食べる物は提供するよ、身の回りの世話はしてあげるよ…このタイトルからはそんな人間の「支配」が滲みます。
考えてみると、例えば「僕の家族にならない?僕のパートナーにならない?、一緒に暮らさない?」と言われたらとても嬉しい。
でも「僕のペットならない?」「僕が飼ってあげるよ」と言われたら「いえ、お断りします!」ってみんなが答えると思います。
そこには自分の全てを管理されるような気持ちになり、対等な関係性を全く感じないからです。
例えば、心の通わない(通わせた生活をしていない)家畜に与えるごはんは「エサ」と言いますが、家族のように同じ時間を過ごせば牛も馬も、羊やアヒルも人と心を通わせることが出来るようになり、毎日用意する「エサ」は「ごはん」に変わります。
同じように愛する家族(人間)のごはんを「エサ」とは言いません。
愛する小さな家族(犬・猫)にも「ごはんだよ~」と表現していると思います。
パートナーや家族を「一緒に暮らしている…」と表現しても「飼っている」とは言いません。
また、最近はご自身を「このペットの飼い主」ではなく「この子のパパ」、「この子のママ」と表現する方も増えました。
「ペット」ではなく「家族」、「この子」。
急速に犬猫に対する意識が変化していると感じます。

こんなふうに私たちは「養っている」「守ってあげている」という意識を持ちがちですが、実際には、動物たちからも癒しや励まし、無償の信頼を受け取っているという点で、むしろ相互的な関係に近いはずです。
にもかかわらず、「ペット」という言葉は、その一方的な構造を強調し、動物たちを「依存するもの」「手をかける対象」として位置づけてしまいます。
最近では、こうした認識の変化から「伴侶動物(コンパニオンアニマル)」や「家族の一員」「パートナー」といった表現を用いる人が増えています。
これは単なる言い換えではなく、「命に上下はない」「共に生きている」という思想の表れです。
言葉は思考のかたちをつくり、やがて社会の在り方をも変えていきます。
だからこそ、私たちは「ペット」という言葉に含まれる無意識の支配性や上から目線に、今一度立ち止まって目を向ける必要があると思うのです。
人と動物が、本当の意味で“対等に寄り添って生きる”関係を築くために。

言葉は文化を映す鏡です。
「ペット」という言葉に違和感を持つ人が増えているのは、動物との関係が"モノ"から"家族・仲間"へと変化していることの象徴です。
「ペット」という言葉そのものが悪いのではなく、人間がどういう意識でその存在と向き合うかが問われている時代になったということだと思います。
言葉の見直しは、その背景にある意識の変化の一端であり、より思いやりのある関係を築こうとする動きの表れです。
みなさんはどう感じられましたか?
私はfurry family(毛の生えた家族)がとても愛情を感じ、これから広まっていくといいなと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。